■■■■■ 2013.9.15 ■■■■■

昆虫食をどう考えるか

以前、昆虫食報道の姿勢をとりあげたことがある。
  → 昆虫食キャンペーンで想うこと [2013.5.22]

どうせ、食として扱うほどのことはないから、異端排斥感覚やヘンテコな宗教観を植えつけることさえなければ、という感覚で書いていたのだが、昆虫食(Entomophagy)を超絶賛される方がいるらしい。
又聞きなので定かではないが、蛋白は肉ではなく昆虫からというのが真っ当との主張とか。ヒトは雑食性動物だから、昆虫を食べるのが自然にかなっているとの理屈なのだろうか。
小生は、ヒトが無原則な雑食動物であるとは考えないので書き留めておくこととした。

まあ、簡単に言えば、地方食文化として昆虫食を存続させようというならわかるが、それを広めようというのはどんなものかということ。
そう思うのは、それなりに食の「哲学」を持っているからである。「科学」的とは言い難いが、「信仰」や「情緒」的な判断からではない。
・・・ということで、どう考えているかご説明してみよう。
ほほー、こんな発想の人もいるのかと感じて頂ければ大成功。

まず、基本的スタンスから。

幼虫の昆虫食というジャンルを「珍味」として残す程度で十分ということ。
例えば、昭和天皇の大好物だったとされる蜂の子や、繭玉用の蚕の蛹、はたまた中華皇帝の宴席用白蟻卵塩辛もあるか。そうそう、タイ・ビルマ・タオス・雲南辺りの昆虫食が好まれる地域での、蛾の幼虫のタケムシ(Rutdaew)もこのジャンルだ。すでに、高級嗜好品化していると思うが。アフリカ大陸はよくわからぬが、そんな程度で十分では。
ニューギニア奥地で採取生活を続けている部族がいれば、幼虫生食が存続しているかも知れぬが、それだけは止めた方がsよかろう。学者によれば美味しいらしいが、そんな食は広がらなかったのだから、ヒトに感染するウイルスが存在する可能性もあるかも。まあ、常在細菌や寄生する原生動物、未消化な餌成分等々、初等的な危険性でさえほとんどわかっていない訳だし。樹木リグニン食の昆虫幼虫だと、多少は安全そうではあるが、わざわざ食材にする必要もなかろう。
要するに、分かっていることといえば、昆虫には急性毒物は含まれてなさそうだというだけ。そうなると、免疫力に自信がある方なら、全く気にしないで昆虫を食べることになるのかも知れぬが、一般人は真似などすべきでなかろう。

続いて、成虫の昆虫食だが、地元民愛好の、スナック的な揚げ昆虫や調味料は観光用エスニック嗜好食として残すのは悪くないが、その手の食の普及はできる限り避けるべきだろう。
最近はどうなっているか知らぬが、タイのマーケットには、殻がいかにも硬そうなタガメ(メンダー)やコオロギ(Jak-kajun)のような昆虫が山のように積まれていたりしたもの。薬膳的感覚濃厚と見たが、一般食と見なしている方が多いようだ。まあ、実態はそうかも知れぬが、健康によかれと思って食べていると思う。犀の角を有難がるような信仰とは違うとはいえ、似た感覚があるような気がする。
世の中には、ゴキブリやガムシを喜んで食べる人達もいる訳で、それに比べれば違和感少なき食材なのは間違いないが、お勧め食材とは言い難い。
蛋白源が余りに乏しき地域なら、昆虫食にそれなりの価値があると言えなくもないが、陸上棲生物として、脊椎動物とは全く異なる方向に進化した生物を食べるのはできる限り避けた方がよいのではないか。それが小生の「哲学」。
つまり、幼虫なら原始の形態だから問題は少ないが、成虫となれば、生物としての基本設計がヒトの系列とは大きく違うから、食べない方が無難ということ。要するに、どんな生理活性物質が含まれているかわかったものではないということ。

ミミズを食べる人がどれだけいるのか知らぬが、心棒を持たない環形体躯の類もよした方がよいということ。もちろん、気持ち悪いという人が多いだろうが、調理してしまえば単なる肉で、なにがなんだかわからぬ筈。でもリスクは高そうだから敬遠するのが無難と考える訳。

