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2004.4.17



人権無視の憲法…

 欧州憲法は問題を含んでいるものの、戦乱を避け、「欧州共通の家」を構築しようという思想は強固だから、欧州憲法制定は間違いなく決着するだろう。
  → 「他山の石とは言い難い欧州憲法」 (2004年4月16日)

 実際、ベードーベンの第九が国歌、今まで通りの「青地に12の星」が国旗、5月9日が建国記念日(「欧州の日」)という程度なら、すぐに決まる。
 もともと、一体感は存在しているのだ。

 しかし、各国国民のアイデンティティーと歴史への誇りを保証しながら、団結するという欧州憲法の理念は、理想論に近い。相反する利害が、各国文化と結びつけば、すぐにバラバラになるからだ。
 結局のところ、「文化」「宗教」「ヒューマニズムの遺産」を基底にするとの理念で収まったが、どこまで共有化できるか疑問が湧く。
 米国やオーストラリアのような、新しい国のようにはいかないのである。

 日本なら、こうした議論は天皇制に集中することになると思われる。
 しかし、日本の場合は、理想論を聞いたことが無いし、理念がある訳でもなさそうだ。
 なんとなく、そうなっている、というのが実態である。

 その実態を批判した文書がある。
 「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」(1946年新憲法公布記念日付け)だ。(1)
 皇族の1人が、新憲法の精神の視点から、皇室典範の素案を批判した内容が記載されている。

  ・新民法では、結婚するのに、親の同意さえ必要としない。ところが、皇族は、この自由が無い。皇族の人格に対する侮辱である。
  ・すべての国民は法の下で平等との規定を純粋に解釈すれば、女帝を認めるのが当然と言える。
  ・「死」以外に譲位の道を開かないことは「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」との精神に反する。

 古い話だが、すべて真っ当な意見である。皇族に人権を認めない仕組みに反対するのは、極く自然なことだと思う。しかも、現時点でも通用する見方である。
 しかし、そのような見方は排除される。

 この資料を公開した雑誌でも、タイトルは「女帝」問題である。「皇族の人権」問題としては、採り上げられない。
 間違ってはいけないが、1946年なら、「女帝」を認めることが「皇族の人権」擁護に繋がったが、2004年の状態でそう言えるかは疑問である。譲位や婚姻の仕組みを替えないなら、実質的には悪化するのかもしれない。
 象徴天皇制の国会論議でも、「皇族の人権」は議論の埒外のようだ。(2)

 これこそ、日本人の憲法感の象徴といえそうだ。
 日本国憲法には、人権を守る基本思想が流れていると教えられているが、現実には、平然とこの原則を無視しているのだ。
 日本では、憲法にも例外事項があり、絶対的基準にはなっていないのだ。

 こうなるのは、信念に基づいて憲法の理念を主張しないからだ。時代に合わせ、ご都合主義的に憲法を解釈して、利用するのである。
 → (2004年4月18日)
 --- 参照 ---
(1) 「『三笠宮』が書かれた幻の『女帝容認論』ベストセラー『天皇家の財布』の著者が新資料発掘」 週刊新潮 2003年8月14/31日号
   http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003aug/05/K20030805MKA1Z100000108.html
(2) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shuken013.pdf/$File/shuken013.pdf

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