表紙 目次 | 秋の七草選定基準[その2] 秋の七草の続き。[→その1] 「山上憶良詠秋野花」を再掲しておこう。 秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 萩{芽}の花 尾[乎]花 葛花 なでしこ[瞿麦]の花 をみなへし[姫部志] また藤袴 朝顔[朝皃]の花 [万葉集#1538] 萩の花の次に尾花が登場する。 名前について、ザッと眺めておこう。 尾花は、穂が、輝くような馬の尾に似ているところからの命名なのは自明。 しかし、一般名はススキ。辞書にはスクスク(直〃)的な木とか、生える草といった類の説明が多いようだが、ササ(細〃)同様感覚なら、ススだけの筈。従って、小生は、煤の木と見なすクチ。と言うのは、ススキとは刈り草屋根の葺き材料だからだ。所謂、「茅/萱」である。乾燥させたものを束ねると、草というより、一抱えの柴の風情があり、スス木と呼んでもよさそうだから。 もちろん、それは葺き替えの時の、炊きつけにされて捨てられる方。(「煤」がつかないカヤ葺き屋根は本来の機能を果たせないと見る。) 尚、中国漢字の「芒」は、ノギであり、「荻[オギ]」的な一本草的な植物を指す筈。こちらも煤木として使える 。「薄」は野原的に生える株立型の植物であろう。 さて、ここで、萩が恋の象徴だとすれば、尾花にも同様な情緒感が生まれていた筈と見ることになる。 枯れ芒の用語も頻繁に使われるので、およそ恋には無縁な気もするが、屋根を葺く茅でもあることから、恋が芽生えたら、その下での褥を暗示していると言えなくもなかろう。夜、ススキ野原を通って馬で女性のもとに駆けつける情景を指すとは言えまいか。 岡に寄せ 我が刈る萱の さね萱の まことなごやは 寝ろとへなかも [万葉集#3499] 現代の植物生態では、"ほったらかしの 野に生ゆススキ"となろうが、それは万葉人感覚とは違うと思う。里山に育つススキの筈。森を切り拓いて一帯を焼けばススキ野になるからだ。つまり、野原の神の象徴的植物である。 屋根材量として刈り取ったなら焼いておけば多年草だから、翌年再度生えることになる。なにもしなければ、森に回帰していくのが日本の気候。そんな里山の野原には半人工的な雑木林が隣接しており、その一帯は、鹿と萩とススキの情景そのものと言ってもよかろう。 【寄花】 さを鹿の 入野のすすき 初尾花 いづれの時か 妹が手まかむ [万葉集#2277] 従って、秋の草花としては、萩より薄だとの意見があってもおかしくない。 【詠花】 人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは 尾花が末を 秋とは言はむ [万葉集#2110] ここで注意すべきは、鹿と萩とススキといった情景自体は、山野における恋の季節をイメージしているのだが、憶良が選択した七草はそれと同一では無い点。野の草々を自宅の庭で楽しむ、園芸の視点で、どんな植物が素晴らしいかという話をしているのである。すでに、園芸は一般化しており、それは恋心を擽るものであったに違いない。 【詠花】 我が宿に 植ゑ生ほしたる 秋萩を 誰れか標刺す 我れに知らえず [万葉集#2114] 清少納言の美的感覚からだと、こうなる。・・・ 秋の野のおしなべたるをかしさは、 薄にこそあれ。 穗さきの蘇枋にいと濃きが、 朝霧にぬれてうち靡きたるは、 さばかりの物やはある。 それは、カヤ葺き屋根の御草の美しさと重ね合わさるからだが、朝帰りする男とのお別れシーンでもあるからだろう。恋の季節にピッタリなのだ。 【明日香川原宮御宇天皇代[天豊財重日足姫天皇]額田王歌】 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ [万葉集#2114] さて、ド素人の小生が「気付き」と称している点がおわかりだろうか。 憶良は、「野の花」としているが、実は野の花を庭にもってくるという意味と解釈しただけのこと。恋の季節を彷彿させる野の雰囲気を庭にもってくるなら、コノ7種しかあるまいという主張。それに成程感があったから、家持卿も名前が並ぶだけの歌の掲載に踏み切ったのでは。そうでなければ、憶良選定の野の花の歌がゾロゾロ掲載されてしかるべきでは。 「超日本語大研究」へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2013 RandDManagement.com |