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2010年1月28日
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【古都散策方法 京都-その13】
チャンスがあれば、大徳寺で作品を鑑賞する。

大徳寺では、拝観ムードでの観光は避けたい。
 素人的には、大徳寺は、一休さんや、沢庵和尚のお寺と言うのが一番馴染む。どちらも威厳ある“高僧”でなく、民衆と目線が同じ“お坊さん”だから親しみが湧く訳である。
 しかし、実態から言えば、このお寺は庶民的というより、高尚な感じがする。にもかかわらず、大衆的なイメージがかぶさるのは、足利幕府に頼るようなことをしなかったからだろう。妙心寺と同じだ。
 そして、足利幕府が倒れた後に一時代を作り上げたのである。

 お寺を見るとわかるが、妙心寺と同じように、勅使門、三門、仏殿、法堂が南北のほぼ直線上に並ぶ正統な構成。観光ガイドブック的には、そんな伽藍配置を知った上で、千利休像を安置したといわれる三門と、聚楽第の遺構の唐門を眺めるのがお勧めらしい。その上で、有名なお庭拝見となる訳だ。
 小生は、そんな建物や庭の外観を見るためにこのお寺に行く気がしない。

 建造物をスポット的に眺めたり、観光客に混じって有名なお庭を眺めたところで、このお寺の場合は、文化に触れた感じがするとは思えないからだ。
 それなら、美術館のように、所蔵する芸術作品鑑賞に行くと割りきったほうがよいように思う。
 そんな感覚を理解して頂けるだろうか

 お蔭で、小生は、このお寺を拝観したことがない。行かなかったのではない。行ったのである。大勢の拝観者を見て、入る気になれななかっただけ。それ位なら写真集で十分と感じてしまうから。もちろん一度ではない。
 まあ、考えてみれば、混み合うのは当たり前。特別拝観と言われれば、どうしても見たいという人は万難を排して訪れるにちがいないからである。拝観者数が少ない筈がないのである。
 混み合わない日の時間帯を狙って行けばよいのだが、残念ながら、なかなかそうはいかない。残念至極。

見たいものは茶面なのだが。
 何故、そんなに見たくなるかといえば、このお寺の真骨頂はお茶室だからだ。方丈拝見にしても、その延長上。
 お庭にしても単独で意味があるものではない。お部屋からの眺めとして重要な一角を占めるだけに過ぎず、美術品等の部屋の装飾と一体だから面白いのである。
 ただ、茶道具拝見だけは、興味ある人にとっては、それだけで十分な価値はあるが。
 話が道具にどんだが、茶席にしても、そこだけ取り出しで考える訳にはいかないのは常識。茶席に至る過程が重要だからだ。従って、お茶室拝見は、仏殿や仏像拝観とは訳が違う。  門をくぐり日常生活から離れるところからが勝負。お茶室の中までの連続した風景あってこそのお茶室である。
 それを味わうというのは、観光地では高望みではある。しかし、このお寺は、それを味わえる場所だらけ。一度は行きたくなる心を抑えるのは難しい。

 そんな人は少なくないと思うが、このお寺はそれに応えてくれる訳でもない。常時公開の塔頭もあるが、基本的には非公開なのである。まあ、観光業ではないのだから、当然の姿勢ではあるが、もう少しなんとかならぬかというのが正直な気持ちである。

茶道の流れを見たければ多分このお寺しかない。
 ここまで書けば、何を見るべきかは自明。ここは伽藍構成ではなく、そのなかに存在する塔頭をゆっくり訪れるべきということ。
 後で示す地図で示すように、妙心寺ほどではないが、その数は20を越える。それぞれが独自の茶文化を継承していそうだ。それこそが本来の茶道と考えるからでもある。

 小生は素人だが、茶道とは、工芸・芸術・建築を愛でる行為と、四季を感じさせる象徴的なものを、幕の内弁当のように詰め込んだものと理解している。
 ただ、普通の鑑賞とは違って、茶席の主催者と一緒になって、鑑賞の場をつくる行為あってこそのもの。同時に、それは、“同じ釜の飯を食す”ことで仲間になるのに似て、“同じ茶碗から飲む”ことで精神面で知己関係を作りあげることでもある。
 従って、そこには、ただならぬ精神的緊張感が生まれる。この緊張感なきものは、茶道ではなかろう。

