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2010年12月27日
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【古都散策方法 京都-その58】
京都の仏像拝観 [十一面観音]


 救国観音(55回)、如意輪観音(56回)、不空羂索観音(57回)と、観音菩薩像について書いてきたが、しばらく中断してしまった。飽きた訳ではなく、頭がまとまらなくなってしまったのである。
 洛陽三十三観音札所巡礼コースがあるから、京都にどんな観音像があるのかはわかる。しかし、様々なタイプがありすぎる。どうしてそうなるのか考え始めると、筆がさっぱり進まないのだ。

 考えてみれば、○○観音と呼ばれる像は、日本全国あちらこちらにある。それそれ、由来があり、他の観音さまとはココ違うということはわかる。しかし、そのお蔭で様々な疑問も湧いてくる。
  ・・・もともとの観音信仰は、現在慕われている“ご利益”とどう繋がるのだろうか? そもそも、様々な観音像があるが、現本尊像選択の理由は? といった具合。どうしても気になってしまうのだ。

 そこで、一寸、考えてみたくなった次第。

観音菩薩像は種類が多すぎ、素人にはよくわからぬ。
〜 洛陽三十三観音札所 〜
【天道】
如意輪
六角堂●
清水寺旧地蔵院
廬山寺
【人間道】
准胝
清荒神
長樂寺
【人間道】
不空羂索
法音院
【修羅道】
十一面
新京極 誓願寺
真如堂
大蓮寺
六波羅蜜寺●
今熊野観音寺●
東寺
正運寺
因幡堂
壬生寺中院
椿寺地蔵院
東向観音寺
【畜生道】
馬頭
 −
【餓鬼道】
千手
革堂●
黒谷 金戒光明寺
仲源寺
城興寺
【地獄道】
青龍寺
善能寺
長圓寺
福勝寺
清和院
十一面千手千眼

三面千手千眼
二十七面千手
清水寺本堂●/朝倉堂/泰産寺
三十三間堂
清水寺奥の院
法性寺
楊貴妃 (聖)泉涌寺
http://www.rakuyo33.jp/map.shtml
●: 西国巡礼札所 http://www.saikoku33.gr.jp/
 東京で“観音さま”と言えば一般に浅草寺のご本尊。もちろん秘仏。縁起は結構知られており、推古天皇の時代、隅田川で漁撈中取得とのこと。仏像を海に捨てさせたアンチ仏教派の話とつながっていそうだ。その頃からの観音信仰が今も続いているということのようだ。
 しかし、観音信仰の特徴は、そんな伝統より、新しい観音像が多いということの方では。
 絵画が多いようだが、散歩していると、子安観音、慈母観音、マリア観音との説明板が掲げられた像に出会うこともあるから、考える以上の観音像は多そうである。まあ、そう考えるのは芝の増上寺には山野愛子氏が願主の聖鋏観音があり、同様な像があっておかしくなさそうだし。
 一方、庶民的な通称名で呼ばれる像もある。巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵のお寺)には洗い観音、世田谷の豪徳寺には招猫観音、と各地にこの手の信仰がありそうな感じ。
 それだけではない。大船観音や高崎観音のような巨大コンクリート像もある。

 観音信仰の裾野は極めて広いのである。

 こうしてざっと眺めていると、新しい信仰コミュニティができるにつれ、観音像の種類がどんどん増えたと見たいところだが、どうも、もともと多岐に渡っていたようだ。そんな気になったのは、鎌倉の円覚寺のお庭にある石仏観音像を眺めたことがあるから。百観音と呼ばれており、どういうことなのかわからぬが、ともかく種類は多い。しかも、なんどなくインド的な感じを受けた、
 そして、同じ鎌倉には、駆け込み寺こと東慶寺に水月観音がある。人呼んで「鎌倉の美女」。たまたま、チラり程度の拝観をさせて頂いたことがあるが、中国的な作風。
 そう言えば、三田の魚籃寺には魚篭を持つ魚籃観音があるそうだ。もしかしたら、こちらは南洋風かも。
 このような状態だから、調べたりすれば、次々と異なるタイプの観音像が見つかり、きりがないかも。
 ただ、どの像にしても観音菩薩を表している訳で、目に見える形だけが千篇変化しているだけということになる。どうしてそこまでこだわる必要があるのか、不思議な感じがする。

 まあ、そんな感覚なものだから、観音信仰を少し考えてみたくなったという訳。しかし、素人がウエブで調べる程度では、さっぱり埒があかないということがわかった。
 と言うことで、これ以上の思考は諦め、気付いたことを書きつなぐことにした。

本来、観音像は33種あってしかるべき。
 どこにでも書いてあることだが、お経には、観音菩薩の三十三身が記載されているそうだ。従って、この教えを広げるには、それだけの種類の観音菩薩像があってしかるべき。
 しかし、そうは進まなかった。
 せいぜいのところ、前出の水月、魚籃は、白色巨大像の白衣、等の限定的な像しか作らなかったのである。その代わりとして、33ヶ所に安置した観音像を巡ることしたようだ。

