人権擁護の戦い…
2004年9月24日、突然「愛子内親王殿下ご近況」が公開された。
(1)
見ただけで、私的に撮影した映像であることがわかるものも多い。異例なことだという。
(2)
私生活を国民に公開することで、マスコミの風説流布に対抗する意味もあるそうだ。
人権を守るために、私生活を公開せざるを得ない、というのはいかにも矛盾である。
しかし、それもいたしかたないのが、日本の皇室制度である。
そもそも、皇族には人権を認めないというのが、日本国憲法の精神である。
憲法は、「皇族の人格に対する侮辱」を容認したのである。
→ 「人権無視の憲法」 (2004年4月17日)
しかし、そのように考えている人は、ほとんどいないようだ。
「・・・キャリアや、そのことに基づいた・・・人格を否定するような動きがあったことも事実です。」
(3)とのご発言があったにもかかわらず、何も変わっていないようだ。
騒動は沈静化したようだから、振り返ってみるよい機会だと思う。
サンデー毎日によれば
(4)、驚くことに、「葬儀や欧州王室の結婚式に短期間、外国に2回行った以外、約8年間、友好・親善の外国訪問をしていなかった」という。
キャリアを無視したと言うより、キャリアを捨てよ、という圧力そのものである。
宮内庁は、皇族にはキャリアなど不要、という原則を貫いた訳だ。
このことがはっきりしているにもかかわらず、この問題を、一般の嫁問題と同一視するマスコミ人がいる。
(5)
しかも、「皇太子さまが敢然として抗議の意思を表明されたのに、少しは希望」と語る。
皇族に人権を認めていないことを知りながら、このようなコメントを平然と記載する無神経さは驚きを通りこす。
これは男女差別の問題ではないし、結婚女性の仕事との両立の問題とも関係ないのである。
マスコミは本質的な問題には触れたくないのである。
このようなマスコミの姿勢を見ていると、「秋篠宮夫妻にもう一子を期待したい」との長官発言も、どのような背景での言葉か想像がつく。おそらく、秋篠宮家にお子様ができた方がいいか、とのマスコミ側の質問に対して、ついお気軽な返事をしたのだろう。
マスコミの仕掛けである。
さらに呆れることには、この仕業を反省するどころか、相変わらず人権侵害を続けていたのである。私的な外出を記事にしようと、大新聞の記者が蠢いていたらしい。
(6)
こうした経緯を見ていると、宮内庁もマスコミも、人権感覚がほとんどないことがわかる。
しかし、マスコミ人が指摘するように、確かに希望はある。
前例破りの写真公表が行われたからである。
それに加えて、皇太子妃の、私邸での長期静養も画期的だった。こちらも前例などあるまい。
流石に、「皇太子殿下も私邸にご宿泊」まではいかなかったが、短時間のご訪問だけは実現した。
わずかではあるが、人権擁護の方向に進んでいるのだ。
・・・思わず声援を送りたくなる。
ここまで頑張って、前例破りを進めているのに、孤立無援な状態が続いているからだ。
民間人とのご成婚に至る過程では、驚くほど多くの声援があったのに対し、今回は、声援はほとんど聞こえてこない。
人権に、たいした価値は無い、と考えている人ばかりのようだ。
--- 参照 ---
(1) http://www.kunaicho.go.jp/03/d03-03ph-01.html
(2) http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20040925k0000m040042000c.html
(3) http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h16gaikoku.html
(4) http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/sunday/2004/0530/tokusyu1.html
(5) http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/kimagure/2004/kimagure2004_0518.html
(6) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040916ic21.htm