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2003.10.11 
 
 


話題の町工場 [日進精機(2:中国との競争)]…

 前述したように、同じ町工場でも、長島精工と日進精機の成功物語は全く違う。
  ・ 「長島精工」
  ・ 「日進精機(1:主力事業)」

 端的に現われるのが、海外工場の所在地である。前者は中国だが、後者はタイだ。たまたまタイに早くから進出しただけ、と見るべきではないと思う。
 長島精工は、機械の部材の汎用部分を海外工場に任せる。これで、安価生産のメリットを安心して享受できる。というより、中国工場の力を生かすことが成功要因の1つでもある。
 一方、日進精機はそうはいかない。
 受注生産の一品モノ事業だから、中国生産を始めれば、現地で有能な金型エンジニアを育てざるを得ない。人材流動性が高い中国では、すぐに競合企業に人が移る。熟練工の力で戦うだけでは、長期的に見て競争力維持は難しい。

 実際、顧客からの金型価格削減プレッシャーは凄まじい。いくら精度の高い金型が作れると言っても、日本の高賃金で対応できる仕事は限られる。日進精機も、「国内にも東南アジア価格を要求してきたので、仕事を断った」という状況である。
 (http://nmc.nikkeibp.co.jp/kiji/t545.html#part2b)

 中国の金型企業との戦いは熾烈化一途なのだ。
 エレクトロニクス産業集積が整った広東省深セン/東莞地区では、すでに、精密金型の生産が始まった。日進精機レベルの超精密はまだ難しいが、挑戦的な動きが目立つ。新型工作機械を揃え、1,000人を越える従業員を抱える巨大企業も登場し始めた。又、浙江省でも寧波(通称3000社)/余姚(金型城)/台州にも金型企業が育ってきた。
 中国では、金型エンジニアも競争だ。自らの将来をかけて、必死にスキル向上に励んでいる。中国では、成果と報酬が連結しているから当然である。金型設計/製作のスキルチェックも頻繁に行われる。レベルが低い方から10〜20%のエンジニアは即刻「馘」となる。中国では、ごく当たり前の人材マネジメントである。
 太田区の金型メーカーは、このような目の色が違うエンジニアを多数抱える企業と戦っているのだ。

 このような話しをすると、「町工場はいつも貧乏籤」との反応を見せる人が多い。
 確かに、3K職場で人がとれず苦しみ、大企業によって「水呑み百姓化」させられ、今度は中国に追い詰められ、何時も苦しみを味わっているように見える。

 しかし、実務家はそうは見ない。
 一寸前は、金型屋さんといえば、ベンツを乗りまわす人達と考えられていた。不況期でも、ほとんど落ち込みがない、羨ましい事業だった。一方、発注元の、電機業界のエンジニア達は、頻繁なモデルチェンジ対応のため夜まで働きづめだった。ほとんど儲からなくなった事業を、汗水垂らして守っていた人も多い。金型製作費の高額な請求書を見て、溜息をつきながら、なんとかコスト削減できないか、と苦闘していたのが実情だ。

 こうした体験を持っていれば、「町工場は没落する」とは、とうてい思えない。
 熾烈な競争に直面しているという点では、大企業も町工場も同じだ。町工場だけが、不運に見まわれている訳ではない。自分の知恵で戦う、気概のある企業だけが残るだけの話である。従来のやり方を変えずに、黙々と「モノ作り」を続けていれば、大企業だろうが、町工場だろうが、没落する可能性が高いのである。
 要は、「モノ作り」での、技術経営のセンスが問われているのだ。

 常識で考えれば、早晩、中国の金型エンジニアのスキルは日本のレベルに達する。時間の問題である。そうなっても、日本の町工場が勝ち残るためには、的確な技術マネジメントと、業態転換が不可欠だと思う。
 従って、日進精機の動きから、その息吹を感じ取ることが重要なのである。

 たびたび、繰り返すが、同じ町工場でも、長島精工とは課題が異なる。
 長島精工が絞り込んだ超精密工作機械分野には、もともと、ドイツのK.JUNGというリーダーがいた。「JUNG」ブランドを越える製品で勝負する戦略が奏効したのである。高性能で妥当な価格を実現すれば、成功は約束されていたともいえる。といっても、高額すぎれば失敗する訳で、戦略的な技術マネジメントができたから上手くいったのである。
 (http://www.schleifring.net/jung/jung_f.html)

 従って、職人を育てることで競争力を生み出すといっても、長島精工と日進精機では、全く意味が違うのである。


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