 逆に、この緊張感が生まれるなら、どんな詰め込み方をしようが勝手では。草庵での侘びの境地が正統ということでもなかろう。二畳一間での一期一会もありうるし、金の茶室で悦に入るのもあり。
 大名の茶事にしてから、キリシタン型、商人・武士の身分超越型、、座禅風の質実剛健、絢爛豪華、と種類は豊富な筈。これとは別に、公家が伝えてきた雅の美的感覚を取り込んだ茶席でもかまない筈。
 画一的な茶の湯など本来あり得ぬ。それは他人のファッションの“物真似”でしかない。

 しかし、まあ、それは理屈。
 現実にはどうなっているのか気になるところである。大徳寺を拝観すればそれがわかってくるとも思えないが、塔頭の茶席を眺めれば、感ずるものがあるかも。そんな期待を抱かせてくれるお寺なのである。

亜流芸術的な見方はしたくないものである。
 ちなみに、小生の好みは、現代の潮流とは違い、小さくてほの暗く閉鎖的な書院型。もちろん、床の間の文化を感じる名物と、一輪挿しが不可欠。
 結構、この感覚を共有できる人は多いのでは。
 これの、なにが良いかといえば、室内に入っただけで、日常から離れた、清涼感、静寂感、静謐感が一気に漂ってくるからである。文字で表現すればなんということもない感覚だが、説明は結構難しい。
 新しくて清潔な整理整頓された環境を求めているのではない。乱れはあって結構なのである。
 雑音を完全に遮断し、ただただ静粛にしようというのとも違う。足袋と畳の擦れる音に気付かされたり、湯が沸騰する音を心地よく感じたりすることが嬉しい訳だ。
 当然ながら、心を動かされる色彩や造形を消そうというのでもないし、香りを拒否することはない。たとえ一輪の花しかなくても、そこから野の景色を想像することになる。たった一語で情景を彷彿させてしまう俳句のようなものである。

 それに、狭い部屋でも、閉塞感が生まれないのがなんとも不思議ではないか。幼児がダンポール箱に入って、自分の世界に陥るようなものかも。
 このことは、この感覚は、大人が普通に持っているものではないことを意味しそうだ。社会的な訓練で身についたに違いないのである。つまり、日本のアイデンティティとして、大切にされてきた感覚ということではないか。
 平安貴族や信長・秀吉の派手な建造物が完璧に消し去られたのは、この感覚に逆らったからかも。

 冒頭で述べた、ガイドブック持参の観光客の群れと一緒になって、このお寺の塔頭に入りたくない理由は、ここら辺りにある。
 庭と言えば、やれ、須弥山(仏教)だ蓬莱山(神仙思想)だと囃し、陰陽道や縁起担ぎの数字合わせの解説などされたのでは、正直のとろ辟易してしまう。
 こんな意味づけは、竜安寺の時に触れたように、エスプリならではの面白さ。真面目に受け取れば、その瞬間、亜流の造形芸術と化す。低俗なことこの上なし。

 だいたい、こんな雑念の塊のような感覚で眺めるためのお庭なのかね。日本全体を池に見立てて、全土支配感を味わって楽しむ為政者の喜びとどこが違うのかさっぱりわからず。
 そんな感覚で拝見するなら、このお寺に行く必要などなかろう。

 ちなみに、思想性を感じるお庭が見たいなら、小生のお勧めは京都御所。開放日が限られてはいるので、気軽に行けないのが難点ではあるが。
 ここの萩壷と呼ばれる庭を一度見ておくとよい。
 間違ってはこまるが、どうということもない設計である。よく刈り込まれた一種類の小木が、広くない一画にバラバラと植え込まれているだけ。土は白砂で覆われている。
 眺めればわかるが、この作庭は脱帽もの。これぞ御所という感覚に引きづり込まれるのだ。見た時は、萩だとは知らなかったが、その選択も秀逸。
 それに、つまらぬ寓意をつけないのがよい。それこそが雅。