 ただ、33ヶ所の札所の仏像を見るといくつかの種類がある。
 その基本は6種類で、それぞれ輪廻の六道に登場する変身像とされている。日本密教が創出した、独自な分類といえそうだ。
 その6種類感覚を味わってみたいなら、千本釈迦堂(大報恩寺)に安置されている肥後別当定慶(慶派、康慶の弟子)作の六観音(1)を拝観するしかなさそうである。
 尚、六道輪廻と言えば、六波羅蜜寺が頭に浮かぶ。このお寺は951年開創だから、10世紀後半に始まった考え方なのだろう。

 小生は、この六観音という考え方は、とりあえず当て嵌めただけで、それほどの意味は無いと考えている。と言うのは、法隆寺、東大寺、唐招提寺の観音菩薩像には、六道的な雰囲気が微塵も感じられないからだ。
 それに、洛陽三十三観音を見ても、馬頭観音が含まれていないから、六道の思想を重視しているとは思えない。
 まあ、馬頭観音は日本人にとっては違和感を覚える像だから当然かもる。畜生道と言われても、憤怒面で3眼の像だから、どうしてもそのイメージは明王。それに、なんとなく大陸の生贄儀式を感じさせる。家畜食が禁忌だった日本の風土では浸透しにくかろう。馬と共に住む曲屋集落では、家畜供養が頻繁に行われたに違いないが、それは安らかに魂を鎮める儀式だと思われる。そこに憤怒相は馴染まないのでは。

 それはともかく、この考え方だと、天道(如意輪)→人間道(不空羂索)→修羅道(十一面)となる。そこで、今回は十一面観音をとりあげてみよう。

 修羅道の主は、阿修羅とされる。三十三間堂に二十八部衆像があるが、その一員。闘争心を克服した仏陀の弟子という位置付けか。
 その出自は戦闘神だと言われている。当然ながら、古き時代から重視されていた筈。戦乱の世を変えるには、人間道と畜生道の間に阿修羅を主とする“激しい闘争の世界”を設定する必要ありというところか。

 そうそう、阿修羅像と言えば、興福寺の像が大人気。2009年「国宝 阿修羅展」での、“春の東京、3つの顔に会いに行く”キャンペーンが大当たり。入場者95万人とか。“アシュラー”を称する一群まで登場したというから半端ではない。もっとも、マスコミの仕掛け臭いが。

 三面六臂の異型だが、日本人にとっては、愛着を覚える姿ということがわかる。
 そういう点では、十一面観音も同じ。

十一面観音の人気は、多面像だからこそ。
 先ず、11面の意味だが、小生は、観世音、即ち、どの声も聞く力があることを示すものとしての多顔と見た。都合、22眼である。
 もっとも、それは素人考えのようで、白洲正子著「十一面観音巡礼」によれば、この観音はインドの十一荒神が源。血の中を流れるもろもろの悪を滅し、菩薩の位に至ったことの象徴だという。
 そういうことか。要するに、日本伝来の荒ぶる神と同じ、“荒神さま”崇拝なのである。

 ただ、素人がじっくり像を眺めると、十三面と呼びたくなる。正面に3面、左右の側面には憤怒らしき3面と牙があるという3面、後側は笑い顔が1面。これに、仏像そのものの正規のお顔をあわせれば確かに11面だが、王冠にも阿弥陀仏があるし、頭の天辺に像が屹立していると、合計13面といえなくもないのである。天頂像が芯の菩薩で、冠はその化身。それに11の荒神顔ということだろうか。
 異型だが、全体像はヒト的な印象が強く、人間離れしていないところも、好まれた理由ではないか。なにせ、洛陽三十三観音では一番数が多いのだ。

 それだけではない。法隆寺[東国博]には押出十一面押出三尊像[#205]があるし、金堂壁画にも描かれている。そして、東大寺密教では最重要な絶対秘仏[二月堂本尊]。特別大切にされていたのは間違いない。憤怒相が日本の伝統的信仰と親和的であったということかも。
 阿弥陀三尊の脇待としての観音菩薩と、十一面観音菩薩は、全く毛色が異なる信仰対象と考えた方がよさそうである。
 この辺りが、素人には難しいところ。

経典が違えば、観音像も変わる。
 系譜から言えば、観音菩薩像は、2世紀頃ガンダーラで纏められた【法華経(観音経)】を偶像化したもののようだ。その教えの核心は衆生の難儀の救済。それに当たっては、観音菩薩が三十三の姿に応現身するとされているという。
 宗教儀式的には、お経の末尾の歌を唱えることが重視されていそうだ。従って、観音像拝観に当たっては、ここらを唱えるのが礼儀かも。
 中国では、33の観音菩薩像が作られたらしいが、前述したように、日本では無視したようで、その換わりが三十三所巡礼になった訳だ。その起請は718年のこと。長谷寺開基の徳道上人によるとか。
 尚、長谷寺{奈良}の仏像は大型の十一面。三十三の姿に応現身という宗教感は多面像とピッタリくるということなのだろう。鎌倉や東京・西麻布の長谷寺は宗派は違うが、やはり大型。大きいこと自体にも意味がありそうだが、どういうことかはよくわからない。

