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■■■"思いつき的"十二支論攷 2015.11.11■■■

十二支の「蛇」トーテム発祥元を探る

🐍ご存知のように、諏訪湖の南にして、八ヶ岳の西山麓地域の遺跡群から、雲母が混じったりすることもある土偶や土器が大量に出土する。そのなかに、4700年前と推定されている、蝮を頭につけた巫女形土偶が含まれている。
   「一寸、土偶を考えてみた」
蛇が、畏怖すべき動物としての信仰対象だったことがわかる。
 它:頭の大きなヘビ=佗[他]:ほかの[它山之石@詩経]
 [止+它]=𪫒=崇:たたり

しかし、そのような信仰が、蛇トーテム部族を意味するとは限らない。ここが難しいところ。

他の生肖だと、祭祀等にトーテム的残滓が感じられることが少なくないし、祖先=生肖的な神話を抱えていることも多いから、かなりの確度でトーテム部族と認定可能。そんなこともあり、この十二支生肖シリーズでは、トーテムと動物神を特段区別することなくゴチャ混ぜで書いてきた。細かく書くのは面倒だし。
ところが、蛇だけはそうはいかないのである。

ここらは わかりにくいので、捕捉説明。
「神」信仰とは例えば以下のように様々。トーテムとはこれらには該当しない。「神」ではなく部族の祖先そのものだからだ。両者は根本的に違う概念である。(蛇がわかりにくいのは、そもそも「祀=示+巳」だから。このことは、蛇を畏怖すべき「神」として信仰対象にしたことで祭祀が始まったことを意味している。祖先への尊崇がこれに被ってくると、他者である「神」信仰と、自者の「蛇トーテム」尊崇を峻別するのは難しくなる。)
 ・蛇自体が「神」・・・天神 or 国ッ神。(トーテムとは別な存在)
 ・「神」の一部(太陽を運ぶ烏のような役割)
 ・「神」の依代(天照大御神の鏡のような役割)
 ・「神」の標章
 ・「神」の渡来役(春日大社の鹿のような役割)
 ・「神」の守護役(狛犬のような役割)
 ・「神」の言葉の伝達役
 ・「神」が最高に悦ばれる捧げもの(犠牲)

   「日本の蛇を考える」[2014.8.19]

ただ、近代社会になると、祖先がヒトや神でなく、動物であると称する部族はヒトで無しとされて消されかねない。創造神信仰者にとっては、動物と神に選ばれた民を一緒にするなど許し難き異教徒とされる訳である。一方、インド哲学的な輪廻観だと、動物はヒトの生まれ変わりでもあったりするが、特定動物トーテムを祖先とする見方は本来的には唾棄されるべき思想。しかし、布教のためには、そこらは曖昧にされることになる。

蛇を祖先と考えていたのは、「呉+越」@江蘇+浙江とされる。出土品に蛇やその抽象化文様が見られるから、河姆渡大集落が繁栄していた時代からと見てよさそう。その信仰は稲作文化とともにかなりの広がりを見せていたのは間違いあるまい。
この辺りの人々は英雄譚が好きなようだが、その辺りも関係しているのではなかろうか。超人的能力が発揮できるのは、人蛇婚の結果、蛇の力が乗り移ったと見る訳である。
それに、"人類始祖"は伏、女というのが中華帝国の「公式見解」だし。これらの図像もよく見かけるが、両者ともに蛇身人首で互いに絡みつく雌雄交接状況を描いたものが一般的。その原点は明らかに<越>の「蛇郎君+蛇娘子」。
ただ、越は滅ぼされ、3世紀以降は、この辺りの民はちりじりバラバラに。残った部族は江南漢民族化している。

従って、蛇トーテム部族は、江水下流と黒潮域の海人とでもしておこうか。

ヘンテコな表現だが、ここらは素人には歴史(書)の概念がわからないので致し方ない。・・・「呉、越、楚、蜀、 皆為蠻」との概念は素人にはわかりにくい。例えば、中原からすれば、倭人は東夷だろう。しかし、その出自は越と記載しているから、蛮だが、南蛮一族とか東蠻とすることはない。つまり、東夷とは中原から見て海側の部族集団ということ。そうなると、南蛮とは暑い南の台地から高地に住む部族集団を指すことになろう。沿岸部の漁撈中心部族が主導していた越は南蛮だが、血族的には繋がりがあるだけでなく、文化的にも類似な山東半島沿岸-済州島-日本列島の部族集団は東夷でもあるということになる。素人のせいもあるが、「呉+越」を一括りにすると、何を指す概念かよくわからなくなってしまう。(十二支の竜は生肖ではないが、小生は、揚子江鰐のトーテムと見なすので、そうなると蛇トーテム族との峻別ができなくなることもある。東夷南蛮といった概念の見方については別稿で。)

蛇トーテム部族の末裔としては、以下の諸族が含まれよう。尚、上記で文化的に類似と書いた、山東半島沿岸-済州島には残滓はほとんどないと見なし、記載していない。
●蜑[蛋]民
広東が中心だが、華南〜海南島の広範囲に分布している有名な水上生活者。漢民族とされている。
しかし、古代の南越族の末裔と見るべきだろう。漢化されたので、現在の信仰対象は「龍王+媽祖」。小生は、「蛇郎君+蛇娘子」の代替と見る。
●壮[チワン]族
広西省大明山付近で小蛇を蛇母として信仰しているそうだ。蛋民由来なのだろう。(参考:「文物中的蛇:壮族与嶺南漢人的蛇母崇拜」 2013年02月04日 15:01 新浪文化/中国華文教育網)
族@福建
越同様に、「蛇種」とされている。南平市延平では七夕に「蛇王節」挙行。樟湖鎮崇蛇文化の復活ということのようだ。
●排湾[パイワン]族@台湾山地
猛毒な「百歩蛇」を祖神とする貴族が支配する少数民族。下層民も蛇の出自とされる。言語的にはマレー・ポリネシア系とされている。
●倭族(日本人は混血化しており他部族の末裔でもある。)
神在月には島根半島辺りの海は荒れ、南方の錦紋小蛇(背黒海蛇)が登場。古事記記載の、「神光照海」である。上陸地点は佐太神社とされる。この神は、大穴牟遅こと大国主神に対して、「吾を倭之青垣東山上(御諸山)にイツキ奉れ」と語る。背黒海蛇は毒があり荒ぶる神だが、家蛇になれば害獣から守ってくれる和神化することになる。
尚、蛇娘子を祖先と考えるなら、蛇形髪飾りをする筈。出土品の日本最古の漆細工の櫛とはソレ。(当然ながら、横型ではなく、縦型で根元が鎌首型。)

この他、雲貴高原には、蛇崇拝の少数民族が住んでいるが、取り上げなかった。違う系譜の可能性があるからだ。・・・エジプト発祥の蛇崇拝がインドのドラビダ系に伝播。多分、脱皮の不老不死信仰中心だろうが、♂ナーガ/Nāga+♀ナーギィ/Nāgiの2神だから、繁殖繁栄も重視していそう。言うまでもないが、コブラ系である。(釈迦族と懇意だったインド-ミャンマー国境域の丘陵地帯に居住するナガ/Naga族の名前は耳飾とされるから、トーテム部族ではなさそう。)どういう訳か、ガンガー女神(川神)崇拝に蛇女神ナーギィが被さる。そして、ミャンマーへ。アンコールワット地域にも蛇信仰は到達した筈。その後は雲貴だ。

(参考) →「蛇という」[2015.3.22]

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