表紙 目次 | ■■■ オジサンの東静岡お散歩コース ■■■ 2015.6.20 沼津から駿河湾を眺めるなら、一つは沼津内港の観光水門「びゅうお」。地上30mからの360°展望だから、その点では言うことなし。 もう一つは沼津港辺りの短時間の観光船クルージングか。戸田からの便の方が、港近辺を回るより気分が乗るが。 それに、陸側がコンクリートなので景色としては今一歩だが、千本松の浜をあげるべきだろう。 最近、もう一つあることに気付いた。 狩野川河口の先端、我入道海岸、牛臥山公園、御用邸の海岸、といったそれぞれの地点から駿河湾を眺めるのも、それなりの楽しさあり。 ただ、地形から歴史を感じとろうとの意志がないと実につまらぬコースである。海岸ではあるものの、ビーチコーミング的ノリにはならないから。それに、どうしても堤防が気になる。海側だけ見てればよいとは言うものの、はるか先まで岸が続く、西側の千本松ほどの開放感が欠けるので今一歩。 もちろん、その手の感覚はヒトによって大きく違うが。 ということで、狩野川河口東側の駿河湾浜辺のお散歩の話。 せっかくだから、JR沼津駅から蛇松緑道(鉄道跡)経由で行こう。 駅南側に降りたら、すぐに右手のビルと線路の間の道を道なりに西へと進んで行けば、迷うこともなかろう。 → 「沼津駅から歩く」[2014.5.19] 前回は、港へと向かう大通りに出くわしたら、そこから港に向かうコースだが、今回はここを突っ切ってさらに蛇松緑道を行く。 突き当りは、狩野川堤防。信号待ち無しでスタコラサッサと速足で歩けば駅から30分強。 堤防の少々手前、単なる道でしかない場所だが、蛇松広場と呼ばれるらしい場所がある。そこには、切り取られた線路に乗っかった鉄輪と、信号が記念として設置してある。鉄屋さんなら蛇松線を訪れたということで嬉しくなるかも。余計なお世話か。 階段を上り、堤防の上に出れば、下流のすぐそばに大橋。交通量が多く、橋を歩くのは楽しいものではないが、北側には、愛鷹山塊の上に富士山。 橋を渡って、反対側の堤防に出たいのだが、信号の位置が、川岸から外れた場所なので道を横切るのが面倒だが、致し方なし。 舗装された自転車道であるが、おそらく走ってくる人はほんの僅か。と言うか、ヒトも少ないのではないか。 → 「狩野川下流歩き」[2014.5.9] 狩野川対岸沼津港魚市場街へと繋がる一画。港の水門兼観光スポットである建物などが見てとれるので、全体がどうなっているのかよくわかる。 しばらく行くと、堤防上の道が無くなり、コンクリート壁の脇を歩くことになる。これはつらいものがあるが、堤防にはくぐり戸がいくつかあり、開放されていれば、川側を歩くことができる。 途中に、我入道渡し船の船着き場がある。一種の観光「漁業」なのだろうか。ともあれ、漁業は盛んなようで、河口に近くなると漁船が溜まっており、そこは漁港でもあるようだ。 堤防の内側に戻り、下流側へ進めば小さな神社に突き当たる。明治中期に建てた不動尊らしい。昔から祠があった場所なのでは。と言うのは、そのすぐお隣に八幡神社があるから。こちらの参拝がこのコースの最初のハイライト。階段を上ると、小さな社殿の周囲に回れる余地があり、河口から、駿河湾全景が一望のもと。椅子もあるので、ひとしきりお休み。 今迄知らなかったのだが、「潮の音プロムナード」として、千本松原から、狩野川を渡し船で越してここらを散策というお勧めコースのようだから、気を遣った整備がなされているのだろう。 ここから眺めると、沼津港施設がどのような位置にあるのかよくわかる。内港と外港も、河口の浅瀬を掘削して人工的に作られたとしか思えない。 