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観光業を考える 2005年4月27日
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天然温泉評価の視点…

 天然温泉表示の真新しい看板を見かけるようになった。試験的に340軒の温泉施設に設置されているそうだ。(1)
 「源泉・引湯、泉質、給湯方式、加水の有無、新湯注入率」の5項目で審査して自然度を示している。

 又、改訂・温泉法施行規則も2005年5月から施行され、掲示項目が増えた。

 う〜む。
 こんなことをしていて大丈夫なのだろうか。

 すべての温泉を同一次元で評価せず、いくつかに分類して、その分類毎に評価した方がよいと思うのだが。
 このやり方では、温泉の価値が益々曖昧になる感じがする。下手をすると温泉ブームの終焉に繋がるのではないか。

 「未公表で温泉に入浴剤を混入」(2)事件のインパクトを、とらえ返す必要があるのではなかろうか。

 当事者のポロッと語った一言を思い出して欲しい。
 「入浴剤を入れた方が効能があってよいのに」といった主旨の発言があったように記憶している。これが、さらなる怒りをかったようだが。
 しかし、この発言内容は間違っていただろうか。

 一定の成分が入っていると、温泉というだけで、何故だか効能を謳える。どのような条件下で効能が発揮できるのかも定かでないし、どの程度の効果があるのかもはっきりしていないのにである。
  → 「公取温泉調査の不思議 」 (2003年9月17日)

 常識で考えれば、1〜2日、お湯に浸かっただけで効能が現れる訳がない。にもかかわらず、効用を語るのは、ほとんど冗談に近い。
 湯治で効果を期待するなら、普通は3週間が相場だろう。
 (すぐ影響がでるのは飲用だが、適切な服用方法ははっきり決まっていないようだ。)

 このような理屈が通らない表示がいつまでも続くとは思えない。

 こんな表示に頼っている温泉ビジネスは危うい。

 と言うのは、この理屈でいえば、沸かし湯に有効成分を入れれば、立派な人工温泉になるからである。有効成分が効能に繋がるというのなら、同様成分の「○○温泉の湯」入浴剤で同じ効能は謳えるという論理は正当である。

 つまり、温泉の価値を訴求したいなら、湯に含まれる有効成分を云々すべきではないのである。ここを理解することが肝である。

 それでは価値が、「有効成分」でないとしたら、何なのか。

 ここが最大のポイントである。
 そして、利用者の立場に立つなら、この価値がわかるように表示すべきである。

 結論を言おう。
 湯の「鮮度」である。

 天然温泉でなければ摂取できないものとは、水に溶けているガスである。これこそ天然温泉の最高の価値である。
 ガスだから、時間が経てば抜けてしまう。何人も入浴したり、湯を攪拌しても、消え失せるだろう。
 ガスの効果を期待するなら、「鮮度」が重要なのである。

 この観点で眺めるなら、「源泉100%」にたいした意味はない。
 例えば、いくつかの小さな源泉の湯をタンクに集め、温度管理し、地域全体にパイプで輸送している仕組みが新鮮な湯を提供できるとは限らない。ガスは抜け切っているかもしれない。
 一方、温泉でなくても、温泉と同じ深い地層からガス入り地下水を汲み上げ、すぐに沸かした湯の方は源泉と同じ位ガスを含んでいるかもしれない。

 と言うことは、大型施設の温泉の質を云々したところで、意味はないということだ。
 とてつもない湯量がある例外的温泉場を除けば、1日数百人もの入浴者が入る湯船で、湯の「鮮度」を実現できるとは思えないからだ。
 と言うより、アメーバや菌が繁殖できない強酸性湯でもない限り、塩素殺菌で安全を担保するしかあるまい。そして、塩素系ガスが含まれる湯が健康にプラスになると主張する人もいまい。
 このような湯で、温泉の質を議論する意味があるだろうか。

 つまり、温泉には少なくとも2つのタイプがあるのだ。
 新鮮な湯を提供するタイプと、有効成分入りの湯を提供するタイプである。

 このため、湯の評価を行うなら、別々の基準が必要となろう。

 後者に関しては、「源泉・引湯、泉質、給湯方式、加水の有無、新湯注入率」表示は疑問である。自然イメージだけで、基本は高級銭湯である。湯そのものの鮮度に意味はない。
 こちらの場合は、塩素濃度、雰囲気、清潔度の方が重要だろう。湯について評価したところで、五十歩百歩である。

 一方、前者の場合は、天然の意味がある。従って、直裁的なデータ表示が望ましい。
 これは簡単だ。源泉からの移送方法を示した上で、当該浴槽に注がれている一分間当たりの新鮮な湯量と浴槽の容積を記載すればよいだけだからだ。

 尚、前者に限っては、利用者の立場に立った表示として、重要な項目がある。
 それは、湯抜きの頻度である。
 (言うまでもないが、豊富な湯量の自家源泉を持たないと、湯の交換はなかなかできない。)
 こだわりの温泉宿を自称しながら、風呂掃除期間が、たった1時間だったりする。これでは、浴槽を洗ってないのではないかとの疑念が抱かざるをえない。

 つまり、本気で天然温泉を提供するビジネスは、湯量に応じた容量の風呂しか持てないのである。高級化を図らない限り、発展性は乏しい。

 一方、温泉という名称の高級銭湯は、大浴場もつくれるし、遊びの風呂も自由自在に作れる。知恵さえあれば、大型観光地を作れる。このようなビジネスを天然温泉と一緒にしかねない、温泉の評価は避けた方がよいと思うのだが。

 --- 参照 ---
(1) http://www.spa.or.jp/kanban/index.htm
(2) 2004年7月12日発売の週刊ポストの報道が発端


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