 ちなみに、阿弥陀三尊像における観音菩薩は、極楽浄土感と表裏一体のようで、経典から言えば【無量寿経】。こちらは、140年頃漢訳されたものらしい。一族の帰っていく先という感覚だろうか。
 この場合、基本は霊よ安らかにだから、観音像は冠に化身があるだけで異型にはなるまい。さらに、【来迎信仰】が強まれば、霊を浄土に運ぶための容器と思われる開いた蓮華を捧げ持つことになる。
 このコンセプトが慈悲観音やマリア観音に受け継がれている気がする。来迎感覚と親和性がある他宗教との習合が図られている訳だ。

 しかし、仏教をじっくりと学んだエリートは、冠の化身に思いを巡らし、衆生を救うべく信仰を深めていたのでは。この場合、信仰対象の像は三尊像ではなく、独立像が向く。無量寿経の浄土への希求より、現世での【大慈大悲の精神】を大切にしたくなるからだ。当然ながら、そんな像は、“修業中”が強調されるに違いない。
 あくまでも釈迦信仰にこだわるなら、持物は仏舎利の象徴としての宝珠となる。それよりは、修業に重点をおくなら、蓮華を持つことになろう。もちろん、修行中なのだから、それは蕾であるべきだ。実に秀逸なコンセプトである。
 この発展系は、色即是空的な思想になるだろうから、異型の像を導入する必要はあるまい。像を拝むというより、衆を救うべく【般若心経】を唱える方向に進む方が自然だ。このお経は西遊記の玄奘三蔵(602-664年)の翻訳版。

 この程度のバラエティならわかり易いが、そうはいかない。仏教伝来が遅かったため、同時に様々な考え方が入ってきたからだ、他の経典を重視すれば、自ずと違う方向に進むことになる。
 その一つが、3世紀頃西域で編纂されたという【華厳経】。死者の魂が普陀洛山へ向かうということが強調されたようである。この辺りの考え方が那智勝浦捨身行(868-1722年)に繋がっていそうだ。中国に渡った慧萼が916年に開山した普陀山の話も伝わってくれば、“普陀落”イメージと観音菩薩像が一体化しておかしくないなかろう。
 この場合、観音像には道教的な感覚が埋め込まれる。そんな観点で考えると、異型である千手観音は、ピッタリ合いそうな感じがする。

 こうして描いてみると、欠けている点がある。上記は、大衆信仰しての“観音さま”の系譜が見当たらないからである。それは、どこから来たのだろうか。
 思うに、中国・六朝期の【観音応験記】が発祥元なのでは。陸杲(459-532年)の観音説話集だが、現世利益話だらけだと言う。この日本版が各種逸話として続々と生まれたに違いなく、いかにも大衆的だ。この場合、土着の神と観音菩薩の習合という形の信仰になるだろう。
 これに一番合うのが、荒神感覚が色濃い十一面観音とはいえまいか。

 しかも、それを修羅道に位置づけたのは秀逸。全国津々浦々、戦乱だけはご勘弁という心情に一致するからである。

十一面観音巡礼の意義を考えてみることをお勧めしたい。
 こんな調子で思案していると、白洲の指摘が光ってくる。
 十一面は、瞋怒、牙出、暴悪大笑が大半で、慈悲相は三面しかないという話が、重要に思えてくるのである。
 いくら修業したところで、悩みがつきないのが凡人の現実。解脱の理想像ではない十一面観音像だからこそ、信仰を集めるのだという指摘には唸らされる。

 “いちおう”理想は追求しているとはいえ、現実には慈悲の心で対処などできかねる自分の姿を見つめ直すには最適な仏像だということ。拝んでいるうちに、仏像の姿と自己を同一化してしまうのかも。

 しかし、この場合、注意すべきことがある。
 この話は、信仰一途の生活に入ろうという人を対象としていない。あくまでも、現実生活のなかで、ふと仏像に思いを寄せるような人の話だ。
 こうした人達に応えることができる仏像だから素晴らしいというのである。従って、宗教的な純粋さは二の次。重要なのは、時代の混沌性。そこにはアバンギャルドもあれば、デカダンもある筈だし、エロスも含まれているかも。そうした面影をうっすらと含んでいるからこそ価値があるのだと思う。
 当然ながら、こうしたものを感じ取る力がなければ、仏像の「美」はわからない。十一面観音巡礼とは、そうした力を回復させるための旅なのである。

 換言すれば、古代の人々のように、宗教・政治・教育について議論する能力を復活させようということ。情緒的な印象しか語れず、垂れ流されている見方を反復することを嬉しがることしかできなくなってしまった自分の姿を、根本から見つめ直す作業と言ったらよいかも。
 それこそが、十一面観音巡礼の意義。

 --- 参照 ---
(1) kazu.sanの百寺巡礼 千本釈迦堂(大報恩寺)  http://www.rinku.zaq.ne.jp/kazu_san/hyaku_daihouonji.htm

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