昔、港は狩野川岸だったのだろうが、頻繁な洪水を避けるにはそれしかなかったのかも。 神社の前の道には標識があり、我入道海岸方向へと進む。わずかの距離で、林に入る道にでるから、そこを歩けば海岸の堤防。階段で乗り越えれば、浜である。余り面白い海岸ではない。ここは、南からの漂流物が採取的に引っかかる場所と睨んでいるのだが、ほとんど見かけない。と言って、ゴミが無い訳ではない。 東へ向かって、浜辺を歩いて、崖と岩礁でさえぎられたら、堤防を越えて、道を少々歩こう。 左手に芹沢光治記念館、右側がゲートボールあるいはフットサル用と思しき公園。後背が小高く、木々で鬱蒼としている。すぐ横に神社があったりするから、越える道があってもよさそうなものだが、危険なのだろう。 ここが「牛臥山」。 なかなか面白い名前だ。 ともあれ、道なりに進み、四辻で右折し東へ。右側に寺社があり、それを越すと公園入口。海側が通れないので、牛臥山の陸側を巻いて、反対側に出たことになる。 ここは全国津々浦々で見かける、美麗で安全がモットーの立派なつくりの公園である。 ここには、3つの眺望ポイントがあり、いずれもなかなかのもの。ただ、磯とか、砂浜で眺めている気分にはならない。磯や浜を潰してコンクリートの平らな台を作り、そこいらじゅうが強固な手摺という設計。安全第一の社会だからこれが標準ということだろう。経済を支えるための出費という観点でも、えらく重要そうだし。 東側を眺めるとこんな風。・・・ ●御用邸前(香貫 島郷)の浜辺 ●大久保の鼻と沼津アルプスの一部 [香貫山-横山-徳倉山-志下山-小鷲頭山-鷲頭山-大平山] ・鼻を伸ばして伏せた象のような形の山(徳倉山256m) ・最高嶺(392m)の鷲頭山 ●ビルが見える淡島(静浦と内浦)[陸から言えば三津である。] さらに、向かい側に続き、 ●西浦と突端の大瀬崎 いかにも、ここらは狩野川河口辺りからの強い巻いた海流がありそう。港になりそうなのは、淡島の左右の陸地に入った入江位しかなかったと見てよさそう。大瀬崎まで眺めると、ここは、駿河湾内の、そのまた一番奥の小さな湾であることがよくわかる。 昔は、ここまで鰹や鮪の大群が潮に乗ってやって来ていたのである。内浦では、入江を網で仕切ることで、正真正銘の一網打尽漁が可能だったのである。そこまで昔の海は豊かだった訳だ。 公園の入口は一ヶ所なので、戻ってから、すぐ横の小川の立派な水門の橋を渡り、再び海側に出る。 ここからは御用邸に向けてずっと海岸。 御用邸辺りで歩いて来た西側を一望すると、小山が牛臥と命名された理由がよくわかる。 しかしそう思うのは高齢者であって、今や、通称名はヒョッコリひょうたん島らしい。 そんな地形を理解した上で、御用邸内の「沼津市歴史民俗資料館」で、内浦・静浦辺りの地形を利用した漁撈の様子や、沼津港東西の海岸の古代からの地形変遷を知るのも面白いかも。展示に力が入っているとは言い難いので、お勧めはしないが。 それにしても、和船が貴重な展示物化しているとは。と言っても、小生の周囲で和船を漕いだことがある人などついそいなかったし、見たことも無いのが普通だから、当たり前か。(この辺りの海岸の地形から言えば、堤防さえなければ、陸に簡単に引き上げることができる和船が向いている。まあ、そんな船遊をしたがる人もいないか。) そうそう、想像はしていたが、千本松から富士川河口にかけての海岸は、古代は海だったという。今の台地端が海岸だったのである。それが湿地化が進み、やがて田圃に変わる。そして、広重の東海道の時代に突入する訳だ。 まあ、それだけの話とも言えるが。 「観光業を考える」−INDEX >>> HOME>>> (C) 2015 RandDManagement.com |