表紙 目次 | ■■■■■ 2014.5.21 ■■■■■ デパート観光の話 都立中央図書館所蔵「大東京案内」(東京市 1933.9)の「3日間見物コース」に登場する<上野広小路>「松坂屋」をとりあげたので、百貨店の栄枯盛衰を見てみたくなった。 → 「上野広小路の変身」 [2014.5.14] 1933年頃は、百貨店は光輝く魅力的スポットだったらしいから。 なにせ、<浅草>でも東武鉄道のターミナルの松屋が紹介されているくらいだし。 そういえば、<上野>には、上野京成百貨店があった。そんな展開が当然と考えられる時代もあった訳である。現在は「マルイシティ上野」。 ご存知のように、百貨店業態は相当前から不調である。包み紙商売と外商事業以外は、収益性があまりに悪すぎで、苦心惨憺の状況に陥ってしまったということなのだろう。 そんなことは相当昔からわかっていたこと。 1933年の東京見物での<新宿>辺りの百貨店を眺めればよくわかる。 コースとしては、最初に、西口の「淀橋浄水場」見学。現在の景色からは想像もできないが。おそらく、小田急と京王の電鉄デパート誕生以前は高年齢層も忘却のかなただろう。せいぜいが、そういえば、・・・という程度。 華やかに開業したものの、特に、小田急は駅上ビルでなかったため苦労したようだ。現在はビックカメラ新宿西口店+ハルクである。京王は、存在感が薄いとはいえ生き残っている。今や、駅上はデパートと言う名称より、ファッション街とか、お洒落なレストラン街のイメージが求められているから、「百貨店」のセンスでの経営は苦しいのが実情だろう。 まあ、そうなる相当前に、カメラや家電の量販店に商売を奪われた時点で、業態が問われたとも言えるが。 その火付け役が、新宿西口のヨドバシカメラ。だが、今や、その業界も淘汰の時代。その一角を担うビックカメラは都内では池袋北口(西側)て成功を収めた訳である。この業界の状況を眺めておこうか。 <新宿西> ・ビックカメラ新宿西口店 ・ヨドバシカメラ新宿西口本店 ・LABI新宿西口館 <新宿東> ・ビックロ(ビックカメラ新宿東口店+ユニクロ) ・さくらや→会社清算 ・ビックカメラ新宿東口駅前店 ・ヨドバシカメラマルチメディア新宿東口[店舗群] ・ヤマダ電機LABI新宿東口館 ・[閉店]ベスト電器@タカシマヤタイムズスクエア <池袋東> ・三越池袋店→ヤマダ電機 ・ビックカメラ池袋本店 ・LABI1 日本総本店 池袋 ・LABI1池袋モバイルドリーム館 2014年の観光案内を作るとしたら、こうした店舗群は、はたして掲載されることになるのだろうか。 1933年の観光案内では、浄水場見学後にガードを潜って東側の百貨店と繁華街を歩くことになる。百貨店が4店舗紹介されているが、今も残っているのは伊勢丹のみ。 -三越→ビックロ -ほてい屋→伊勢丹が吸収(建物連結) -伊勢丹 -二幸→新宿アルタ デパート間の競争が熾烈を極めるのは、この時代からのこと。 伊勢丹の建物が実は2つのビルからできていることなど、おそらくほとんどの人は知るまい。お隣のほてい屋吸収を前提に、そっくりのビルを建築させた経営才覚には恐れ入る。脱帽。 今も果敢である。三越系客層が流入しただろうから、新宿沿線の外商客層のうち、中堅セグメントの大部分を手中にした可能性があろう。もしもそうだとすれば収益力は頭抜けているかも。店舗はその層の来店時のニーズに合わせれば確実に稼げるのだから。カードで顧客囲い込みなどと言う以前から、これこそが百貨店の武器だった訳である。 もっとも、競争相手もチャンスを黙って見逃すことはない。そして、タカシマヤタイムズスクエアが生まれ、南は相当に変わった。ただ、新宿御苑と結びつく発展形態でないのが、一観光客としては、残念だが。 それはともかく、総体としては相当な集客力を発揮しているのは間違いないところ。しかし、いかにもつらそう。 -高島屋 -東急ハンズ -新宿ジョイポリス→ベスト電器→ユザワヤ新宿店 -IMAXシアター→テアトルタイムズスクエア→閉店 -HMV→閉店 <京橋/日本橋>や<銀座/数寄屋橋/日比谷>は、短期間で閉店してしまった美松を除けば、1933年の状況がまだ保たれている感じ。新宿に比べると随分とおだやかな変化に見える。 <京橋/日本橋> -三越 -高島屋 -白木屋→コレド日本橋 <銀座/数寄屋橋/日比谷> -松坂屋支店→[2016年秋]ブランドモール -松屋 -三越分店 -美松百貨店→日比谷マリンビル 観光にとってはショッピングはなくてはならないもの。しかし、昔のこととはいえ、東京観光ルートに13ものデパートが掲載されているのには驚いた。 モノがあふれかえる時代ではなかったということか。 (C) 2014 RandDManagement.com HOME INDEX |