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2008.12.17
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道元禅師の思想を曲解すると…

  人喫飯、飯喫人なり。

  飽叢林と自稱して、曲木の牀にのぼるもの、法性の聲をきき、法性の色をみるに、
  身心依正、よのつねに紛然の窟坑に昇降するのみなり。

     道元: 「正法眼蔵」 “第四十八 法性”(1)

  (勝手な解釈: 飽きるほど修行を積んだと自称し、説法台に上るものがいるが、
  法性の程度は、所詮はまともな倫理感レベル。世の中の動きに流されているだけのこと。)


 室町時代の京の禅宗は、茶道/懐石料理文化を支えていたのは確かだが、権力と近しい存在すぎ、精進料理の独自文化がどのようなものかは判然としない。現代の臨済禅は、白隠禅師(1686〜1769年)辺りのものだろうから、栄西禅師の頃の食文化は余り残っていないということかも。
 これに対して、鎌倉の禅宗は、建長汁を生んだ。いかにも武士文化らしさを感じさせる料理と言えよう。
  → 「素食文化に触れてみよう」、 「建長汁を作ってみよう 」 (2008年12月3日/10日)

 こうした臨済禅に対して、権力と一線を引くことを旨としていたのが、道元が始めた曹洞宗。政治の中心から遠く離れた永平寺を拠点とするなど、いかにも反権力的な雰囲気を醸し出している。と言っても、武家を中心として全国に広まったのは徳川家光の力といわれているが。
 ともあれ、京の状況を眺め、都で座禅を組んでも修行にならないと考えたのは間違いないだろう。日々の立ち振る舞いや、お勤めや食事等を自分で律する環境なしには修行は無理だと感じたのは当然といえば当然かも。
 1237年に著した「典座教訓」(2)を読むと、そんな心情がひしひしと伝わってくる。この本は、庫裡の給食役「典座」向けの心得帳というべきものだが、備忘録ではない。実に事細かに、料理の支度作業(作務)の進め方が記載されており、作務マニュアルと言えないこともない。しかし、エピソードが掲載されており、修行道場用の思想ワーキングブックになるように工夫されており、実に優れた書だ。(3)
 これが、学生の時に読んだ難解そのものの「正法眼蔵」を著した人が書き下ろした書物とはとても思えない。
 目を通すだけで、京を離れた意義もなんとなくわかってくるから不思議な書物だ。まあ、誰が考えても、賓客をもてなすことに気をつかう生活をやめ、食事の際も含め、仏道精進三昧の生活を送ろうというのは当たり前といえば当たり前。
 調理作業自体が重要な修行というのも、実にわかり易い。しかも、それは言葉だけではなく、現実なのだ。「典座」は雑用係ではないのである。(企業組織で言えば、修行道場マネジメントチームは、総責任者、スタッフ部門長、経理、勤労、営繕、食堂の6役職で構成されているといったところか。)そして、「典座」の下で働くのはすべて修行僧。料理のアウトソーシングなど有り得ないのだ。
 ただ、質素に徹することを是としている訳ではない。「典座教訓」のハイライトシーンが如何に物語っている。中国に渡った若き道元禅師のもとに、はるばる老師が干し椎茸を調達に来る位なのだ。修行する僧達に美味しいものを作るため、海外産品を入手するため労力を惜しまないのである。心のこもった食にどうしても必要と考えるなら、なんとしても追求するということ。

 もっとも、最近注目されているのは、この「典座教訓」ではなく、「赴粥飯法」の『五観の偈』の方。食育キャンペーンに合うからだ。
 まあ、心情的にわからぬでもないが、七百年以上も昔の修行僧用のテキストからご都合主義的に一部を引用する手法には疑問を感じる。
 まさか、「典座教訓」の修行僧向け食事を、一般人にお勧めする人はいまい。(総熱量は驚くほど低いし、蛋白質やカルシウムの摂取量も足りないようだ。)これは、“質素ではあるが心のこもった食事と、それに対する深い感謝の気持ちを持つことができる磨かれた精神とが活力となって、修行僧の生活の基盤が作られていく”(4)ためのもの。食事だけではなく、作務すべて、その気持ちで臨むための修行だから意味があるのだと思うが。