 ついでだが、コレクション拝見なら、素人が東京から京都までわざわざ遠出することはなかろう。小生は、根津青山や原三溪が選んだ逸品を見に行くだけで十分だと思う。

塔頭は茶席だらけ。
 尚、大徳寺の場所は、地理的には、西陣の北。表・裏千家の茶室西側の、堀川通りを北に上り、北大路通で西に向かえばすぐ。と言っても、1Km程度はあるが。
 もともとは、雲林院の敷地にだったそうである。そのお寺は、大徳寺東側の旧大宮通(大徳寺道)を南に下ったすぐの場所にあり、大徳寺開山大燈国師像を安置しているとのこと。
 と言うことで、塔中を調べて拝観したいところを選びたいところだが、生憎と非公開ばかりでどうにもならない。観光企画課のデータに登場する塔頭はおそらく公開してもよいとの姿勢だと思われる。
 もちろん、ご存知のように、通年公開している塔頭もあるから、その一つと、今宮神社を組み合わせた観光コースが流行っている可能性は高い。一番の目玉は、多分、神社参道で食べるあぶり餅の方。時代劇ドラマ好きなら、堪能できそうだから。

 [参考] 京都市観光文化情報システムの情報
  (C) 京都市産業観光局観光部観光企画課
   雲林院 >>>
   瑞峰院 >>>
   龍源院>>>
   真珠庵>>>
   大仙院>>>
   高桐院>>>
   黄梅院>>>
   芳春院>>>
   聚光院>>>
   三玄院>>>
   興臨院>>>

 と言うことで、ここは観光ではなく、別途伝手を頼って、行きたいところの茶席に呼んでもらうしかなさそうである。素人に毛の生えたような、お茶好きには無理な願いかも知れぬが。
 以下にまとめてみたが、茶席の数は半端ではない。

〜大徳寺の塔頭〜 [注意: 正確性の保証はできかねる. ]
-塔頭- -茶席- -他-
龍源院 参雨軒
東滴壺 壷庭
一枝坦 鶴亀島
龍吟庭 三尊石組
こ沱庭 聚楽第の阿吽の石庭
瑞峰院 安勝軒
余慶庵
平成待庵
閑眠庭 キリシタン灯篭と十字架見立て石
独坐庭 蓬莱山と荒波
大仙院 生しょう室
拾雲軒
“書院用枯山水石庭”
高桐院 松向軒(北野大茶会用)
鳳来
意北軒(利休邸)
楓の庭 楓+苔庭+灯篭
黄梅院 昨夢軒
不動軒
直中庭 一面苔+瓢箪池+朝鮮灯篭
破頭庭 シンプル
作仏庭 生々流転イメージ
大慈院 頓庵
徳禅寺 向東庵
骨清庵
養徳院 閑雲席
興臨院 涵虚亭 方丈前庭 蓬来世界
正受院 瑞応軒
三玄院 篁庵
自得軒
真珠庵 庭玉軒 通僊院庭園 露地庭
七五三の庭 伝村田珠光作
芳春院 松月軒
落葉亭
呑湖閣(二重楼閣)
花岸庭 山渓流水が大海へ帰るイメージ
龍泉庵
如意庵 玄庵
聚光院 閑隠席
桝床席
百積の庭 苔庭に直線上に多数の石
総見院 寿安席
香雲軒
ホウ庵
龍翔寺 韜光庵
玉林院 南明庵
蓑庵
霞床席
龍光院 密庵 【国宝】
大光院 蒲庵
孤篷庵 忘筌席
山雲床
直入軒(書院)
方丈南庭 近江八景
瑞雲軒
竜泉庵
[出典] http://www17.ocn.ne.jp/~verdure/zengo/daitokuji2.html
     http://www.ne.jp/asahi/kiwameru/kyo/chaseki.htm

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