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2013.10.27

Simple Life改め…

最近、どうも「Simple Life」という言葉がしっくりこない。そんな生活を目指しているようなことを言う方が結構多いからだ。
生活を簡素化するには、それなりのコストがかかる訳なのだが、そんな感覚無しに、安易に、そんな文化に浸りたいと語られると、どうしても違和感を覚えるのである。
  「Simple Life化の内実」 [2003.5.8]

教えてもらった言葉だと、「しみじみ」から程遠いとでも言ったらよいか。

小生は、「Simple Life」は、日本人の好みには合わないと見る。と言うか、その定義にもよるが。
例えば、石庭だが、木々草木なき状態だが、これを「シンプル」とは呼べまい。枯山水とは、岩を砂地にボコッと置いただけではないからだ。それは「単純」とは違い、どちらかと言えば「複雑」に近いのでは。シンプルとは「単純」を意味する場合に用いる言葉であり、こういう情景を指すのには不適切だと見る。
日本人が好むのは、この手の「複雑」さではなかろうか。「ルーチン」的な「単純」さを良しとしているのとは違うと思う

にもかかわらず、「Simple」という言葉が多用されるのは、以下のような様々な概念をその場で都合のよいように被せているからでは。
  素朴な artless
  粗末な humble
  粗野な rustic
  無骨な boor
  純情な naive
  質素な frugal
  倹約的 thrifty
  孤独な lonely

もともと「Simple」とは、「Multiple」同様に、「単なる、一つ」ということで、複雑/complexではないということの筈。
語源は、「折目が一つ」ということのようで、「織り込み」無し状況を示すものらしい。
   [ラテン語] plicare ← [印欧語根] plek
英単語では、以下のようなものが生まれているから、そのニュアンスはなんとなく伝わってくる。
  pleat プリーツ(布/スカートの襞)
  plier プライヤー(金属板曲げ伸ばし用ペンチ)
  plywood 合板

そういう観点で見ると、利休の茶室はシンプルと言えるだろうか。
秀吉の金の茶室を唾棄すべきものという感覚はわかるが、それは「ラグジュアリー」とか「贅沢三昧」と見なすことはできるが、「単純」そのものであり、なんらの「複雑さ」も存在していない。シンプルとはそういう概念だと思うが。

この茶室と同じように、「ラグジュアリー」で「単純」なデザインなのは桂離宮だろう。ただ、オリジナル性と思想性があるのが大違い。
これと対比して語られるのが、「複雑」なデザインの日光東照宮。しかし、こちらは「ラグジュアリー」とは見なせまい。その手の建造物ではないからだ。別荘のような寛ぎを目的にしていないから、その思想性は単純そのもの。夫々が最高と誇れる奉納品の、「単純」「織り込み」作品でしかないからである。だが、それこそが国家鎮護の哲学の核ということ。政治的には極めて優れた企画といえよう。
  「宗教建築の見方」 [2008.11.17][続] [2008.12.18]

こんな風に考えると、「Simple Life」という用語はドウイマイチ。「Plain Life」とした方がよさそうな感じがするが、どんなものか。
言うまでもないが、こちらは、文字通り「平らな」という意味である。
  [ラテン語] plânus ← [印欧語根] plâk
どうも、力づくで平らにするというニュアンスがありそう。しかも、それは、嬉しいことのようだし。
同じように、英単語を並べると、以下のようになる。
  plain 鉋
  plank 板(おそらく、厚板)

要するに、ゴチャゴチャさせずに、表面的には平板化させ、心地よい生活を送ろうじゃないかということ。
ただ、その場合、「ラグジュアリー」を目指さないというのが、日本流とはいえまいか。
Modest Life」に徹しようということ。

(インターネットリソーシス) Hyper English Word Study Dictionary with Indo-European roots Ver. 4.00 (印欧語根を用いた英単語学習辞書)

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