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2013.12.26
 
 

「普通の国」の議論ができるか…

またゾロ、いい加減な説明でお茶を濁して、エネルギーの基本政策を決めるらしい。いつまで、そんなことを続けなければならないのか。

原発続行を主張したいなら、はっきりと実態を説明すべきだろう。まあ、聞き耳持たぬ反原子力のカルトだらけで、これをマスコミが揃って囃す訳だから、議論を避けたいのはわからないでもないが。
「普通の国」を目指すなら、論点を明確化すべきでは。

小生は、日本での代替自然エネルギー推進は無理筋と見る。小規模で不安的供給化するだけ。しかも、全体における電力供給シェアは低いままで、高額電気料金化が進むことになる。そのどこが嬉しいのかさっぱりわからぬ。

そもそも、そう見る理由は自明。
・日本に自然エネルギー利用の適地はほとんど無い。
・トータルで見れば非常に高コスト。
・電力料金を下げるインセンティブが働かない。
・この分野で、萌芽的な革新的技術は見つからない。
結局のところ、政商が跋扈するだけ。短期的には確実に儲かる仕組みができあがっており、これほど美味しいビジネスはなかなかなかろう。
  → メガソーラー計画は止めて欲しい」(2013.12.17)

そうそう、リサイクルエネルギーというコンセプトもよく耳にするが、いかにも素人的。あくまでも、目的はゴミ処理である。どのみち、マイナーな電力供給源でしかないのに、華々しく取り上げてどういう意味があるのかはなはだ疑問。
ゴミ発電推進の自称エコ派は少なくないが、なにが入っているかわからぬ廃棄物発電は極めてリスクが高いことを忘れるべきではなかろう。素人管理の小規模設備は止めて欲しいもの。

脱原発のために知恵を集めようと語るヒトがいるが、現在の技術水準では化石燃料をバンバン燃やすしかなかろう。エアコンを止め、コンピュータ稼動を止めたいなら別だが、すでに省エネ効果の糊代はたいして残っていないのである。
ただ、短期的には、比較的クリーンな天然ガス供給に頼ることもできなくはない。だが、えらく高価につくし、供給元の政治状況を考えれば、安全保障上での問題を抱えることになる。ソースの多様化という意味では是非進めて欲しい分野だが、そんな資源に頼りきる訳にはいくまい。

そもそも、大前提の長期シナリオなきエネルギー政策論議は不毛である。
世界的に経済成長持続なら、長期的には原油の安定供給は望み薄という点はおさえておくべきだろう。油井の寿命を延ばす技術は次々と開発されるが、一過性の対応にすぎないことを忘れるべきではなかろう。長期的には原油供給は細るし、価格高騰に見舞われる可能性は高いのである。そうなった時にどう対応するつもりか、明言すべきと思うが。
エネルギーとは安全保障政策そのものでもある。戦乱は、たいていは、この利権を巡って発生するのは誰でもが知っていることではないかネ。

要するに、脱原発運動とは、環境負荷上止めてきた石炭火力に向かって邁進せよという主張と同義。時代の流れをもとに戻そうという訳だ。もちろん、石炭火力はそれなりに汚染物質除去はできるが、炭酸ガスは極めて大量に放出される。エコとは程遠いが、その道を選ぶこともできる訳である。

つまり、日本は、エネルギー政策上の分岐点を迎えていることになる。・・・石炭に戻るか、原子力を続けるかという二者択一である。

そんな議論を表立ってできない限り、普通の国にはなれまい。

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