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2010年2月5日
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【古都散策方法 京都-その16】
送り火をぼんやりと見やる。

五山送り火こそ京都の象徴。
 神社信仰の話をしたら、仏教のほうもしておかねばなるまい。そうなれば、なんといっても“五山送り火”だろう。  京都の一大風物詩であり、「盂蘭盆会の魂祭」そのものである。

 しかし、京都以外の地でも、大文字焼が無い訳ではない。箱根にもあると聞いたことがある位で、珍しいものでもない。

 この五山送り火だが、起源はよくわかっていないとされる。由緒らしきものを読むと、いかにも後付けらしいものが多いが、それも又京都らしくて読む方は面白い。
 と言うのは、東京の人間から見れば、どうしてこのようなことが行われたのかは、自明に近いからだ。そして、起源がよくわからないとする理由も、なんとなく理解できる。邪推の可能性も無い訳ではないが。

 要するに、発祥の過程を詳らかにしたりすると、厄介な対立を引き起こしかねないから、思ったことは口外せずということ。当たり障りのない、起源を色々と作っておくだけにしておけということ。
 それでなくても、昨日の友は今日の敵になりかねない土地柄。盂蘭盆会で覇権争いなど御免被るということだろう。

仮説:五山送り火の起源。
 それでは、どのようにこの五山送り火の儀式がうまれたのか、想像話で描いてみようか。

〜五山送り火〜
http://www.gozan-okuribi.com/
-表現- -場所- -担当- -起源-
大文字 銀閣寺の裏山
如意ヶ嶽の支峰
大文字山
浄土院の檀家
(浄土宗)
1 空海
2 足利義政
3 近衛信尹
妙・法 松ヶ崎
西山と東山
湧泉寺の檀家
(日蓮宗)
1 日像上人+日良上人
 
 
舟形 西賀茂
船山
西方寺の檀家 1 円仁
2 「大-乗」
3 燈籠流左字体
左大文字 大文字山 法音寺の檀家 1 弘法の字体
鳥居形 嵯峨
曼陀羅山
有志 1 空海
2 稲荷大社
3 愛宕神社
【1】 奥嵯峨での送り火
最初は、文字や図形ではなく、単なる小さな送り火。それはどこかと言えば、奥嵯峨である。その火が都の中心部から見えたのだと思う。
だからといって、他の山も行ったということではない。化野の後背地の山での送り火だからこそ心に染みるのである。そこは、戦乱で消えていった、膨大な無名の人々のお墓でもあるからだ。

【2】 法華経信徒の送り火
この火に心を動かされたのが、松ヶ崎の日蓮宗徒だと思う。延暦寺の僧兵によって、住んでいるその場所でも、多くの信徒を失った経験が頭から消えないからだ。その霊を送るための送り火を東側の山で焚こうと考えるのは自然な流れ。
もともと法華経を信奉している延暦寺と、法華経一途の日蓮宗の対立を考えると、精霊を送るなら、「法」にしようというのは、行動型宗教である日蓮宗の指導者としては当然の姿勢。
そして、その文字を目にした京の人々は一瞬にして意味を理解したに違いない。皆、戦乱は嫌というほど経験しているからだ。

【3】 日蓮宗の送り火
その流れで、松ヶ崎の人々は、さらに「妙」を追加したに違いないのである。本来なら、妙法の位置は逆であるべきだが、「法」と位置を交換する訳にはいかなかっただけのこと。

【4】 小異を防ぐ大同の送り火
その次は、「大」。「妙・法」で法華経の対立が再燃したり、“南無妙法蓮華経”ではなく、“南無阿弥陀仏”にというような話が持ち上がったのではたまらないから、他の宗派にも送り火をと考えたた宗教指導者がいたに相違ない。
おそらく、相国寺。
経典対立には無縁の、空也の念仏三昧系の宗徒を支援して、銀閣寺の裏山での送り火を始めたのだと思う。
「大」にしたのは、文字が読めない人々にもわかるようにしたにかったということだろう。そんなことを考えるのはこのお寺位のもの。

【5】 経典解釈を超えた送り火
当然ながら、相国寺としては、銀閣とくれば、金閣もとなろう。それが、「左右逆の大」。対照的な表現をするなど、いかにも、シュールな銀閣寺を生み出したお寺の考えそうなこと。智恵を凝縮した表現で人々の心を動かそうと図ったと言ってよいだろう。
文字に心が宿るという感覚を持っていた人々にとって、「大」の鏡像の登場が衝撃を与えない筈がない。送り火位、経典解釈の違いから派生する対立を超えたらどうなのという呼びかけであることが、伝わったに違いないのである。

【6】 都をあげた送り火
その結果、都全体での行事にするしかなくなってしまったのである。そうなれば、統合的な象徴が必要となる。それには、産土神の地の加茂しかなかろう。誰が考えても、鴨川での精霊流しだ。それが「舟」。

【7】 原点である無縁の精霊の送り火
さあ、そうなると、もともとの発祥の地だけが、なにもなしという訳にはいくまい。火迺要慎の護符の愛宕山がずっと奥に控える地だから、これは「鳥居」以外に考えられまい。

京都ではものごとを曖昧にしておくことが人生の知恵。
 このシナリオが当たっているのかは知らぬ。しかし、もともと、そんなことは当たり前なのかも。

 小生は、こういうところが京都の風土ではないかと睨んでいるのだ。
 余計なことは絶対に言わず、とぼける。その通りと思っても、その場では肯定などしないのが普通。従って、考えていることや、知っていることでも、すぐに話してくれることは稀。外部の人間にしてみれば、嫌がらせに感じてしまるが、多分、内部でも同じようなものだろう。それが、京都の知識階級のたしなみかもしれないのである。
 東京からすれば、これは「愚」そのものに映るが、それは甘いというもの。1000年にも渡って、それこそ訳のわからぬ対立で豪い目にあってきたのである。たった一言で、まかり間違えば、命や全財産を失うこともあり得る土地柄。
 正直に言わないのは、経験論から来た教訓であるのは間違いない。

 この文化を理解すると、京都の知識階級が茶の湯を必須と考える理由もよくわかる。
 考えてもみればわかる筈。
 僅か一杯の抹茶で、たいした話もせずに、共に数時間も過ごすのだ。しかも、狭い部屋のなかで、ほとんど身じろぎもせずに。参加者も様々だ。身分も違えば、思想を共有している訳でもない。そこえきて、茶碗を共有させられる。
 互いに分りあえるか、じっくり試している場といえないこともなかろう。

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