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2007.1.25 |
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政治の季節が始まる何を言いたいのか意味不明の政治コマーシャルがテレビで流れている。参議院選挙に向け、本格的に動き始めたようだ。【ビデオ】→ 民主党新CM「生活維新。」30秒編 [06.12.27] (C)The Democratic Party of Japan
対抗馬は、前林野庁長官(連合宮崎、自民党一部と民主/社民系の支援)と元経済産業省課長(自民・公明推薦)。 真面目にマニフェストを作ったことと、「行政出身者では県政を変えられない」という点が“うけた”ようだ。
そもそも、有効求人倍率が7割を切り、最低賃金が底を這う状態の農業県での話だ。観光客も減少一途で、低迷を止めるアイデアも枯渇。 まさに典型的な地方の姿と言えよう。 ここまできても、既存政党候補者の言葉は何時も通り。・・・各界から様々な意見を取り入れ、自主的な話し合いのもと、皆で戦略を作り、各分野で人材を育成し、各地域・各産業の底上げを図り、発展の起爆剤にしよう、というのである。 特徴は、危機感の欠片も感じられない点である。 これこそが、日本の政治の一番の問題だ。 経済が回復してくれば、そのうちなんとかなると思っているのである。ただ、政治家を責めるのは筋違いではある。江戸時代は素晴らしい時代と考える人が増えている位で、なんとか今のまま、上手く生活できるようにしてくれ、と政治に頼む有権者ばかりだから、いたしかたない。 → 「江戸時代礼賛派の体質」 (2006年11月22日) 今の時代、江戸時代から学ぶべき点は、明治維新を切開いた人達の動きである。今のままなら間違いなく植民地化されるとの危機感をバネに、松下村塾から、次々と傑物が現れた。驚くのは、そのほとんどが、既存政治には縁がなさそうな名の知れぬ下級武士ばかりだったという点。 このまま進めば国全体が没落しかねないから、急いで改革を進めないと間に合わないという点では、この時代も、現在も同じと思うが、残念ながら現代の松下村塾は無いようだ。 周りを見渡せば、お上の力を借りて、なんとか現行の体制を守っていこうという人ばかり。そんなことを続けていれば、どのような結果をもたらすか、わかりそうなものだが。 なにせ、この危機感のなさは、政権中枢にまで至っているのだから、どうにもならない。 ホワイトカラー・エグゼンプション(3)導入についての首相の言葉には、唖然。 【ビデオ】→ 総理番記者日記「安倍首相今日のひとこと」 [2007年1月5日] (C)NTV 「家で、過ごす時間はですね、例えば少子化にとっても必要ですし、・・・」 「やはり日本人少し働きすぎじゃないかと・・・」 「家族そろって、食卓を囲むという時間はもっと・・必要ではないかと 思いますね。 もっとも、政治家でそういう時間を持っている人はあまりいないかもしれませんけども。」 全く、お話にならない。ここまで危機感が欠如している人とは思わなかった。 しかし、代替できる人材もいないらしい。どうにもならない訳だ。暗澹たる思いに襲われる。 そもそも、“ホワイトカラーエグゼンプション=残業代ゼロ”などというキャンペーンが通用すること自体、危機感欠如社会と言わざるをえない。 制度そのものは、みなし残業代の一括払いでしかない。悪用されればとんでもないことになるが、それは雇用環境での労使の力関係で決まるもの。 すでに現実は“残業代ゼロ”のサービス残業など当たり前。(4)いまさら法律論でもなかろう。 ベンチャーで苦闘する人達に至っては、こんな制度に興味などなかろう。そもそも、残業などという概念さえない方が普通だ。そんなことを考えていたら、会社が潰れてしまう。 残業代ゼロ法案と呼んでいられる人達とは、雇用が守られている既得権益集団ではないかと思うくらいだ。 それはさておき、残業規制を強化すべきだろうか。 言うまでもないが、悪質な雇用者に対する歯止めが必要であるのは当然だが、規制強化がどう働くかを考えるべきだ。 労働規制強化で、新しい産業が勃興し易くなるのか? あるいは、既存産業は繁栄するのか? という視点が重要なのである。景気が回復してきたから、労働者の待遇を改善しようという環境にはないことを理解すべきだ。 経済を順調に発展させるためには、なにをすべきかが問われているのである。 その答は自明ではなかろうか。様々な労働パターンの容認こそ、緊要な施策の筈である。そして、それと同時に、生産性が低い企業を淘汰し、再興し易くする必要があろう。 問題は、これは荒療治という点。嬉しい人などいない。従って、その必要性をある程度納得してもらい、円安で景気が良い時にしかできかねる施策である。 おそらく、一律的な労働に従事している人の待遇は下がる。