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■■■■■ 2014.12.13 ■■■■■


「笑う西洋音楽展」

NHKに「笑う洋楽展」という土曜深夜番組[→]がある。音楽番組ではなく、タイトル通りのお笑い話で終始する企画。

税務署から、君の音楽活動は趣味であり、事業ではないとして楽器を費用と認めてもらえなかったと称する 安齋肇さんと、仏像とエロに熱をあげてきたと言われている みうらじゅんさんのお馴染みコンビの出演。

古いミュージック・ビデオ、コンサート録画、音楽番組映像を見ながら、両者、好き勝手にコメントし合うだけ。台本無しのようだ。
たびたび下品な笑い声が生まれるので、見るに堪えないと感じる人もいるかも。

小生は、もともとこの音楽ジャンルには縁遠いので、かえって気に入っている。ほんのさわりだけの歌うシーンが見れるし、知らない歌手や、曲は耳にしてもどんな風に歌っているのか知らなかったりだから、ホホーっという感じだ。言わば、ある断面から音楽史を眺めているような気になってしまう訳である。

クラシック音楽分野にも、この手のお笑い番組が欲しいところだ。洋楽より、美術展的な雰囲気が出るのは間違いない訳だから、できそうな気がするが。
ただ、演奏を揶揄する訳にはいかんだろうから、それなりの知恵が必要ではあるが。

そんなことをついつい思ってしまうのは、一般向け番組となると、入門的解説が加わることが多く、これが実に煩わしいからである。
もちろん、クイズ形式にしたり、歴史背景の解説、あるいは薀蓄話の類を加えたりしているのだが、かえって見る気がしなくなる。しかも、流れるのは、定番音楽の有名なモチーフの部分だけだったり。正直なところ、楽しいというより、苦痛である。
そう感じるのは、例外的人種ということか。

だいたい、オペラにしたところで、お笑モノだらけ。難しい顔をして、芸術鑑賞の手引き的な解説話をしてもらう必要などあるまい。
例えば、笑無しの「こうもり」などありえまい。だからこその年末のお愉しみでは。
「フィガロの結婚」にしても、「薔薇の騎士」も、どう見たところで、ドタバタ劇以外のなにものでもなかろう。およそ上品な内容とは言えまい。モーツアルトの作品など、下手をすれば、女性蔑視モノとみなされかねないお話。
「ホフマン物語」に至っては、ギャグ的作風だし、「ジャンニ・スキッキ」は正真正銘の喜劇以外のなにものでもなかろう。
ただ、どれも音楽性が豊かなので、好きになると確実にハマル訳である。

そう言えば、"Duo des chats"[Rossini]も滑稽そのもの。だが、猫モノはなんだろうと絶大な人気だから、そう感じない人の方が多いかも。
  T. Mébarki (contre-ténor) G. Alonso (Mezzo) (Mars 2011)@You Tube
ただ、猫モノでよく耳にするのは、Andersonの曲の方。
  Anderson - The Waltzing Cat [Symphony Orchestra of Black Sea] (September, 10-th , 2011)
そうなると、ショパンには犬だけでなく猫のワルツもあるゾと付け加えたりして、揃えたりしかねない訳だが、こうするとちっとも面白くなくなる。お笑のセンスが消え失せてしまうからだ。

それよりは、「ostinato」を解説したりせず、「しつこい繰り返し」として、「笑うクラシック展」にしたらどうか。こんなところが額縁候補。
  「四季」ヴィヴァルディ
  「ボレロ」ラヴェル
  「春の祭典」ストラヴィンスキー
  「ヴェクサシオン(嫌がらせ)」サティ
フルート奏者が途中でわからなくなって中断した四季の演奏会を聴いた人の話とか、一晩中かかってサティの曲を演奏した方の気分を伺うなどしたら面白かろうに。評論家や学者の話は厳禁。

もっとも、小生が一番大笑いしたのは、ソ連邦からやって来た、金管これでもかの大音量交響曲演奏だった。今は昔の話。

そうそう、「ゴルトベルク変奏曲」もイケルかも。オヤッそれで良いのと感じさせるものや、いかにも楽し気に演奏しているものまで様々だから。
グールドの1955年版と1981年版の違いだけでも、感じるところは多かろう。真面目な感じになるのは、そのような解説を思い浮かべるからで、これを面白く表現できる人もいると思うのだが。
  「GOLDBERGに想う」[2005.2.25]

好き勝手な言い放題のコメントを聞いて、そういう見方もあるのだと、大笑いして楽しむ時代では。

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