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YOKOSO! JAPAN

■■■ 観光業を考える ■■■
2014.5.14

上野広小路の変身

都立中央図書館所蔵「大東京案内」(東京市 1933.9)に掲載されている、「3日間見物コース」のコピーリーフレットを頂戴した。
ずいぶんと忙しない行程なので驚いたが、それが日本人好みなのだろう。そのお蔭で、全体観がわかってなかなか面白い。
こまめに交通機関を利用するので、乘物賃は計一圓三三銭。それに、結構、よく歩く。
  [内譯: 市營電車7銭x14回,乘合自動車5銭x6回,地下鐵道5銭x1回]

なんといっても、商業施設の栄枯盛衰ぶりがわかるのがよい。時代の流れを感じさせ、いとおかし。東京の活力も見えてくるので楽しさを誘うといったところ。

そこで気になったのが、特区選定に漏れた台東区。
ようやくにして、上野-御徒町エリアが大きく変わりつつあるからだ
   東京特区落選地域を眺めて [2014.5.13]

なかでも、<上野広小路>辺りに開発の流れが生まれたのは画期的ではなかろうか。
この辺り、小生には、文化的には鈴本演芸場しか思い浮かばない。西の湯島にかけての夜の街と、東の御徒町駅-上野駅間のJR線路のアメ横というのが通り相場の地域だからだ。これらはアジア的な無秩序そのもので、だからこその繁栄。下手に美麗になるように整理すれば、誰も来なくなりかねまい。権利関係も複雑怪奇なことが予想され、手をつけないのが無難ではとなる訳だ。
一方、北の上野や、南の秋葉原は、もともと変貌可能な環境下。北は公園内の資産の価値を消すような施策を止めさえすれば繁栄するのはわかりきっていた訳だし、南は秋葉原駅の整備を阻む状況を突破し、広大な用地をまともに使えば、いかようにも地域開発可能なのは自明だった。しかし、上野広小路はそういう地域ではない。従って、動きに取り残されるのかと思っていたが、どうしてどうして。

確かに、行政としてはここだけ放置という訳にもいかぬだろう。・・・などとつい思ってしまうのは、パンダ広場なる、意味がよくわからぬ場所が登場したからでもある。
ともあれ、駅前の建物が一新されつつあるのだ。

と言うことで、1933年を見てみよう。
地下鉄駅直結の「松坂屋」と大通りの商店が魅力だった模様。現時点で、東京見物にこれらを取り込むことなど考えにくいが、全く違っていた訳である。
ここら一帯は、その状況から変身できないままに過ごしてしまったことになる。と言うのは間違いで、安価量販小売業の地として繁盛する道を選んでしまったのだろう。・・・ここに来て、ようやくそれとは異なる道を模索する雰囲気が生まれたと解釈するのが妥当か。
その成否を決めるのが、ランドマークたる百貨店の変身だろう。
 −松坂屋の変身−
   北館→改装本館
   南館→2017年秋
   ・B1 食品フロア(本館一体)
   ・3F/6F 本館接続ブリッジ
   ・1-6F パルコ
   ・7-10F TОHОシネマズ
   ・12-22F 賃貸オフィス

一方、アメ横は、今後も見かけはあいも変わらずなのだろう。そのアンバランス感が魅力の根源ということか。
情報と物流における革新が進めば、小規模店が安価を武器にして生き残るのは大変そうに思うが、はたしてこの情景がいつまで続けられるものなのだろうか。
ただ、それに乗りにくい商品分野もあるとはいえそうだが。

小生としては、品揃えに期待したところ。そう思ってしまうのは、御徒町駅と松坂屋の間に、わざわざ立ち寄る店があるからだ。
吉池である。
訪れる度に不思議感を覚えるのだが、品揃え豊富な生鮮魚介のお店があるのだ。築地場外は時間的な問題もあるし、専門店だらけだが、ここだとワンフロアーで様々な現代の「旬」モノが見れる。業態としては食品スーパーだが、東京から消えてしまった魚屋さんが、大型化して残っている訳である。
このお店もついにリニューアル。
 −御徒町吉池本店ビル−
   ・吉池(新業態)
   ・UNIQLO,ユザワヤ,・・・
生鮮魚介売場以外は眺めないから、新業態がどんなコンセプトか存じ上げぬが、頑張ってほしいもの。

小生は、魚介とデパ地下だけでも、貴重な観光資源だと見るが、どうなのだろう。
上野公園と連結させてコンプレックス化すれば、海外から来た人にとっては驚異的だと思うが。

もっとも、<上野>に期待できるのかはなんとも。文化施設だらけで、集客力では類稀なる力があるにもかかわらず、個別のバラバラとした取組だけで、総体としてはほったらかし地域で来たのだから。要するに、一見さん観光客相手で結構という土地柄ということ。従って、上野でクレープシュゼットで一休みという雰囲気には程遠かったのである。
それが、ようやく方向転換を始めたという感じ。

1933年だと、「上野驛」、「地下鐵ストーア」がウリ。
外部から見れば、なるほど、このレトロ感を持ち続けたかったのだなと納得。なにせ、東京のなかでは、ホームレスの方々を暖かくむかえるという、特異的な駅として有名だったからである。
ようやくにして、その路線から脱却したという感じか。
 上野松竹デパート→上野の森さくらテラス
   ・上野バンブーガーデン
   ・UENO3153

教科書的に観光産業振興を考えるなら、浅草寺-上野公園-上野広小路をつなげて一大集客力を発揮するとよいのでは、ということになるが、そのようなモメンタムは一度も働かなかったようである。もしもそうしていれば、浅草-上野間の合羽橋道具街散策の魅力も高まるので、相乗効果が生まれていたに違いないが、残念至極。

東武線のターミナルである<浅草>は、京成線のターミナルの<上野>とは、文化的に違うということなのか、互いに独自路線がお好きなようだ。今も、東京スカイツリーの集客力で浅草繁栄をとの方針に見える。上野圏では無い訳だ。
もっとも、だからこそ、1933年に紹介されている「浅草松屋」が、小規模店舗化したものの、残っているとも言えそう。外装をアール・デコ調に戻し、純粋の駅ビル「EKIMISE」になってしまったとはいえ。


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