日本は、米国からズルと見られるリスクを抱えている。そんなことになったりすると、あげくのはて、敵視されたりしかねない。そうならないように注意して欲しいもの。→[2013.6.24]
そんなことを書いていて、ふと、ズルの話を思い出した。
2011年の話で、もうお忘れになっておられるかも知れぬが、渡部恒三民主党最高顧問が会合で以下のように発言したとされる。
この世で一番悪い 小沢 と、
この世で一番バカな 鳩山 と、
この世で一番ずるい 菅 を、
世の中にさらしてしまった。
ただ、「バカ、ズル、ワル」と言い出したのは吉崎達彦氏らしい。政権交代は滅茶苦茶になると初めから予想し、反対論を展開していた方だが、こらえきらなくなって揶揄したに過ぎないが、結構、本質をとらえているように思う。
小生は、日米の文化的違いを肌で感じてきた人だからこその指摘と見た。
どういうことか、ご説明しておこう。
○バカ
バカとされるのは、誰が考えても、状況認識が全く間違っているとしか思えないから。理解しにくい理想論で無理筋を突っ走ろうとするのだから、ソリャ、周囲はたまらぬ。ナンダ、ナンダとなり、大混乱が発生。統治の仕組みを変えるというスローガン通りに活躍したとも言えるが、官僚が右往左往するだけで政府が機能しなくなっただけ。ドンキホーテ的。
しかし、政治家として、自分なりのミッションを持っている方だったのは間違いなかろう。現実離れした将来像実現を、なんのシナリオもなく持ってきただけ。しかも、そのミッションが曖昧で情緒的とくるから、対話もほとんど成り立たないので、最悪の結果を招いたにすぎまい。
米国にも、理想論を語る人は多いが、現実に采配を振るうようになれば、核心的な課題はなんとしても実現しようと図るが、それ以外は現実主義的に動く。そうしないと、国家が分裂しかねないからである。
○ワル
バカに比べると、ワルは実にわかり易い。と言うか、日本に限らず、政治屋稼業とは多かれ少なかれそんなもの。政治活動には膨大に費用がかかるから、カネ集めが奇麗事ですむ訳がないし、権力闘争で勝ち抜いていくには、権謀術数を繰り広げるのも当たり前と言えなくもない。小ワルから大ワルまで、政党にはウヨウヨいておかしくなかろう。
ただ、大ワルは小ワルと違い、それなりの政治哲学を持っていることが多い。小ワルは、選挙互助会的な政党のなかで、多数派に所属しようと蠢くだけ。大ワルはそれをえらく嫌う。嫌われものになろうが、なんとしても、自分の考える方向に政治を操ろうと画策する訳だ。その強引さが目立つと、超ワルと見なされるだけのこと。
一般には、この手のタイプは敗者であって、勝者ではない。もともと思想信条がバラバラで、課題認識も一致していない状況で、多数派を形成するにはワルの才能だけでは無理があるからだ。ただ、変化させようとの強固な意志は人々に伝わるから、閉塞状況では大ワルの活躍場面が開けることはある。
バカもワルもこまったものだが、米国的な政治感覚からすれば、その手の政治家もいるだろうとなろう。ただ、両者ともども、日米同盟軽視路線であり、それで一体どう展開するつもりかさっぱりわからないまま動き始めたから、どうにもならなくなっただけと見ることもできよう。
○ズル
バカやワルとは、全く異なるタイプであり、極めて日本的な政治屋と言ってよいだろう。米国的な「自由」ということで、国をまとめているような政治状況を見慣れてくると、このような人物を相手にする気にもなれないのでは。TPP交渉、原発輸出、消費税、と個々の話で妥当そうな策を打ち出すが、いったい何を目指しているのかさっぱりわからずだからだ。と言うか、そんなものはおそらく無いのである。要するに、ただただ総理大臣になりたいというだけ。
ただただ陸軍大将になりたいという人物が出世した組織の話を読んだことがあるが、それとよく似ており、極めて日本的。嫌な予感がしたが、やっぱりである。
こういう宰相が外交場面に登場してしまったのは、まさに日本の悪夢。なんの政治哲学もなく、借り物の言葉を並べるだけで、個別課題でうまく立ち回り、得をしようという政治をトコトン追求していると見なされるからだ。芯がなにも無ければ、政治的動物として扱われ、言葉で表せば「ズル」となる。当然ながら、日本とは、そういう風土の国と見なされてしまう。
(source)
溜池通信 かんべえの不規則発言 2011年2月17日 三兄弟(トロイカ体制とも呼ばれる)の物語
“死んだフリ”菅直人を襲う「夏の嵐」 by 赤坂太郎 2011.07.08 文藝春秋