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2003.12.12 |
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***イラクに関する政策論議が盛んだが、大きな流れを見て対応を考える必要があろう。その場しのぎや、情緒的対応だけは避けて欲しい。*** 戦争の時代 4:グルジア政変…独裁国アゼルバイジャンの政権基盤は不安定である。→ 3:アゼルバイジャンの火種 その隣国グルジアも同じようなものだ。 2003年、グルジアで突然政変が発生し、シェヴァルナッゼ大統領が政権の座を追われることになった。
(http://www.asahi.com/international/update/1129/003.html) 確かに、「汚職はどんな国にもある」し、議会選挙で政府側による不正があったとする野党の抗議行動や混乱が3週間で一気に全国規模に広がったのだから、その通りかもしれない。 野党の大統領候補を「ポピュリスト」と指摘するのもよくわかる。 西の黒海、東のカスピ海に挟まれた狭い地方の一角で、人口5百万人程度の小国が生きていくのは簡単ではない。 しかも、少数民族が入り混じっている。正教のグルジア人(70.1%)が主体だが、これ以外に、アルメニア人(8.1%)、ロシア人(6.3%)、アゼルバイジャン人(5.7%)、オセチア人(3%)、アブハジ人(1.8%)が存在する。 9自治州、9市、2つの自治共和国から構成されており、エスニック系の南オセチア(South Ossetia)は自治州である。アブハジア(Abkhazia)自治共和国とアジャリア(Ajaria)自治共和国はほぼ独立状態といえそうだ。 (http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/gg.html) 良く知られているように、北西海岸沿いのアブハジアと北部の南オセチアで紛争が発生している。一応収まっていると言われているが、安定しているとは言い難い。 前者は、イスラム系民族によるアブハジア自治共和国の分離運動である。しかしながら、自治共和国の半分近くがグルジア人のため、1990年から紛争が続いている。ロシアが大規模支援を行い、1993年に自治共和国側が勝利を収め、民族浄化が行われ、大規模なグルジア人難民が流出した。 後者は、南オセチア自治州のロシア連邦北オセチアとの統合を求める運動である。1989年にグルジア政府がグルジア語を強要したため、発生したと言われている。1割に満たないオセチア人の民族運動だが、ここでもロシアが深く絡む。もちろん、ロシア軍が駐在している。 しかも、北西海岸沿いのアジャリア(Ajaria)自治共和国でも、ロシアが反中央地方勢力の政治運動に荷担していると言われている。 2003年12月2日付けNYTimesは、これらの分離主義者が中央政府に無断でロシア政府と会合を持ったと報道した。 (http://www.nytimes.com/2003/12/02/international/europe/02GEOR.html) 極めて不安定な政情だが、援助のお蔭でどうやら最悪の状況を逃れているといえそうだ。外務省によれば、2001年の主要援助国は米、独、日、英だったという。 主な産業は黒海観光だろうが、紛争が発生すれば落ち込みは免れまい。他は農産品や鉱産物輸出位である。エネルギーは不足しており、発展余力は小さい。 従って、唯一の経済発展の鍵は、アゼルバイジャンの石油を黒海(Spusa)から積み出す石油/天然ガスパイプライン収入である。(さらにTbilisiルートも開発中) 当然ながら、このルートは北側のロシア・チェチェン共和国経由のパイプライン(黒海Novorossiysk)と競合する。ここでもロシアと利害が対立する。 パイプライン稼動を抑えたい勢力は、内乱促進を働きかける。 一方、中央政府支援勢力にも、魅力的な投資環境整備が上手く進まないなら政権交替を図る動きがでる。 独裁型政治とはいえ、政権維持は綱渡り的だ。 政治への発言の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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