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【古都散策方法 京都-その12】 東福寺で頭を捻る
〜 ここらで一寸一言。 〜
京都散策シリーズも12回目になってしまった。何を思って書いてきたか、ちょっと触れておこう。
まず確認だが、散策の理屈らしきものも述べてきたが、そんなものに、たいした意味があろう筈がない。ここが肝心。
散歩のたびに考え方が変わったり、たとえ、それが矛盾していようが、どうでもよいのである。芭蕉のように、人生を賭けて歩もうというのではないのだから。・・・そんなつもりで書いてきたのである。要はどう気分転換するか。
しかし、それなりに意味付けして、自分を納得させてから散策するのは悪いことではない。それが、たとえ“格好をつけた”ものでも、気にすることはない。
なぜかといえば、そうすることによって、自分の感性を磨くことができるからである。京都風に言えば「見立て」か。こんな経験は、そうそうできるものではない。だから散策はお勧めなのである。
その場合、注意すべきは、お仕着せの“お散歩コース”を選ばないこと。そんなことをすると台無し。いくら、心静かに歩いたからといってどうにもならないのである。他人と同じ感性であることを確認し、それを嬉しがるだけで終わるしかないからだ。
例えばこういうこと。
加茂川と高野川の合流地点からは、北山が望め、神社の森が連なり、京都らしさが心に染みる風景という話を聞く。本当かな。小生には、そこは子供用“お遊技場”に映るが。“お仕着せ”の情緒にはとてもではないが浸れないのである。
感性を磨かないと、見える筈のものが見えないのだぜ。
〜 もう一言。情報は必要だが、それだけではたいしたものは見えないのだぜ。 〜
そうそう、情報源について触れておこう。写真は別として、小生が利用したのは以下のようなもの。ほとんどウエブ。尚、記号のアルファベット順に並べた。
(B) 個人の訪問記ブログ
(G) 観光ガイドブック(目次)
(I) 自治体・観光協会・交通機関等の案内ページ
(J) 神社網羅サイト (「神奈備」、「玄松子の記憶」)
(M) ウエブの地図
(O) 寺社等の公式/関連(リンク)ホームページ
(S) 寺社周辺のお店のホームページ
(W) Wikipedia
言うまでもないが、(G)は“お仕着せ”ルートを避けるために見た程度。時間を有効利用して色々回りたい人や、有名スポットを沢山見たい人用には、よくできたものが多いが、小生の散策の目的には合わないので、役に立たない。
一般情報は(W) (I) (O)から。じっくり見ることはない。どれも、二次か三次情報だろうし。
このなかで、(W)は、項目によって、充実度にえらくバラツキがあり、知りたい情報が欠落していることも多いが、圧倒的に役に立つ。一方、(I) (O)は、編集者の視点でまとめられすぎており、余り面白くない。データ確認にはよいが、揃っているとは限らない。データベースという名前がついていても、データを揃えようと考えているのではないことがよくわかる。
(S)は、(O)が情報不足の時、補足となるといったところ。探すのに手間だが。
(J)はほとんど見なかった。京都は寺が中心なので。
このなかで、役に立ったのは(B)である。ただ、文章は面倒なので一切読まなかった。風景写真も見ずにすべてとばした。それでは、何を見たかといえば、現地の案内・解説看板類の写真。現地では読んだりするが、すぐに忘却のかなた。これが撮られているのは有難い。それだけのこと。
あとは、(M)を多用した。歩いた場所がどうなっているか、地図を見ればすぐわかるので便利この上ない。地図によって情報量が違うので、複数見た方がよい。
一言でまとめるなら、知りたいと思うことは書かれていないということ。結局のところ、貴重なのは、自分の体験や、今までのあやふやな伝聞。ただ、それが光ってくるのは、Wikipediaを中心とする一般情報をざっと眺めまわすから。有る程度情報が集まってくると、突然にして、そこになにか感じるのである。
こんなことをだらだら説明しても、興醒めか。
紅葉で超有名な、「東福寺」でどういうことかお示ししよう。
〜 由来を考えて伽藍を眺めると、東福寺の面白さに気付かされる。 〜
このお寺、不思議なところがあるのだが、ボゥーとしているとそれを見逃してしまう。
お寺の名称の由来を聞いて想いめぐらしていると、なにげなく見ていた風景が一変してくるといったところか。そんな感覚が生まれると、ここは高雄の紅葉とは違うのではないかと思い始めたりするのである。
よく知られるように、この名前は、平城京の“東”大寺と興“福”寺の名称を頂戴したもの。古代から連綿と勢力を維持してきた藤原一族のお寺であることを、新たな地平で示そうということでもあろう。それは、中臣、藤原、九条という氏の変化でもあるのかも。
それではどのように誇示しようとしたのか。それを読み解こうと眺めると俄然面白くなってくる。
