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2011年1月14日
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【古都散策方法 京都-その59】
京都の仏像拝観 [千手観音]


「千手」は、1,000本が正式なのかも。
 十一面観音についてなんとかまとめてみたが、そうなれば、次は千手観音ということになる。これまたどう考えるべきか迷う。
 ちなみに、「洛陽三十三観音札所」で千手観音とされているのは、、革堂、金戒光明寺(黒谷)、仲源寺[坐像]、城興寺、清水寺-本堂/奥之院本尊[坐像]/朝倉堂/泰産寺、蓮華王院(三十三間堂)。このなかなかには、十一面も兼ねている像もあるし、二十七面や三面もある。どうして統一されていないのか、よくわからない。
 それに、ご存知のように、千手というが、実際は40本程度に留まる。まあ、その理屈もあるようだが、それなら、すべてそうかといえば、そういう訳ではない。稀とはいえ、1,000本像が現存しているからだ。
  ・ 唐招提寺 ≫ (C) 唐招提寺
  ・ 葛井寺 ≫ (C) 藤井寺市
  ・ 寿宝寺[京田辺市]-宝物殿 ≫ (C) 小泉芳孝

 ともかく、この多臂さは、尋常ではない。お蔭で、どうしても異様な感じを受ける。しかも、不空羂索観音と同じように、額に三眼。それだけでないのだ。それぞれの手にも眼があるそうだ。そんな話をきくと、ますます、奇怪感に襲われる。

持物から見れば、千手観音は天や明王の合体像と言えそう。
--- 持物[三昧耶形] ---
持国天
増長天
広目天
多聞天(毘沙門天)
梵天
帝釈天
吉祥天
刀剣(戟)
刀剣(戟)
筆、巻物 or 三鈷戟
宝棒、宝塔
払子、鏡、柄香炉
金剛杵、蓮茎
宝珠
金剛夜叉明王
不動明王
愛染明王
金剛杵、弓矢、長剣、金剛鈴
三鈷剣、羂索
蓮華、弓矢
金剛力士
十二神将
金剛杵
不空羂索観音菩薩
如意輪観音菩薩
羂索、開蓮華
宝輪、宝珠
大日如来
虚空蔵菩薩+地蔵菩薩
薬師如来+日光・月光菩薩
宝塔
剣、宝珠 + 錫杖、宝珠
(薬壺) + (標幟)
 持物がこれまた皆目わからない。40ほどの手にそれぞれ別な物。
蓮華や宝珠なら、いかにも釈迦からの伝統という気にもなるが、ほら貝や髑髏杖まであるし、余りに多岐に渡るのでなにがなんだか状態。ただ、武器を中心とした感じがする。そのため、どうしても、“天”や“明王”の持物を集めたように映る。
 ということは、それらを一体化した像と考えるべきかも。

 さらに、瓶や日輪/月輪は薬師信仰を取り入れているようにも見えるし、錫杖はどう見ても地蔵菩薩の持物だ。そうそう、宮殿は大日如来を想起させる。と言うのは、独鈷杵や三鈷杵といった密教の呪術用具が含まれているからだが。
 まあ、なんでも取り込む密教仏といったところか。

律令国家の戒に係わる仏像でもある。
 ただ、鑑真の寺である唐招提寺に重要な仏像として安置されているのだから、特別な意味があったに違いない。
 東大寺でも、三昧堂(四月堂)の本尊は千手。もっとも、もともとは普賢堂で、仏像は法華堂から移転してきたとか。経緯のほどは素人にはわかりかねるが、戒壇院には千手堂があるし、今は無い講堂にも千手観音像が安置されていたとされる。
 こんなことを考えると、この仏像は、律令国家の戒にかかわるものだった可能性が高い。三本柱と考えるとよいのかも。
  ・国家鎮護は千の仏様が降り注ぐ毘盧遮那仏
  ・為政者の災禍を消去する薬師如来
  ・衆生を救済するべく僧侶が帰依すべき千手観音菩薩
 東大寺の観音菩薩は山岳信仰と結びついていたようだから、戒もさることながら、僧侶として観音の霊感を頂戴する神聖な場でもあったということだろう。
 清水寺はいかにも山岳信仰で、この流れを受け継ぐもの。さらには、東京・上野公園の寛永寺[天台宗]清水観音堂はそれのコピー版ということのようだ。要するに、一般信仰には難しそうな戒の部分を薄めたということ。

