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2004.3.5 |
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ビジネス特区で新風は吹くか? ドグマ化が目立つ義務教育特区…義務教育の新カリキュラムに挑戦する特区は英語ばかりのようだ。カリキュラムをいじることを嫌うお役人がいるのだから当然の結果といえよう。→ 「英語教育を行うだけでも特区扱い」 (2004.3.4)
カリキュラムの改革は望み薄のようだから、他の規制緩和を、ざっと眺めてみよう。 先ずは、市町村が給与を負担すれば、教員を雇用できるというもの。(市町村立学校職員給与負担法) 教師を増やすことができるから、小規模学級実現に動く特区が多い。 理屈から言えば、密度が高い指導ができるから、学力増進に繋がることになる。 しかし、単に小規模学級にすれば自動的に質が高まるとは思えない。下手をするとドグマ的動きになりかねない。 実際、団塊の世代の小学校は教室に児童が溢れ返っていたが、十分学力をつけることができた。 小規模でなくとも、学力向上は可能なのである。 学力増進を目指すなら、現在の学力レベルの測定方法を確立することから始めるべきだろう。その上で、どの様な施策で何時どこまでレベル向上を狙うのかを明かにすべきだ。この肝心な点に手をつけずに、見かけの学力向上策を先に進めるのはどうかと思う。 学級崩壊対策も同じことがいえる。 小規模クラスにして、コミュニケーション密度が高まると、生活態度を変えることができる、という。これもドグマに近い。 そもそも、問題が大きくなったのは、クラスの定員を減らすことができるようになってからである。 要するに、社会が変わったのに、学校が変わらなかったから、問題が発生したのだ。小規模クラスにすれば、問題が解決する訳ではない。 その点では、過疎対策も同じことだ。小規模学級が実現したからといって、過疎を留めることができる筈がない。教育以外にすることがあろう。 本質的な問題に取り組まないプロジェクトに、いくら知恵を絞ったところで、成果はたいしたことはない。 切り込みが感じられない特区が多い。
よく見ると、義務教育以外の特区の方に面白いものがある。 体験学習を高校の教育に持ち込もうというのだ。こちらは、実社会そのものに触れる企画だ。 生徒に対するインパクトは間違いなく大きい。 優れた教育プログラムを作ることができれば、地元で働くことの嬉しさを感じる人もでてくるかもしれないし、高校生が事業改革のアイデアを出すかもしれない。 上手くいく保証はないが、挑戦する価値はある。 今、教育に必要なのは、「教育の産業化」である。経済のグローバル化に伴い、教育もグローバルの競争に晒されるのである。競争力を発揮するためには、教育が、現実の社会とリンクして動くしかない。教育は経済を支える人を育成する場であることを忘れるべきでなかろう。 この観点で考えれば、日本の義務教育に一番欠けているのは、学力担保の気概だと思う。 政治への発言の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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