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2006.12.27 |
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七福神とはエビス・ダイコク、ベンザイ天とビシャモン天を見てきた。神話の“命”と、仏教守護神の“天”が混交した神々だ。「エビス様とは 」 (2006年12月6日) 「ダイコク様とは 」 (2006年12月13日) 「ベンザイ天とビシャモン天とは 」 (2006年12月20日) 七福神には、さらにフクロクジュ、ジュロウジン、ホテイ様が加わる。 このうち、フクロクジュ、ジュロウジン、は道教系の神々だそうである。 道教系の神様は、世間離れしていても、なんとなく日常生活の臭いを感じさせる。日本伝統の神々とは相当違うような気がするが、それをあえて同居させたのは大英断だと思う。 道教は仙人を目指す宗教イメージが強いから、長生きしたいという欲望から、信仰対象に入れたかったのかも知れない。 特に、福禄寿(1)は、よくわからない神様である。なにしろ、お名前が、「幸福」、「封禄」、「長寿」を集めただけだからなんとなく現実感が薄い。 特に、面白い物語も無いようだし。 それに、南極老人星の化身とされる寿老人(2)と出自は同じと言う説もあるようで、いたくわかりにくい。 何時頃に、道教に人気がでたのか定かではないが、唐時代に流行った道釈人物画(道教+仏教)が日本に入ってきた影響であることは間違いない。 この頃の絵画は、飾るとか、鑑賞するという以前に、描く場も重要だったのではないかと思われる。意気というか、インスピレーションで、皆が見ている前で描くことに大きな意味があったのではないか。 自社仏閣の縁日に、道釈人物画をその場で描いて販売する業態があるが、道教系の不思議な神は、福禄寿之図、寿老人之図として、相当な人気があった筈である。 と言うと、縁日で描く大衆芸と考えてしまいがちだが、画材が貴重だった頃は話が違う。ただ、水墨画が主流になり、道釈人物画は廃れたが、神様への信仰は残ったということではないだろうか。 ホテイ様(3)にも、道教の神ではないにもかかわらず、道釈人物画風に描かれたものがある。日本の“情緒”を感じさせる画である。 → 菱田春草(1874〜1911)画: 「布袋之図 」 [1910年] (C) 飯田市美術博物館 ところで、布袋尊は実在した僧(907-923年)だという。道教の神ではないが、形相から見て、普通の僧侶とも思えない。どちらかと言えば、仙人に近い感じがする。 人気があるのは、欲を捨てて大らかな放浪生活をしていたからだろう。袋は喜捨と生活用品を入れるためのものだろうが、袋の中味を貧しい人々に回していたと思う。袋は、その象徴と言えよう。 布袋尊像としては、禅宗の黄檗山萬福寺の坐像が有名だ。弥勒菩薩の化身像(1663年造立)である。(4) 弥勒は瞑想を続けることで、釈迦如来滅後に世界を救ってくれる菩薩だから、和尚の生き様がそっくりだったということだ。 布袋様に人気がでるのは、よくわかる。人間としての実感があるからだ。 それにしても、七福神は不思議な集まりである。考え出した人については様々な説がありそうだが、おそらく現実に人気が出ている神様が選ばれたということではないかと思われる。 七福神が普及したのは、そんなことより、すべての神様を乗せて、恵比寿様がやってくる“宝船”のコンセプトが素敵だったからだろう。日本創成神話から、仏教まで、すべてが包含され、幸せがもたらされることが、見た瞬間実感できるのだ。 新年の目出度さそのものである。 しかも、初夢や、言葉遊びまで加わってくる。信仰をつらいものから、楽しいものに変えたのである。 永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな (逆読みも同じ) --- 参照 --- (1) ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%A6%84%E5%AF%BF (2) ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E8%80%81%E4%BA%BA (3) ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B%E5%B0%8A (4) http://www.obakusan.or.jp/bunkazai/077fuku.html (フクロクジュ/ジュロウジン/ホテイ様のカット) http://www2.nkansai.ne.jp/users/harumi/ 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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