〜客膳料理の内容〜(4)を参考にした.
一の膳 白飯 + 味噌汁
膳皿 酢の物
胡麻豆腐
猪口 野菜の和え物
小皿[副菜] 焼物/揚物
雀皿 漬物
二の膳 湯葉吸物
平[主菜] 煮物
台平 果物+「あじろ昆布」
 当然ながら、一般人が永平寺で頂く食事とは違う。
 例えば、「客膳料理」など立派なものであり、食の喜びも味わえるし、栄養バランスも優れていそうだ。ただ、手間と時間をかけないように工夫すれば、決して一般家庭で難しい食事ではない。
 と言うより、永平寺が指導した食事が日本の家庭料理の基本となったのではないかという気がする。要するに、当たり前の食事ということ。
 従って、学ぶといっても難しい。道徳的なトーンを削り、合理性の観点で眺め直すとよいかも。
 例えば、以下のようにまとめることもできよう。
  ・食中毒を出さない。
   -動物性食品を一切使わない。
   -調理場を清潔に保つ。
   -器具・道具の整理整頓は欠かさない。
   -後片付けをしっかり行う。
   -調理食品を残さない。
   -火を通す。
   -清水を使う。
   -生ゴミは出さない。
   -調理者は鋭敏な嗅覚と味覚で良質か判断する。
   -判断を鈍らす、強い味付け、強い香りの素材使用は避ける。
   -調理者は健康が損なわれないように注意を怠らない。
   -出自がはっきりしない食品は使わない。
   -華美な盛り付けはしないが、心遣いはした方がよい。
  ・調達した食材を大事に使う。
   -良質の出汁素材(昆布と干椎茸)を大切に使う。
   -素材の味がわかる調味を心がける。(「淡」味の追加)
   -五色の彩りに無理にこだわらない。(「淡」色の追加)
   -無理な調達をしない。(地物、旬物など楽に入手できるもの中心)
   -素材を無駄にしない。(心を込める)
   -外れ食材も捨てずに使う。(創意工夫)
   -様々な調理方法を駆使する。(五「法」の活用)
   -日々、多彩な食材を使う。
   -適切な水加減・火加減で調理する。(美味しさを引き出す技術)
  ・大豆蛋白を多用する。
   -大豆醗酵製品の調味料を用いる。
   -大豆加工品を必ず入れる。

 ということで、メニューを作ってみた。如何。
   【白飯】 炊きたてご飯に黒胡麻かけ
   【 平 】 雁モドキ・人参・オクラの煮物
   【小皿】 茄子・ピーマンの味噌炒め
   【 汁 】 生海苔[解凍品]の味噌汁
   【 1 】 モズク三倍酢針生姜
   【 2 】 金時豆の煮豆
   【雀皿】 沢庵
   【台平】 蜜柑

 --- 参照 ---
(1) 「正法眼蔵」“第四十八 法性” 松門寺の座禅会 http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou48/index.html
(2) 道元[訳注: 中村璋八,他]: 「典座教訓・赴粥飯法」 講談社学術文庫
(3) 高橋隆雄: 「道元『典座教訓』−言葉を理解するとはどういうことか−」 熊本大学社会文化研究4 [2006年]
   http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2914/1/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E9%9A%86%E9%9B%84.pdf
(4) 三橋洋子,他: 「永平寺修行僧の食事〜道元禅師から学ぶ食の精神〜」 和洋女子大学紀要40 [2000年]
   http://ci.nii.ac.jp/naid/110000472350/
(道元「月見の像」) [Wikipedia] 宝慶寺蔵 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Dogen.jpg


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