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2010.4.20
 
 


日本での、電子版新聞の有料化見込みを考えてみた[続]…

日本と米国の“大”新聞の電子版は全く違う代物。
 前回は、宅配ビジネスモデルについてばかり考えない方がよいという話をしただけで終わってしまった。これでは尻切れとんぼ。
 少し説明しておかねば余りに失礼か。
 ともかく、日本の新聞がその宅配の仕組みに縛られているのは確かである。そして、それば日米の大きな差でもある。しかし、それに絡むもっと大きな差について考えておく必要がある。
 先ず、その話をしておこう。

 日本の場合、どうしても見たい情報が新聞にしか掲載されていないことが多いのをご存知だろうか。これは、電子化とは異なる次元の話だが、実は、電子化が進まない大きな理由の一つでもある。
 ローカル紙を眺めればよくわかると思うが、新聞購読者ならわかるのだが、公的機関が発表した情報にもかかわらず、サイトを見てもわからないことは少なくない。
 言うまでもないが、記者の活動の結果ではなく、新聞がプレスリリース機関化しているだけのこと。間違ってはこまるが、記者クラブ制度の話をしているのではない。日本の組織の大半は、新聞社に情報をコントロールしてもらう仕組みを有難いと考えている端的な例が記者クラブにすぎない。  企業にしても、美しいサイトの構築には励むが、情報はできる限り出さないですましたいという姿勢が多い。それは当然と考えられているのである。米国とは逆である。

 日米の一番の違いはココ。米国では、この手の情報は発信元のウエブの方が早いのが普通。日本のようなやり方は、情報操作と見なされかねないから、避ける。つまり、基本的な情報を得るために新聞購読する人は滅多にいないということ。
 このため、、記者は洞察力を発揮した記事や、人が気付かなかった情報を提供できないと役目を果たせない。換言すれば、個別の記事を通じて意見を発表することで、社会に影響力を行使しようと考えていると言えよう。
 従って、ウエブに掲載するとなれば、できる限り記事を公開せざるを得ない。薄めた内容にすれば良さが失われかねないからだ。
 New York Timesを読めば、そんな感覚が伝わってくる。もちろん、なかにはおかしな主張や間違いも。だが、それも又面白いところ。
 ただ、それに対してお金をいくら払うべきかは、まだよくわかっていないといったところだろう。

 これに対して、朝日のような日本の巨大紙のサイトは全く違った趣。
 もともとの紙の記事自体、記者独自の意見はほとんどなく、表現の仕方を工夫して、どんな見方をすればよいか示唆するだけ。独自な情報と言えそうなのは、特定の特派員のニュースと、特別取材という本来は雑誌に向くような鮮度に無縁な記事だけ。
 注目される記事とは、歴史を用いた比喩とか、人物像を描くことで臨場感を与えたり、巧みな情緒的表現を使うものになりがちなのである。
 このようなムード的なものだと、議論のしようがない。

 しかも、このような記事の内容を薄めて掲載したものがサイトの記事とくる。これで、New York Timesと比較してもなんの意味もなかろう。

経済紙は電子化ビジネスのポテンシャル大なのは当たり前。
 日本経済新聞も“大”新聞であるから、似たようなものだが、経済紙とされているから読者の期待が全く違う。ここが重要な点である。

 ビジネスに関心があれば、経済紙を購読したくなるのは当たり前であり、電子版があるなら、それもよいかなと考える人は始めから存在している。別に、パソコン好きとか、新しい流れに早めに乗ろうというのでなく、便利と感じる人はいると見ているからにすぎない。
 例えば、こんなところ。・・・
  ・家で購読しているが、出掛けに読むだけ。出先でもパソコンで見れると嬉しいね。
    追加料金が安ければの話だが。
  ・過去の記事やコラムが気になることも多い。
    簡易検索サービスがつくなら結構魅力的だ。
  ・会社の購読紙を読むが、共用だから駅で買うことが多い。読みきれずに捨てる。
    パソコンで自由に読めるのなら、電子版にしてもよいか。
  ・紙で十分だが、一寸した海外主張で読めないだけで浦島太郎化は嫌だが。
    紙と同じものが読めるなら購買しておくか。

 小生はこの観点からみて、日本経済新聞のサービス価格は、現段階ではそんなものだろうと感じた。前回引用したブロガーの方が主張されているような、、“月額1,000円前後まで下がれば劇的な変化を起こす可能性”は低いと思う。いくら安価にしたところで、日本経済新聞を読まない人が購読を始めるとは思えないからだ。

 一番の問題は価格ではなく、電子機器での読み易さと、電子版を使う価値を感じさせること。経済紙は一般紙と違って、限られた読者を対象としており、その特質に合わせたサービスができれば、電子化が一気に進んでもおかしくない。使い方のイノベーションが求められているのだと思う。

 それなら業界紙にも大きなチャンスがあるかといえば、それはなんともいいかねる。
 日本では、業界紙は職場で回覧されることが多く、現状の電子化の仕組みでは対応しにくいことが一番の問題では。それを考慮したシステムも可能だが、投資が必要となり、それがペイするほどの市場規模になっていない産業が多すぎる。しかし、IT技術の進歩でいずれその障害も消えるだろう。
 ただ、超低価格にすれば、個人読者が大量に出始める可能性もある。電子版なら、情報量が多くても、検索ができるので有難いからである。そのためには、個人が欲しそうな様々な情報も適宜掲載していく必要があろう。そんな変身ができれば、飛躍可能性は高そう。但し、記者も読者もそれを望んでいないと無理だが。

スポーツ紙の電子化は難儀しそうだ。
 繰り返すが、安ければ購入するようなものか、よく考えた方がよかろう。
 安価だからといって、一般の人が日刊自動車新聞を購入することなど考えられまい。それでは、日本経済新聞なら買うかということ。もともと読まない人は、いくら安価でも買うまい。

 前回ご紹介したブロガーの方は、デイリースポーツの1,890円という値付けを、“読者が電子版に移行して紙の部数が減ってもよいと割り切ったようです”(1)と見ているが、そんなものだろうか。スポーツ紙は結構回し読みされるものであり、安いからといって電子版に変えようという人がそうそういるとは思えないが。
 しかも、この新聞のイメージは、“阪神勝利”という文字が躍る紙面。多分、そんな日の駅売りが急伸する筈。もっとも、阪神ファンは負けるのも、又、楽しみという話もあるが。ともあれ、大きな紙面を眺める楽しみが人気のもとだとしたら、自宅のパソコンで一人喜べるとは思えないのだが。
 そもそも、スポーツ紙は、競馬、芸能、アダルト、釣・旅行、政治・経済とゴチャ混ぜであり、細かな情報が欲しいという訳ではなく、短時間で読み捨てる娯楽なのでは。もしそうなら、細かな内容を伝えるのに向く電子版では楽しめないかも知れないのである。
 小生は、スポーツ紙の場合は、電子版は別な喜び方で訴求する必要があるのではないかと思う。

 そうそう、1,890円という値付けだが、ブロガーの方は安価と見たようだが、上記のような発想をすると安価とは言い難いのではないか。宅配価格と比較しても意味が薄いからだ。絶対価格での廉価なら、300円台ではないか。それに付加サービスを加えていかないと市場はなかなか開かないような気がする。

<<< 前回

 --- 参照 ---
(1) “新聞有料電子版、日経とデイスポの落差鮮烈”Blog vs. Media 時評 [2010.01.26]
   http://blog.dandoweb.com/?eid=86981


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