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2006.9.13
 
 


地方低落の本質…

- 高所得地域 (2005年)(1) -
[全国=100]
■■ 200以上の地域 ■■
東京都
23区
港(362)
千代田(312)
渋谷(269)
中央,目黒,文京
■■ 150〜199の地域 ■■
東京都
23区
世田谷,新宿,杉並,
品川,大田
東京都
23区外
武蔵野,(小笠原)
千葉 浦安
兵庫 芦屋(184)
■■ 130〜149の地域 ■■
東京都
23区
中野,豊島,
台東,練馬
東京都
23区外
三鷹,小金井,国分寺,
国立,調布,狛江,
府中,稲城
(青ヶ島,利島)
神奈川 鎌倉,逗子,川崎,
横浜,藤沢
千葉 市川
埼玉 和光
愛知 日進,刈谷,
豊田,知多
(三好,長久手)
大阪 箕面
■■ 120〜129の地域 ■■
東京都
23区
江東,板橋,
北,墨田
東京都
23区外
町田,多摩,西東京,
小平,日野,立川
(御蔵島)
神奈川 大磯,茅ヶ崎,海老名,
大和,伊勢原
埼玉 朝霞,戸田,さいたま,
所沢,志木
千葉 習志野,我孫子,柏,
船橋,松戸,
流山,佐倉
[千葉(119.7)]
茨城 守谷
愛知 豊明,名古屋,大府,
岡崎,安城,尾張旭
(東郷)
奈良 生駒(129)
大阪 吹田(125)
兵庫 西宮(128)
 生産性が向上すれば、その波に乗れない人もでてくる。所得格差は必然的に生まれるものなのだ。
 従って、格差是正方策は、生産性向上の流れを止めるものであってはならない。そんな政策を打ち出せば、経済は間違いなく沈滞する。グローバル競争の時代に、その方向に進んだら、奈落の底まで落ちかねない。
  → 「格差是正論の胡散臭さ 」 (2006年9月6日)
  → 「格差のプラス面 」 (2006年9月7日)

 つまらぬ“一般論”を記載してしまったのは、日本は低落の道を選択することになりそうだから。

 放置できない格差問題が発生しているため、どうしようもないのである。
 いわずと知れた、都会と地方の格差である。東京都港区は全国平均の3.6倍で、地元が0.7倍といったデータを示されれば、地方の政治家は動かざるを得ない。
 地方の有権者は2票投票できる仕組みが続いており、地方が格差是正に動けと声をあげたら、どうにもならないのである。対応しなければ、政治は不安定化する。それでは、とても経済どころではない。

 どこの国だろうが、格差があるからこそ、人が集まる地域が生まれる。これが都会発祥で、極く当たり前の現象である。
 地方から都会へと、集団就職で大量の労働力が移動した時代を思い出せばわかる筈である。都会に憧れ、喜んで行った訳ではあるまい。田舎ではお金が稼げないからである。
 統計データがどうであれ、その頃の、田舎での所得格差はすさまじかった筈である。しかし、それを問題視する人などいなかった。それが、今は逆。

 ともかく、都会との格差許すまじというのである。

 言うまでもないが、地方が自力で地域の経済力を高めるから、力を貸せというのではない。表面的には色々装飾されているが、中味は、ともかく財政出動で地方にお金を落とせというもの。ともかく、お金を儲けている輩がいるのだから、儲けをこちらにも回せというだけのこと。
 公金横領を平然と行う地方政治と、それを是正する気もない風土だから、当然の姿勢かもしれぬ。

 実は、格差発生の本質はこうした風土なのだが。

 ここで注意すべきは、「都会と地方」の格差と言うが、正確には違う点。高所得地域は首都圏と愛知に集中しており、都会全般が上手くいっている訳ではない。
- 上記以外の大都市 -
[人口50万以上]
所得格差
115〜119 (都・江戸川),
八王子,相模原
110〜114 浜松
105〜109 広島, 静岡
100〜104 (都・足立), 仙台,
神戸, 福岡, 京都
95〜99 岡山
90〜94 堺, 札幌, 姫路,
新潟, 大阪, 熊本
85〜89 鹿児島
80〜84 松山, 北九州

 グローバル化すれば、こうならざるを得ない。かつては、都市とはモノの流れのハブ役として繁栄したのだが、通信・物流コスト低廉化したから、都市の役割は変わったのである。都市の富は、デジタル情報を駆使する業務から生まれるようになっている。この流れに乗れない都市は、スラム化か、衰退する可能性が高いのである。プロフェッショナルの仕事場があるだけでなく、その仕事と生活を支える広範で安価なサービス業が揃っており、魅力的な消費の場が無ければ、富を生み出す人々は移っていくということである。

 要するに、形だけ真似たミニ東京を作って繁栄を目指すのは無理筋なのである。
 地方も同じこと。上手くいっている地域の真似は滅多に奏功しない。官庁のご指導で投資を行うビジネスマンはいなくなっているのに、未だに、「○全総」型政策を期待する勢力がいるそうだが、借金を増やし、さらなる不景気を呼ぶだけに終わるだけのこと。民間投資は益々遠ざかるのである。

 経済を再生させたいなら、最初にすべきことは、腐敗を許さない風土作りである。
 腐敗が放置されるような社会で、懸命にビジネスを立ち上げる人がでるとは思えないからだ。投資意欲が無い地域で、経済が発展する道理がなかろう。
 しかも、今後、「公」が金欠になるのは明らかなのだ。どんなインセンティブが提供されようと、腐敗している地方への進出を図る企業経営者はどうかしている。将来、身包みを剥がされるのはわかりきった話である。

 それに、経済のルールを壊したい人が多いのも地方の特徴と言えよう。地方の土地価格が下がることを問題視する人も多いのだ。ほとんどの場合、地方の土地は高すぎるのに、価格を下げないような政策を求めるつもりらしい。投資に見合った儲けが出なくても、高額な土地を購入せよと主張するのだから話にならぬ。
 資本効率を落として、経済成長を図れというのだから、議論にもならない。
 この風土を変えない限り、地方経済再興などありえまい。

 そもそも、地方での知恵者と言えば、訳のわからぬ仕組みを活用して儲ける術を知る人を指すことが多い。どのようなものも、仕組みは複雑になっており、部外者にはさっぱりわからないから、アドバイスなしでは動けないから、こうなる訳である。
 こんな環境下で、経済のダイナミズムが生まれることはなかろう。

 ところが、そんな劣悪な環境下でも、しがらみを抜け出る優秀な起業家も少なくないから驚きである。頭が下がる。
 だが、そのような人達は、地元では褒め称えられるだけ。名誉職だけで政策に関与することはできない。下手に動かれて、既存の儲けの仕組みを壊されてはこまるからである。
 自力で未来を切り拓こうと考える勢力の台頭を許すわけにはいかないのだ。

 要するに、“悪貨は良貨を駆逐する”現象が深まっているのである。

 日本には、現在700兆円近い公的な借金がある。しかも、返済どころか、未だに増加の一途。返せる見込みなどないのだから、実質的に破綻していると言ってよいだろう。
 この借金をさらに増やそうというのが、格差是正論の正体である可能性は高い。現実を糊塗して、美味しい汁を吸おうというのである。

 そのツケは、まもなく、国債暴落となってはねかえる。
 悪夢だが、正夢であることは間違いない。

 --- 参照 ---
(1) 「民力 2006年版」朝日新聞社 [市町村等課税調査より]


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