それにともない、労働者全体の所得も減るだろう。企業倒産も増えるから、雇用不安も高まる可能性大。 だが、グローバル経済の時代、これを避ければ、国全体の生産性は下がる一方。二度と浮かびあがることは無い。当然ながら、家計も悪化していく。歯止めはかけられない。行き着く先は、悲惨な国民生活。 改革を先送りすれば、先行き、とんでもない苦しみを味わうだけの話だ。 副作用無しの改革などあり得ないのである。 日本は食糧とエネルギーを輸入せざるを得ない国。しかも、この先労働人口が減り、老齢者が急増する。リアリズムに徹すれば、労働者いじめを止めよとか、働きすぎだなどと、情緒的なことを言っている場合ではなかろう。 しかし、日本人は働き過ぎと発言する位だから、首相には、こんな感覚は皆無ということ。マクロで見れば、長時間労働+賃下げをしたところで、海外とはとても競争できない産業だらけとは考えないのである。そんな勝てない産業を、政治が暖かく守るつもりなのだ。 労働時間を減らして、少子化を止めることを政治課題と考えているのだから、コメントする気も失せる。 リーダーがこんな調子だから、国民に危機感が湧く筈もなかろう。 ともあれ、ホワイトカラーエグゼンプションは止めるようだが、最低賃金引き上げの方は別途進めるつもりだと言う。一体、何を考えているのだろう。好景気だから労働者への配分を増やせると、誤解しているのかも知れぬ。 とは言え、最低賃金引き上げは、生産性が高く、競争力がある産業では、長期的にはプラスに働くかも知れない。低労賃労働のコストパフォーマンスが急速に悪化するから、国内での低付加価値業務を切り捨てるしかなくなるからだ。換言すれば、高賃金の業務を増やすということ。ともかく、知恵を絞って収益性低下を防ごうと苦闘するから、生産性が向上する可能性は高い。 一方、生産性が低い産業に対しては、どのような影響があるかは、わかりきったこと。ますます生産性が低下するだけだ。しかし、退出企業を作らない仕組みを続けるのだから、資本効率は最悪になる。投資もできなくなり、生き残りだけを目指した事業縮小の悪循環に入る。雇用縮小は間違いない。 雇用不安を抑えるために公共事業を乱発するしかなくなるのは間違いあるまい。 こんな路線に拍手を送りたいのは、資本主義経済が崩壊すれば嬉しい人達だけだと思うが。 日本は、生産性が高い一部の産業が経済を牽引する一方で、生産性が低い産業が大量の雇用を保証してきた。これで社会の安定性を保ってきたのだ。これが、もはや成り立たない。・・・この認識ができない限り、労働問題をいくら議論しても無意味である。 景気がよくなったといっても、生産性の長期低下傾向から脱した訳ではない。これを突破するための労働政策でないなら、百害のみ。 そもそも、優秀な社員がいても、それを生かせない企業が多いのが現実。しかも、そのような低迷企業を蘇らせようとはしないのが日本の仕組みだ。資本を食い潰しても、ともかく生き延びさせる。資本効率低下というより、資本をドブに捨てても、現状維持を図ることを美徳と考えているとしか思えない。 まさか、ナショナリズムを昂揚させ、美しい没落を模索している訳ではなかろう。 言うまでもないが、こんな風土でイノベーションが創出できる訳がない。 --- 参照 --- (1) 「東氏、保守層も食い込む 本社出口調査」 宮崎日日新聞 [2007.1.22] http://www.the-miyanichi.co.jp/domestic/index.php?typekbn=1&top_press_no=200701220110 (2) http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120701170002 (3) (社)日本経済団体連合会: 「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」 2005年6月21日 http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042/teigen.pdf 第67回労働政策審議会労働条件分科会「今後の労働時間法制について検討すべき具体的論点(素案)」2006年11月10日 http://www-bm.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/s1110-7a.html (4) http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/enquete/050520_quick_zangyo/ 政治への発言の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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