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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.11.25 ■■■

牛の追補

一般的イメージの野牛とはかけ離れた話が収載されている。
というか、牛は家畜しかいない。とうに野生牛は絶滅しているから、何を意味しているか考える必要がある訳だ。・・・

野牛,高丈余,其頭似鹿,其角了
長一丈,白毛,尾似鹿,出西域。


角はシカ、頸はウマ、体はロバ、ひづめは"牛"の、麋鹿/四不像/Pere David's deerということか。
   「シフゾウ」[2013.3.23]

"出西域"とは、匈奴の地という意味であろう。
孝惠、高后時,冒頓?驕,乃為書,使使遺高后曰:
「孤之君,生於沮澤之中,長於平野牛馬之域,數至邊境,願遊中國。」
 [「漢書」匈奴傳上]

ただ、分布は違うようだが、それが唐代と同じと言えるかはなんとも。

続いては水牛系。・・・

潛牛,勾漏縣大江中有潛牛,形似水牛。
毎上岸鬥,角軟還入江水,角堅復出。


これは「水經注」からの引用文。場所だが、廣西北流にある石灰岩溶地貌景觀の名勝の地(道家三十六小洞天[#22]漏山洞“玉闕寶圭天”で傳"葛洪煉丹處")

要するに、これは非古代の道教的"神仙"トーテムということ。道教が創出した牛のモチーフについてはすでに"銀牛"として、記載されているが、それだけでは説明不十分と考えたのであろう。[→]

そこで書いたが、この発祥はもちろん老子西遊である。・・・
後周コ衰,乃乘青牛車去, [n.a.:「列仙傳」老子]

このパターンは、後代に描かれる「葛洪移居圖」でも引き継がれている。牛と共に、神仙たるべく山中に入っていくのである。

ただ、廣西勾漏山辺りには、道教より古層の文化が残っていた筈で、それが牛トーテムだったということであろう。(雲貴高原はかなり離れているものの、その辺りの苗族は祖先でもある水牛の供儀を行うことが知られており、闘牛は祭りにおいて重要な意味を持っていたと言われている。)
使役用の水牛とは分別されて飼育されている、供儀用の水牛"潛牛"が存在していたことを示しているということ。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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