藤原氏の過去を振り返ってみると、平城京では、春日大社を拠点としていた。その力は、東大寺-興福寺辺りに及んでいたと見て間違いはなかろう。大仏がご本尊ではあるが、東大寺は、春日大社の奥山を神聖なものと考えた山岳宗教色も濃い。山信仰の根強さは特筆もの。
密教はそれとの整合性がよいが、禅宗はそうでもない。京の巨大禅寺といえば平地の立地であることでもわかる。ところが、東福寺だけは山にある。しかも、境内に渓谷まであるのだ。他の禅寺とは系譜が違うことを示したかったのではないか。だからこその紅葉でもありそうだ。吉野山の桜植樹のように、渓谷一帯に徹底的に植林したのでは。
これでは荒っぽすぎるかな。
それなら、まず、全体概念図を見て欲しい。前回の妙心心と全く違うことがおわかりだろう。
そもそも、寺域がよくわからない。塔頭は多いのだが、民家や学校と同居している部分が多すぎるからだ。実に開放的。その一方で渓谷があり、東側は山ときている。そして、なんといっても広い。せせこましさは全く感じられない。この状況を見れば、色々経緯があって、こうなったとの感慨で終わるかも知れぬ。だが、よくよく見ると、なにかおかしい。
直感にすぎないが。
細かく、門を見てみようか。
【仁王門】
・北から入ると仁王門。門というより展示物扱いだから、なんか違和感。
・幼稚園付属の別な建物のようでもある。
・禅寺の門に仁王が立つのを見たことがないが。本当かいな。
・ただ、仁王はどこにあるのかわからない。
・どうして、北西のはずれにこのような門が必要なのか見当もつかぬ。
【月下門】
・桧皮葺。門跡寺院用の門かな。。
・地形的には、開山堂の門ということか。
・御所の門を頂戴したらしいから、紫宸殿南庭の西側中門の月華門なのだろう。
【日下門】
・中門に対応する内側の門。
・月下門に合わせた命名かな。
・ただ、御所の日華門は東側の中門で方角違い。
【三門】
・超巨大。
・二階が重そうでバランス悪し。
・屋根につっかえ棒がついているのが、無理な設計だったことを示している。
・東大寺南大門を禅宗風にアレンジしたものかな。
・額は「妙雲閣」である。これは二階のお堂の名称だと思われる。
・概観は枯淡だが、説明によれば、二階内部は極彩色らしい。
【六波羅門】
・これが三門に至る南門に当たるのだろうか。
・瓦葺。
・六波羅政庁の門らしいが、それが何故必要なのか皆目わからず。
【勅使門】
・場所は境内の南だが、南向きではない。
・どうして、わざわざ、六波羅門に直角の向きに立てる必要があるのかな。
こうして見ても、全く気にならない人もいるし、なんなのか不思議に感じる人もいる。人それぞれ。
小生が気になったのは、勅使門-放生池-三門-仏殿-法堂-方丈/庫裏域が南北に一直線に並びそうなものだが、そうなっていない点。再建は大仕事だから無理だったとはいえるが、なんとなく違和感を覚える。
法堂は再建できなかっただけだろうが、勅使門の位置がずれている。移設上、やむを得なかったといえばその通りかも知れぬが、そんな軽く考えてかまわないことかな。直角配置なのだから。
その点では南禅寺もどうも違う。一直線dが方角が南北でなく、東西である。三門は巨大だが、仏殿は再建されていない。勅使門も駐車場近接で大事にされているという雰囲気は感じられない。観光地はこうなるものだと言われればそれまでだが。(尚、お寺から離れたところにも正式な門がある。)
なんとも言えぬが、東福寺の勅使門は、仏殿にお参りするだけではなく、五社成就宮(石清水、賀茂、稲荷、春日、日吉)参拝門を兼ねているのようにも思えてくるのだが。山側の鐘楼は、この神社用としか思えないが、鎮守様でそこまですることはなかろう。
実は、そんな邪推をしてしまうのは、以前訪問した時、山側に由来がわからぬ岩が祀ってあったから。ここはもともとは山信仰の地だったが、それを禅寺が吸収したということ。このお寺には、なかなか複雑な経緯がありそうなのである。裏山は皇室墓地に近い訳だし。
法堂が再建されていないのも気にかかる。議論をかわす場で重要だと思うが。僧堂は仏殿から離れているから、これは大勢の僧侶が座禅するお堂なのは明らか。代用にはなるまい。それに、蒸し風呂(浴室)と巨大便所(東司)があるなら、食堂の建物も焼け残ってもよさそうに思う。
と考えていくと、「伽藍づら」というのは、禅堂としての伽藍を整然と揃える意味ではないことに気付く。 頭でっかちで棒で支えるような巨大な三門があるということは、仏殿も超巨大にしたかったということ。つまり、東大寺大仏殿を目指したかった訳だ。巨大な釈迦如来の安置を考えていたに違いないのである。東大寺型禅寺というのが、このお寺の一大特徴である。
東大寺の象徴は若草山と御蓋山奥山だったが、東福寺は渓谷「洗玉澗」となったということ。
そんなことを考えると、実に味のあるお寺だということがわかってくる。ここが、一番日本的な禅寺なのかも知れない。
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