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■■■ 超日本語大研究 2015.11.4 ■■■

秋の七草選定基準[その1]

紅葉の話を書いていて、[→]ふとした思い付き。・・・秋の七草選定の視点がわかった気になった。そんなヨタ話をしてみよう。

言うまでもないが、七草の元は万葉集。これ以外の出典を示せないのだから凄すぎ。なにせ、皆が知っているというか、全員完璧に丸暗記させられているのだから。これに刃向かうと、日本国八分になるということ。クワバラクワバラ。
   【山上憶良詠秋野花 二首】
  秋の野に 咲きたる花を 指折り
   かき数ふれば 七種の花
  萩{芽}の花
   尾[乎]花 葛花 なでしこ[瞿麦]の花
    をみなへし[姫部志]
   また藤袴 朝顔[朝皃]の花

    [万葉集#1538]

しかしながら、どうしてこれらが秋の代表なのかはナントモというのが実状。わからず暗記させられているだけなので、どうも気分がイマイチ。もっとも、それで良いのであり、素人は余計なことに口を出すなという御仁だらけの社会ではあるが。

但し、以下の七種歌や七夕歌と関係するとの主張もある。聖数という点ではわかるが、秋のどのような祭祀で使うのかはっきりしないし、それならその残滓的な手向け習慣がどこかに残っていそうなもの。そこまでいかないと素人にはついていけない。さらに、どうしてこれらの植物を選んだのかとの解説が無い限り、納得感は生まれてこない。
  【戀男子名古日歌首】
  世間の 貴び願ふ 七種の 宝も我れは 何せむに・・・
    [万葉集#1904]

なにせ、問題だらけ。

沢山の歌が収載されている「萩」だけは、選ばれて当然と見がちだが、木本であり草ではない。
   「秋の草花とされていた木」(2012.10.27)
一方、「藤袴」だが、上記の憶良の歌以外では取り上げられていないそうだ。まさか、憶良が独断と偏見で選んだものを、大伴家持が面白がって掲載に踏み切ったとも思えないが、ここらも不可思議。
「葛花」も、収載歌のほとんどが花を対象としていないらしい。しかも、力強い茎葉の伸び具合を褒めたものが目立つ。もちろん季節は夏だ。
圧巻は朝顔。桔梗と間違う人なぞ考えられぬが、これしかありえないの一本槍路線。(朝顔とも言うとの出典が見つかったとて、どうしてそう呼ぶのかわからないでは話にならぬ。と言うのは、うろ覚えだが、小生が読んだ枕草子「草の花」段では、 唐と和の撫子から始まり、女郎花、桔梗、朝顔、茅、菊、・・・と続いていた気がする。まあ、春は曙から始まらない本さえあるらしいから、家本によっては欠落していたりするだろう。そのうち、この箇所は書物から消されていく運命かも。)この姿勢こそ、日本の言語文化の特徴と言えるかも。

風土的問題はさておき、どう考えるべきかは素人にとってははなはだ難しい問題である。「わからぬ」ままでは読みようがないからだ。
そこらを解く鍵は、秋草の代表たる「+秋」か。
もちろん、<山萩>だが、憶良歌の原文では「芽の花」とされている。つまり、毎年枯れてしまっても、そこから目を出し、歯を出し、鼻が咲く草ということ。いかにも、吉兆花。咲いた咲いたと言って急いで見に行くほど人気を博したようである。今でも、漆器等の意匠に使われ続けているのは、その伝統を引き継いでいるのだろう。
   【詠花】
  我が待ちし 秋は来たりぬ しかれども
   萩の花ぞも いまだ咲かずける

    [万葉集#2123]
  秋風は 涼しくなりぬ 馬並めて
   いざ野に行かな 萩の花見に

    [万葉集#2103]

この人気の底に流れる「萩を愛でる感覚」が重要である。おそらく、他の6種もその観点で重視されているに違いないからだ。

恋が国家の重要事でもあった時代であり、萩は男女関係の始まりというか、その芽生えを象徴しているのではないか。
そう考えるのは、秋と言えば恋の季節(生物学的用語では発情期)でもあるから。
  奥山に 黄葉踏み分け 鳴く鹿の
   声聞く時ぞ 秋はかなしき

    [猿丸大夫 古今集#215]

鹿と言えば紅葉楓が通り相場で、萩は猪というのが絵札の世界だが、紅葉=カエデの色付いた葉ではないのだから、黄色化した萩葉と鹿の組み合わせもあっておかしくなかろう。何時頃誰が付けた名前かわからぬが、「鹿鳴草」と呼ばれたりもするそうだし。

もちろん、萩の恋歌があるから、そう考える訳で。
   【詠花】
  秋萩に 恋尽さじと 思へども
   しゑやあたらし またも逢はめやも

    [万葉集#2120]
   【詠露】
  白露と 秋萩とには 恋ひ乱れ
   別くことかたき 我が心かも

    [万葉集#2171]
この辺りが萩人気の、本質ではなかろうか。

このように考えると、秋の「花」として選ばれてはいるものの、魅力の根源は必ずしも花そのものとは言えないかも。最終開花後すぐに黄葉が始まるという点もかわれているのは間違いないからだ。(もしも、純粋に花だけを愛でたいなら、開花初期からすれば 「晩夏の花」でもおかしくなかろう。)
要するに、「萩花咲+萩葉黄」全体が評価されているということになる。従って、秋萩人気は黄葉へと移っていく。

  夜をさむみ 衣借りがね 鳴くなへに
   萩の下葉も うつろひにけり

    [ある人のいはく、柿本人麿 古今集#211]
   【右大臣橘家宴歌】
  雲の上に 鳴きつる雁の 寒きなへ
   萩の下葉は もみちぬるかも

    [橘諸兄 万葉集#1575]
  秋萩の 下葉色づく 今よりや
   ひとりある人の いねがてにする

    [読人知らず 古今集#220]

ただ、現代の萩寺から、こうした感傷的表現を理解するのは難しいかも。716年8月に薨去した志貴親王(天智天皇第七皇子)御忌が白豪寺で行われていることを知れば、なんとなくわかるところもあるとはいえ。・・・
葬列は山荘@白豪寺→高円山→御笠山→田原御陵と進んだのだろうか。
   【霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王<薨>時作歌一首并短歌二首】
梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向ふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲の 衣ひづちて 立ち留まり 我れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇の 神の御子の いでましの 手火の光りぞ ここだ照りたる
  高円の 野辺の秋萩 いたづらに
   咲きか散るらむ 見る人なしに

  御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに
    [笠金村 万葉集#230-232]

ちなみに、何故に鹿恋と関係するかといえば、こんな歌があるから。
   【寧樂宮 長皇子與志貴皇子於佐紀宮倶宴歌】
  秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに
   鹿鳴かむ山ぞ 高野原の上

    [万葉集#84]

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