表紙 目次 | ■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2015.4.30 ■■■ 牡丹[続] 牡丹は、いかにもオ盛んな感じを与える文字であり、富貴命の中国社会にはピッタリ嵌る。"花色澤艷麗,玉笑珠香,風流瀟洒,富麗堂皇"という評価なのも当然だろう。 これは、和の風土には合わない感じがする。少なくとも遣唐使の頃には渡来していた筈で、知識人階層は一応称えたと思われるが、積極的な賞賛まではいかなかったのでは。人気が出たのは、おそらく、元禄バブルの頃だろう。 ただ、漢方の六味地黄丸等に配合される牡丹根皮用に栽培は盛んだった可能性はあろう。もっとも、芍薬の方が主流だったかも知れぬが。 大陸では、その賞賛ぶりは凄まじく、玄宗期にはついに花中之王とされたという。 と言えば、絶世の美女楊貴妃。玄宗命の李白作詩「清平調詞三首」がことのほか有名という話は前回。 → 「名前が西域風で派手な花木」[2012.12.22] その詩の内容は実に単純である。 其一[牡丹花比楊貴妃的美]+其二[楊貴妃的受寵幸]+其三[牡丹和楊貴妃与君王糅合、融為一体]というだけのこと。 一方、長恨歌で知られる白楽天は「牡丹芳」を残している。それなりに長い詩である。 他の花は平凡であって、比較にならぬほど富貴な姿と見なしている。唐で大流行していたことがよくわかる。 濃姿貴彩信奇絶、雜卉乱花无比方。 石竹金錢何細碎、芙蓉芍药苦尋常。 芍薬/Chinese peonyは草本で、牡丹/Tree peonyは木本。前者は開花が約一月遅れなので、今一歩盛り上がりに欠くことも大きかろう。石竹/Chinese pinkとは、日本では本来は唐撫子と呼ぶ植物。いと愛でたしの大和撫子とは少々違うということで。そんなことはどうでもよい人は、両方ともに撫子である。当たり前だが、牡丹と「美」の比較する人などいまい。 日本において牡丹と言えば、そのイメージはドデカいボタ餅とか飾り肉盛りのボタン鍋に重なってくる。それは、唐獅子牡丹の「百獣之王と花中之王」的超ド派手な世界。もちろん、そんな生活を夢見る人は、大陸と比較すれば、かなり少ない訳で。 ところが、西洋には、中国から渡来した牡丹を純日本的直物と勘違いりする御仁も少なくない。椿とは違うのだが。まったくもってこまったもの。 白楽天のセンスからすると、素敵なのは花の豪華さという訳でもなさそう。 衛公宅静閉東院、西明寺深開北廊。 戲蝶双舞看人久、残鶯一声春日長。 衛公宅:多植花木 西明寺:玩賞牡丹的勝地 そんな自然を愛でるならまあよいのだが。 共愁日照芳難駐、仍張帷幕垂陰凉。 花開花落二十日、一城之人皆若狂。 ともあれ、天子の関心はあくまでも農業生産だゼ、と釘を刺しているのである。それこそが人民の幸福を実現するのだから。流石、高級官僚だけのことはある。 元和天子憂農桑、恤下動天無降祥。 元和天子:唐 憲宗 去歲嘉禾生九穗、田中寂寞無人至。 今年瑞麦分両岐、君心独喜無人知。 無人知、可嘆息。 我愿暫求造化力、減却牡丹妖艷色。 少回卿士愛花心、同似吾君憂稼穡。 稼穡:農業生産 その気分わかる。 牡丹は放蕩三昧の象徴というより、平和な世だからこそ咲き乱れる花。玄宗が力を失ってしまえば、戦乱だらけ。すべての人が巻き込まれるのである。白楽天とは、本質的に社会派詩人。 そうそう、派手な華美を堪能するような動きとは逆向きの美を深堀する流れもあったことを語っておく必要があろう。明代の徐渭「牡丹圖」[墨花九段圖卷@北京故宮博物院]は墨絵なのだ。「吾書第一、詩二、文三、画四」の思想であるから、当然ながら書画となる。 五十八年貧賤身、何曾妄念洛陽春。 不然豈少胭脂在、富貴花將墨寫神。 表現新時代の始まりというか、唐獅子牡丹からの脱皮と言えよう。 清代の絵画になると、さらに一皮剥けた感じがする。高雅脱俗の神韻との解説も納得。 → ツ寿平「牡丹」@國立故宮博物院/台湾 まあ、この辺りで一杯とするか。 前回は、司牡丹だったが、今回は白牡丹でいくか。漱石が「白牡丹 李白が顔に 崩れけり」と揮毫したそうだから。 「日本の樹木」出鱈目解説−INDEX >>> HOME>>> (C) 2014 RandDManagement.com |