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2014.5.30

中国の料理文化圏

[亜熱帯モンスーン料理圏 その1]

中国料理の文化圏についてさらに話を続けよう。

小生としては、せいぜい3〜4つ位の大分類で全体を俯瞰的に見たいのだが、政治はそうはさせじと喧伝しているから、そんな感覚が生まれにくい。7大軍区と首脳の地の8分類を覚えさせられるのはご勘弁である。 [→]
ということで、大分類にとりくんでみた訳で、そのうち2つを眺めた。
 (1)<北方民族料理圏>・・・【北京(京)料理】が代表。
 (2)<江南料理圏>・・・【上海(滬)料理】が代表。
     →北方民族料理圏 →江南料理圏

すぐにわかるように、牧羊経済 v.s. 稲作経済の違いが基底にある訳だ。東西に繋がるシルクロードに繋がる乾燥草原地域と長江下流の水郷と海港地域の違いでもある。

両者の中間が、黄河文明発祥の漢族の本貫地。粟/粱から、渡来の麦へと移行した農耕経済圏。その米作と麦作の境は、降雨量と気温から見れば、本来的には淮河。もっとも、今は東北地域でも可能だからわかりにくいが。
しかし、そこらは戦乱の地でもあり、長期的にみれば、ほとんど北方民族の支配の下にあった。そのため、食文化はズタズタに裂かれており、まとめて云々する対象ではなくなっている。狭い地域に独特の「菜単」を抱えてはいるから、思弁的に、無理やりに食文化圏としてまとめたくなる気持ちはわからないではないが無理筋。
相当古くから、この小麦圏の食文化は上記の南北2つの文化圏に上澄みを吸収されつくしてており、そちらの視点で眺めれば、影響を与えた料理文化の一つ以上ではなかろう。

その次は、さらなる南方の沿海地域。そう言えばだれでもすぐに広東料理の話になると察することだろう。
その通り。

重要なのは、この食文化圏の範囲である。
小生は、稲作経済といっても、揚子江下流の江南とは大いに違う点を強調したい。二期作地帯ということ。これは沿岸沿いに広州の南北に繋がるし、海南島や台湾も該当する。要するに、熱帯-亜熱帯モンスーン気候帯であり、野山や河海に豊富で多種多様な食材が存在するので、これらを食材として十二分に利用することになる。要するに南方の東海岸地域ということ。この地勢がすべてに影響を与えている。

この地域では、田畑は面積的にはそうそう広くとれる訳ではない。ここに十分注意を払うべきである。日本ほど河川は急峻ではないが、山が迫っている沿岸地域なので、ある程度開発が進めば、農耕経済の発展性は頭打ちにならざるを得ない。湖水地域のように、治水事業を本格的に行い、開墾が進めば、生産力増強は難しくない地域とは端から条件が異なるのだ。
つまり、江南の富豪は、地域に根付いた形で事業を起こすことで生まれるが、二期作農業の沿海地域ではそうはいかないのである。地域主義的な文化の根は浅くならざるを得ない訳だ。
この一帯は、どうしても、血族主義にならざるを得ないのである。従って、宗教的には祖先崇拝一色と見てよいだろう。

ともあれ、3つ目の話を始めよう。
 (3)<亜熱帯モンスーン料理圏
代表は、【香港(港)料理】。

広東料理としないところがミソ。

北方民族圏では、政治の中心地たる北京が代表。
言い換えれば、この文化圏は、食より政治優先の世界ということ。たとえ、絢爛豪華な食文化が確立しているように見えたとしても、食は政治に従属しており、純粋に食を楽しんでいるとは限らない訳である。

一方、江南では、上海を代表とした。
共産党の政治拠点ではあるが、それは歴史ではほんの最終章の最後のページのようなもの。この地域の場合、政治都市は似つかわしくないのである。その点で、上海は面白い。食文化創出という観点では、自らは、ほとんど空洞。そのかわり、なんでも周囲から取り入れる。取捨選択の上に融合させたり、アピール方法を工夫することで、一気に流行に仕立て上げるのだ。そんな上海の動きを支えることができる、様々な土着文化が育っている地域であるとも言えよう。

