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「我的漢語」講座

第21回 突厥 2010.11.17
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 中国は実質的に汉族の国だが、名目上は、他の55个民族を含む多民族国家とされている。(1)
 そこら辺りを眺めながら、文明の生態史観的に大陸の全体像を考え、漢語に触れていこうと思う。

中国には、極めて遠い民族も紛れ込んでいる。
 少数民族はどこの国にも存在するが、たいていは言語か宗教が周囲と似通っていることが多い。歴史的経緯からで、複雑な事情がある場合も少ないない。中国の場合は、理由ははっきりしていないが、2民族が該当しそうだ。言うまでもないが、欧州・インド系ということ。

 一つは、塔吉克族・・・タジク族である。
 どうも、イラン外のペルシア人らしい。中国では他のイスラム教少数民族と一緒にされがちなようだが、シーア派であり、系列が異なる。(尚、ソ連邦から独立した塔吉克斯坦共和国はスンニ派である。)シーア派となると、原理主義的な傾向が強そうなセクトの可能性もあるが、実際はどうなのだろうか。

 もう一つは、俄罗斯族・・・オロス族/ロシア族である。
 こちらはギリシア正教の信徒だから、正真正銘のロシア民族だ。大ロシアは中央アジア植民政策に力を入れていたから、中国との交易担当としてこの地域に入ったということだろう。多分、ロシア革命後、ソ蓮からの移住者続出だったと思われるが、その後、中ソ共産党間の深刻な対立が発生したから、こんどはソ連への移住続出といったところではないか。さて、現在はどうなのだろうか。

北方は西から東まで遊牧文化の帯が存在している。
 上記の“遠い民族”の地域は、中国の西の国境に近い。そこら辺りは昔から中央アジアの遊牧の民の地である。
 それを大陸全体で 俯瞰的に眺めると、西域だけではなく、東端の朝鮮半島さらには日本まで連続していることがわかる。日本民族発祥−“騎馬民族”説はかなり無理がある理屈だが、地形を眺めると一理あることがよくわかる。言うまでもないが、この帯は长城で区分された北側である。非汉族の交流ルートと言ってよいだろう。
西←  【山岳地域】【高地】【山間部】【中・低地】【沿岸部】【海洋・島嶼】  →東
帕米爾高原
兴都库什山脉
■ 西域 ■外蒙古高原
−−−
内蒙古高原
大兴安岭山脉東北平原
(満州)
朝鮮半島[日本海] 日本 [太平洋]

 先ず、西域から見ていこうか。
 上記で述べた、ロシア系、イラン系の少数民族は、当然ながら西域端に住んでいる訳だが、ここら辺りは土耳其(トルコ)から繋がるイスラム教の回廊と言って間違いないだろう。所謂、言語学的な分類ではテュルク系の人々である。まあ、突厥と呼んだ方がピンとくるが。
 西域には、お馴染みのスタン国家名の少数民族が多いが、皆、突厥一派である。
  维吾尔族・・・ウイグル族
  哈萨克族・・・カザフ族/ハザク族
  乌孜别克族・・・ウズベク族
  柯尔克孜族・・・キルギス族/クルグズ族

新疆辺りは、どう見ても突厥圏である。



帕米爾高原
(パミール)
兴都库什山脉
(ヒンドゥークシュ)
阿尔泰山脉(アルタイ)
准噶尔盆地(ジュンガル)
天山山脉(テンシャン)
塔里木盆地(タリム)
塔克拉玛干沙漠(タクラマカン)
昆仑山脉(クンルン)
 中華思想から見れば、西域とは要するに、辺境の地。新疆维吾尔自治区である。当然ながら、その主体は本来ならウイグル族。しかし殖民政策が進んでいるから、都市部ではマイナーな住民なのは間違いない。
 常識的に考えれば、この民族は土着だろうから、その居住地はタカラマカン砂漠の周囲のオアシスということになる。水さえ枯れなければ、農業生産性は悪くない筈である。