この発想でいけば、軟体動物食はヒトに向くことになる。ヒトが進化してきた道筋の周辺生物と思われるからだ。特に、原初形態を留めながら進化してきたと思われる、イカ、タコ、サザエ、ホタテは優れた食材と見てよかろう。ヒトが必要としている重要な栄養成分を含んでいる可能性はかなり高い。昆虫食は必要ではないが、軟体動物食はヒトの健康維持に不可欠に近いと見てもよいかも。

同様に、エビ、カニといった甲殻類食も、体に合わない人以外は避けたりしない方がよい。こちらは体節があるとはいえ、その出自が昆虫とは違って、ヒトへと進化していく道筋で見た場合、類縁性が遠いとは思えないと踏んでのこと。この場合、特徴である殻というか、キチン質部分を食べないと意味は薄そう。昆虫の成体もキチン質だが、両者が同等という見方はしない方がよかろう。表皮のプリゼンテーションがどう見てもえらく違うからだ。その点で、深海産桜海老の乾物や、ソフトシェルクラブはお勧め。両者ともに、廉価とは言い難いから、大量に採れるオキアミを絶好食材としたいところだが、残念ながら、普及は難しいようだ。

言うまでもないが、魚食は大切である。この考え方からいえば、軟骨魚類である鮫の肉をお勧めしたいのだが、生憎と尿素排出機構上アンモニアが含まれてしまうのでそうはいかない。残念至極。

ついでながら、両生類食だが、こちらはお勧め食材が見つからない。蛙は鶏肉のような味と食感で、優れた調理品だと絶品モノ。だが食材としては「哲学」的に適合しにくい。両生類を上陸魚類と見るなら、その原初の特徴を見せる生物でなければ、食材としては感心しない。蛙の皮膚は魚とは余りに違いすぎるということ。

その次は、爬虫類食。このジャンルなら、鰐や亀がよかろう。いかにも、原初の形を残しながら進化した生物に映るから。ただ、絶滅の恐れが高いので、養殖以外は食材と見なすべきではなかろう。と言うか、経済的に成り立つのなら、鰐肉はよさげに思うが。

そして、恐竜食に繋がるのだが、これは鳥食と同義。まあ、どれでもよかろうと言いたいところだが、昆虫のみ食すような鳥は避けたい。そんな鳥を狙う猛禽類も。
おわかりになると思うが、肉食といっても、恐竜食と哺乳類食があり、両者は同じものではないということ。ただ、餌が類似になっているから結果として似てしまうのは確か。ヒトの雑食とは、植物食と動物食というだけでなく、動物のバラエティが富んでいることも一大特徴。進化の歴史上、そうなってしまったと考えるしかなかろう。

さて、そういうことで、哺乳類食に至る。ヒトの範疇の動物を食べることになり、当然、タブーがかかわってくる。一筋縄にはいかず、どうすべきかはなかなか難しい問題を抱えることになる。ただ、軽く考えるなら、方針設定はそう難しいものではない。ヒトにも向く食餌をしている種以外は食材としないということになろう。例えば、牛をトウモロコシ食動物と見なす訳。トウモロコシが好きなら、牛肉やミルクはそれを高度に加工した食材というだけのこと。当然ながら、悪い食材の筈は無く、体内代謝能力向上に限界が見えたら、健康維持には肉食は最高の手ということになろう。そもそも、「考える作業」主体の動物に進化すれば、そんな方向に向かうのは当たり前でもあろう。
言うまでもないが、ヒトが主食にできかねるようなユーカリだけを食べているような動物の肉はよろしくない。
そういうことで、食餌の筋がわからぬ純肉食動物の肉は避けるにしくはなし。
雑食系も同じことが言えるが、ヒトの生活圏の動物であれば、食餌内容が判断できるので、ヒトと大差なき食餌なら食材として成分的な問題はないと言えよう。特に、家畜となれば食餌内容がコントロールされている訳だし。

この見方を援用すれば、イナゴは、餌がもっぱらイネ科の葉のようだから、素性がある程度わかっているからリスクは小さかろうとなる。飢餓の恐れに対応するというなら、それは悪くない判断。しかし、昆虫食自体はお勧めしたくは無い。食べる必要があるとは思えないからだ。ヒトの進化において、昆虫食は無縁だったと見ている訳で、今からそんなものに挑戦する意義は全く感じられないということ。

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