香港はそれらとは大違い、ここは極めて冒険主義的な「創出型」食文化だからだ。地域の先頭を切っているのは間違いない。

そもそも、外部から見れば、この食文化の異質感ははなはだしいものがある。それは、都市なのに大繁盛の「動物店」が必ず存在するからだ。様々な食材を調達する仕組みができあがっている訳。なかでも圧巻なのは、野生種利用が盛んな点だ。家庭も様々な食材を利用はするものの、そうした食材の利点や、調理法を熟知する料理人達の「野味店」産業が出来上がっているからこその話。要するに、ここは料理人の集積地なのである。
それを感じたければ、動物性蛋白源の食材をリストにしてみればよい。
<毛モノ-四足(馬を除く)> 猪(ブタ),鶏,牛,羊,山羊,狗(イヌ),猫,兎,鼠,
   果子狸(ハクビシン),穿山甲(センザンコウ),鹿,熊(満漢全席の熊掌)
 【土着・雲南系】水牛、【北方(満州)系】驢、【西蔵系】ヤク、【西域/渤海系】駱駝
<他-四足> 田鶏(蛙),鼈(スッポン),淡水亀
<蛇>
<羽モノ(烏を除く)> 鴨(アヒル)、鵞鳥、鳩、鶉、駝鳥,蝙蝠,野鳥類全般
<昆虫> 水龜子(ゲンゴロウ)
<淡水魚介類>
<海産物>


これを「なんでも食べる」中華的嗜好と見なす人が多いが、それはどうかな。小生は欧州文化と良く似ている感じがする。ただ、熱帯に近いから獣の種類が多いし、海産物も豊富というだけのことでは。大きな違いは、階層に係らず、「食べ物屋」の巨大な世界が作り上げられているということ。それこそ、江南の食文化と比較したら、あちらは、家庭料理好きな地域となってしまうかも。外食当たり前の文化と見てよいだろう。

従って、料理提供の専門職が、下層の大衆レベルにまで行き渡っていることになる。贅の限りを尽くすものから、超安価で提供する料理まで、しかもTPOに応じた様々なパターンに対応できる状況。
従って、食材応用能力のレベルは桁違いに高いのは間違いない。安全衛生の観点や、美味しいかという視点は別として、どうあれ、新鮮なものを食べるという大原則が貫かれていると見てよいだろう。

勿論、野菜に関しても言えるが、乾物やトウのたったものも多用する。単なる鮮度という見方ではなく、食する上でのベストタイミングを追求するということ。できる限り、最適な食材を用いようという姿勢と言えよう。倭の「若菜摘む」的な感覚は皆無なので間違えないようにしたい。
大陸内でみれば、もう一つ特筆すべきは、海産物好きな点だろう。菜単を眺めればすぐ気付くことだが、この地域外では、魚介といえば、真っ先にくるのが淡水魚であり、それは入手難の結果と見がちだが、そういうことではなく、例外産品はあるものの、一般的に海産物は嫌われてきたのである。もしかすると、なんらかのタブーがあると思えるほどである。北方文化の影響力甚大ということ。

その、食材ならなんでも利用してみるという体質が、料理文化の真髄でもある。
伝統よりは、新しもの好きということだからだ。
しかし、それは上海型のよさげなモノはなんでも取り入れ、その上で取捨選択という姿勢とは全く違う。香港流とは、どこかで出来上がった素敵な料理を自分流に洗練していくというタイプではないのだ。あくまでも革新を追求するということ。
料理としては、常に「ヌーベル・クィジーヌ」が要求されていることでもある。新しもの好きだから、なんでも取り入れるが、創造的でないと面白くないということだろう。
XO醤など典型では。(1980年代後半に香港で考案された味噌風のあわせ調味料)どの社会でも、一般に調味料使用は保守的になるものだが、ここでは新開発品が一世風靡する可能性が高いのである。

香港は上海とは違って、各国の租界地があった訳ではなく、極めて保守的な食文化の英国人による統治が行われたにもかかわらず、新しい食文化の導入はかえって進んだと見てよいだろう。
輸入だけでなく、大英帝国の海外ネットワークにのって、食文化を輸出したのである。そのスローガンこそが、香港が広めた「食在広州」だったとも言えよう。言うまでもないが、香港在住者とは広東人であり、その省都たる広州は、唐の時代から中華帝国の「南大門」との自負そのもの。しかし、竹のカーテンが下されたため、英国の植民地たる香港がその代理として広東料理の代表者を務めることになった訳である。

北京は陸のシルクロードの要石だったが、広州は海のシルクロードの出発点ということ。インド、ペルシア、アラブとつながっており、広東の食もこうした料理の交流を通じてハイレベルなものに仕上がっていると考えてよかろう。

もちろん、それは、北京だけでなく、江南への対抗意識あっての用語でもある。
 「生在蘇州、食在廣州、着(衣)在杭州、死在汀州
説明の要なしだと思うが、勝手に解釈しておこうか。
出世し、美人の妻をかかえ、健康的な生活を送りたいなら蘇州が一番。
絲綢の地である杭州は、まあ一種の着道楽の地。豪商も多く、立派な私邸だらけ。華美ともいえる服装で広大な庭に佇むのを良しとするなら、この地以外にあるまいと言う訳。
まあ、死後の世界のために生きる感覚が薄そうな人達だから、葬式なら汀州ということ。良質な杉材で最高級棺桶を作ってもらえるぞというのである。(汀州:福建省龍岩市長汀)

(「亜熱帯モンスーン料理圏 その2」に続く。)


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