 一方、国境を越えると、そこにはそれぞれの“スタン”民族国家が並ぶ。・・・哈萨克斯坦(カザフ)、 吉尔吉斯斯坦(キルギス)[→乌孜别克斯坦(ウズベク)]、塔吉克斯坦(タジク)である。それに対応した、少数民族が中国国内にも存在している訳である。
 西域の西の一大出口はタジキスタンになり、そこには有名な帕米爾高原(パミール/葱嶺)がある。もちろん、その南側は民族ゴチャ混ぜの阿富汗。右図の交通をみれば当然の結果。海にでたいとなれば、陸路よりは印度河(インダス)を使って下ることになる。そして、海路か陸路で波斯(ペルシア)となる。ついでながら、アフガニスタンも、僅かだが中国と国境を接している。
 もちろん“斯坦”国家を経て、土库曼苏维埃社会主维共和国(トルクメン)から、黒海を渡り土耳其(トルコ)へと続くのがかつての突厥の帯である。
 それはともかく、中国内の少数民族は、もともとの土地から何らかの理由で離れ、住み易いところを探して今の地に落ち着いたというより、山岳遊牧の民だから移動していて、たまたまの結果ということではないか。

 ただ、タタール族には中国外に独立国はない。ロシア連邦内のヴォルガ川中流にあるタタールスタン共和国だけ。馴染みあるのはタタールより“韃靼人”だが、ロシア語読みにせざるを得ないのだろう。ここで注意を要するのが民族の定義。“タタール”はこの辺りの遊牧民全般を指すこともあるからだ。定住型ではないと、経済単位はどうしても部族であり、民族もさらに細分化されてしまう。そうなると、外部からは、民族区別は困難でありずべてを一括りにしたくなる訳だ。
 もっとも、タタール族の指導者が中国の西域地区の為政者になったところを見ると、タタール族は定住型ということか。(他の民族の有力指導者は事故で死亡したというだけのことかも知れないが。)
  塔塔尔族・・・タタール族
 尚、新疆ウイグル地域でない地区に入ってしまった民族もあるが、素人には、どういうことかさっぱりわからぬ。
  撒拉族・・・サラ族

 たったこれだけの話だが、状況はなんとなくおわかりになれるのでは。中央アジアの諸国を民族的にまとめてしまえば、本来ならスンニ派イスラム教国を統合し“土耳其-斯坦-”ができたもよさそうなもの。しかし、アフガニスタンを見てわかるように、現実には諸大国が関与してくるし、独裁者が登場しない限りどうにもならない。群雄割拠がお好みなのは、遊牧民の文化ということかも。その結果、西突厥がロシア領、東突厥(モンゴル)が中国領という形で分割されてきた訳だ。ソ連崩壊で西突厥に分割された民族国家が生まれているにすぎない。
 オスマントルコ大帝国の記憶が生々しく、成吉思汗の騎馬隊に大敗北を喫して逃げ惑ったことがある西欧にとっては、本心では、それで一安心ということだろう。

非“突厥”化したイスラム系民族は各地に分散している。
 日本人の場合、そんな世界観を持つ人は稀で、西域とはロマンの世界そのもの。中国大陸では、そんな感覚を持つ人はいまい。多分、辺境の“回教徒”といったところ。トルコ系のイスラム民族という発想もでてこまい。
 そう考えるのは、イスラム教に馴染みがある筈だからだ。中国旅行をした人が、清真寺(モスク)や、独特な帽子を被っている人達の話をすることが多いからわかるように、回族が大陸全土に分散して住んでいるからだ。商業の才があったということか。
 “突厥”とは一線を画す必要があるのか、出自を表明したりはしないようで、民族として一様なのかも外部からはよくわからない。実生活では各地で漢民族と融合化しているのは間違いないところだが、逆に、宗教的規律は厳格に守られていそうである。
  回族・・・ホイ族、フイ族

 と言うことで、第二十一回はこれまで。
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 --- 参照 ---
(1) http://www.gov.cn/test/2006-04/17/content_255861.htm


 
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