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2005.3.30
 
 


改憲の前に考えるべきこと…

 レバノン情勢を見ていると、大国の意向とドグマ勢力によって翻弄される国の姿がよくわかる。日本も同じ運命に陥らないよう、十分注意を払う必要があろう。
  → 「レバノン騒動は他人事か 」 (2005年3月23日)

 こんなことを考えるのは、将来の道筋を決める憲法改正の動きが本格化し始めたからである。

 おそらく、改憲反対勢力の運動も活発化しているだろう。

 そのため、メディアにも反対勢力の動きが紹介される。ところが、反対勢力と言っても、心情派とでも呼ぶしかなさそうな人達の意見がとりあげられることが多い。
 たいていは、世界に誇れる平和憲法の精神を守ろう、との主張である。政治のことはよくわかりませんが、戦争はよくないです、という“お話”も目立つ。特定の思想基盤はありませんが、しいて言えば平和主義です、と主張しているのだろう。

 はっきり言って、こんな人達との議論は時間の無駄である。
 現実を見て意見を述べることができる人達の議論をもっと取り上げて欲しい。

 平和が続いたかに見えるのは、米軍が代わりに戦争を引き受けて来たからにすぎない。日本は米国の傘の下にいただけのことである。
 実態を見れば、軍事と外交は米国の方針に従う条件で、経済繁栄を認めてもらっていただけの話である。傭兵で国土防衛をまかなったとも言える。

 この戦略が奏功したから、生活水準を一気に高めることに成功したのである。
 単に、平和憲法を上手く利用しただけである。世界に誇れるようなものではない。「世界に誇れる」など、驕りである。

 この方針が奏功したのは、世界が米ソの2極対立構造だったからである。
 従って、どちらかの勢力につくか、中立の立場か、3択問題をつきつけられたのである。

 といっても、強国が対立している時、弱体な国が中立を表明したらどうなるかは自明である。
 もし中立路線を採用していたら、内戦が始まっていたかもしれない。
 実際、「平和十原則」を高々と掲げた、反核・非同盟運動のバンドン会議(1995年)は開催しただけ。周恩来、ナセル、スカルノの国は、その後、政権抗争と経済混迷に見舞われた。

 極く普通の感覚なら、あの頃、米国側でよかったと考えるのではないか。

 この戦略で進んだから、ドグマ的な野党の存在がプラスに働いたのである。

 現実的政策に徹し、ひたすら実利を追求する政権党にとって、ある程度力を持つ反米野党勢力の存在は有難い。米国の妥協を引き出せるからだ。野党に政権を奪取されかねないから、その政策は無理との殺し文句が、交渉で使えたのである。
 与党にとっては、米国から見て、頑迷に映る野党が望ましかったと言える。言うまでもないが、野党勢力のなかにソ連派が存在していることも重要だ。社会党は、この役割にぴったりはまった。
 そして、活発だった、反米反ソ型学生運動も、米国の要求レベルを下げる効果を発揮した。反ソ反政府勢力の存在が、ソ連の介入を難しくしたのは間違いない。しかも、社会主義国の実態が軍事独裁にすぎない現実を伝える役割も果たした。

 リアリズムの目で俯瞰すれば、米ソ冷戦時代は、日本の野党と反体制運動の役割は結構大きかったのである。経済的利益を追求する政権と、拮抗する反政府運動のお陰で、日本は、米国の傘の下でぬくぬくと繁栄できたと言っても過言ではあるまい。

 しかし、ソ連が崩壊すれば、もはやこの戦略は成り立たない。米、ソ、中立の3択問題は消滅したのである。
 しかも、日本が頼っている米国は、世界から駐留軍を引き上げる。地域の安全保障は各国の軍隊に任せ、問題児を早期に叩く体制へと動き始めた。軍事を米国に任せることができなくなったのである。

 それでは、これからどのような選択肢があるのか。

 今まで通り、米国と二人三脚で歩むということは、どのような道を歩むことになるのか。
 換言すれば、世界は多極化するのか、米国1強が続くのか、という問いでもある。

 実利を考えるなら、我々が直面している大きな問題とは、この問いに答えることなのではないか。

 そして、これこそが憲法問題を解く鍵となろう。

 ところが、この議論がさっぱり盛り上がらない。そのため、憲法論議にドグマ臭がつきまとう。


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