三十三間堂は特定の経典が典拠らしい。
 一方、山岳信仰とは思えない流れも。三十三間堂はどうみても東大寺流とは無縁。なにせ、千手観音立像の一大行列。これには圧倒されるが、一躯の仏様に対する深い帰依の念は湧かなくなるから、この手の信仰は本流にはならなかったようだ。
 それでも、建物の33間は明らかに法華経の33変化を意味しているし、千手が千躰に変わったという感覚は伝わるから、人々が大切にしたくなったので、今もって残っているということなのだろう。
 おもしろいのは、湛慶作本尊は立像ではないこと。巨大立像だとバランスが悪いということもあろうが、阿弥陀如来イメージも加わっているのではないか。お堂は、正式名称が蓮華王院本堂で、南北に長い建物。明らかに、東の山を臨む形だから。
 このお寺の見所は、千体もさることながら、風神・雷神像と二十八部衆像が揃っている点。
 この眷属の典拠は、空海が持ち込んだ、善無畏(637-735年)翻訳の「千手観音造次第法儀軌」だそうである。結果、二十八部衆は日本独特なものになっているようだ。
[***二十八部衆***密迹金剛,那羅延堅固,東方天,毘楼勒叉天,毘楼博叉天,毘沙門天,梵天,帝釈天,毘婆迦羅王,五部浄居天,沙羯羅王,阿修羅王,乾闥婆王,迦楼羅王,緊那羅王,摩侯羅王,金大王,満仙王,金毘羅王,満善車王,金色孔雀王,大弁功徳天,神母天,散脂大将,難陀龍王,摩醯首羅王,婆藪仙人,摩和羅女]
 と言うことは、混沌状態にあった中国仏教に触れ、様々な経典を同時に導入した空海型密教の伝統を引き継ぐもののような気がする。

普陀山信仰も同時期に広がったようである。
 善無畏の経典もさることながら、それと共にb不極から持ち込んだ思想がある。「補陀落渡海」だ。大元は、3世紀頃西域で編纂された華厳経死者の魂が普陀洛山へとのぼるというもの。古代の山霊信仰と思われるが、経典では善財童子の話があるそうだから、それとは少し違うのかも知れない。吐蕃(現在のチベット)の影響もあるのか、中国の補陀落山信仰は深いものがあったようで、日本から渡った慧萼が916年に開山した地は今もって仏教聖地とされている。道教との習合の気がしないでもないが、釈迦如来の娑婆(穢土)に対して、他界(仏国土)信仰が一般に広がったということか。
 日本では、普陀落=大海の山という箇所が強調されたようで、那智勝浦捨身行(868-1722年)へと繋がった。そうなれば、ご本尊の観音菩薩は渡海を実現する尊像となるから、異国の信仰対象である天・明王以上の威力を持つ像が求められる。千手観音はその役割を担ったということか。
  ・補陀洛山寺 ≫ (C) 郡那智勝浦町
 渡海信仰のお寺は他にもあったのではないかと思われるが、よくわからない。小生は、北九州の寺には類似の思想があったと思う。探してわかるようなものではないが、以下のお寺は候補。勝手な推量なので信用されてもこまるが。
  ・梅谷寺--鎌倉期 ≫ (C) 宗像市
  ・大悲王院 (福岡県前原市雷山) ≫ (C) 九州八十八ヶ所百八霊場会

このような混沌とした信仰を考えながらの拝観をお勧めしたい。
 さてそれでは、どう拝観すべきか。
 この混沌とした状況を実感するなら、神仏習合感がある西陣の聖天様に立ち寄るのもよいかも。もちろん中心は歓喜堂だが、不動堂、稲荷堂、庚申堂、観音堂も揃っている。
 千手観音像はかなりの数の手が喪失してはいるものの、それがかえって面相を際立たせてくれる。そこがよい。天や明王像に見られる武闘心や威圧感を感じさせることはないが、持物は習合を示す像なのである。
  ・雨宝院(西陣聖天宮)-観音堂 ≫ (C) 高見徹

 一寸調べると、他にも特徴のある像がありそう。
  ・月輪寺(嵯峨清滝の山岳寺院) [多分このお寺の仏像・・・写真販売サイト}≫ (C) PIXTA Inc.
  ・醍醐寺-霊宝館 ≫ (C) 醍醐寺
  ・京都国立博物館[寄託:光明寺(長岡京市)] ≫ (C) 長岡京市
 鎌倉期の像では、以下があげられる。
  ・地蔵院(通称竹の寺)[金銅・坐像]
  ・西明寺(槙尾山)
  ・正法寺(大原野) ≫ (C)

 尚、冒頭に示した「洛陽三十三観音札所」に入っていないようだが、有名なのは、巨大立像の東寺-旧食堂、立像と坐像がある広隆寺-霊宝舘(旧講堂)、二十七面の法性寺。坐像だと峰定寺。もちろん、日本独自の考えらしい六道対応の六観音が釈迦堂にある。
 そうそう、巨大像という点では、焼津にある曹洞宗のお寺、大覚寺全珠院が千手観音を安置しているそうだ。禅宗が密教的仏像を選定するのは素人からすればよくわからないところだが、中国で禅宗が生まれた頃を考えれば当たり前の話か。日本では、白隠禅師(1685-1768年)が十句観音経を普及したので、それに対応するのが千手観音像と考えた方がよいかも。
 素人話なので、尻切れ蜻蛉になってしまったが、今回は、このあたりで。
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