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2015.1.28

歴史で感性を磨く

"詩仙"時代の意味

"詩仙"李白[701-762]の詩を色々と眺めていると、どうもその本質はカルト的道教かナと思えてくる。一方、「送元二使安西」で有名な"詩仏"王維[699-759]はいかにも常識的な仏教徒に映る。その落差は小さなものではない。
  李白の道教漢詩を眺めて[2014年12月18日]
  王維の脱世俗漢詩鑑賞[2014年12月12日]

というか、仏教徒である白楽天[772-846]の生活態度と比較してしまうので、気になる訳だが。
  白氏酒詩の頂点[[2015.1.24]
 設不幸、吾好藥、損衣削食、煉鉛燒汞以至於無所成、有所誤、奈吾何!

隋は仏教重視の王朝だったが、続く唐[618-690,705-907]は道教志向が極めて強かった。"詩仙"は、まさにその時代の代表者でもある。一方、隋の時代だと、老/荘を座右の書として隠遁生活を送った王績[585-644]が代表的道教詩人に該当するのだろうか。
ともあれ、唐は、老子を祖とみなした王朝であり、玄宗に至っては道士皇帝を称したほど。当然ながら、高貴な層は神仙思想満杯。労働しなくても、気を吸ひ、霞を食らい、仙薬を服していれば、不老不死実現という考え方が一世風靡した訳だ。それがもとで短命というケース続発と指摘しているかのような、上記の白楽天の指摘は真っ当。

ちなみに、道教的な隠遁生活を追求するとはどういうことか、詩で眺めるとわかり易かろう。・・・
  「採藥」 王績
 野情貪藥餌、郊居倦蓬
 青龍護道符、白犬遊仙術。
 腰鎌戊己月、負庚辛日。
 時時斷嶂遮、往往孤峰出。
 行披葛仙經、坐檢神農帙。
 龜蛇採二苓、赤白尋雙朮。
 地凍根難盡、枯苗易失。
 從容肉作名、薯蕷高成質。
 家豐松葉酒、器貯參花蜜。
 且復歸去來、刀圭輔衰疾。

  「遊仙四首」 王績
   一
 暫出東陂路、過訪北巖前。
 蔡經新學道、王烈舊成仙。
 駕鶴來無日、乘龍去幾年。
 三山銀作地、八洞玉爲天。
 金精飛欲盡、石髓溜應堅。
 自悲生世促、無暇待桑田。
   二
 上月芝蘭徑、中巖紫翠房。
 金壺新練乳、玉釜始煎香。
 六局黄公術、三門赤帝方。
 吹沙聊作鳥、動石試爲羊。
 氏還程促、瀛洲會日長。
 誰知北巖下、延首詠霓裳。
   三
 結衣尋野路、負杖入山門。
 道士言無宅、仙人更有村。
 斜溪桂渚、小徑入桃源。
 玉牀塵稍冷、金爐火尚温。
 心疑遊北極、望似陟西崑。
 逆愁歸舊里、蕭條訪子孫。
   四
 真經知那是、仙骨定何爲。
 許邁心長切、康命似奇。
 桑疎金闕迥、苔重石梁危。
 照水然犀角、遊山費虎皮。
 鴨桃聞已種、龍竹未經騎。
 爲向天仙道、棲遑君知。

これらの作品が魅力的に映るかネ。

隋・唐の時代に入って、神仙思想は高貴な層の不老不死願望に応えるものから、"一般"に通用する詩人でも追求できるものに変わってきたということのようだ。
李白も本気でそれに乗ったということだろう。
  「感興六首」
   一
 瑤姫天帝女、精彩化朝雲。
 宛轉入宵夢、無心向楚君。
 錦衾抱秋月、綺席空蘭芬。
 茫昧竟誰測、虚傳宋玉文。
   二
 洛浦有妃、飄雪爭飛。
 輕雲拂素月、了可見清輝。
 解珮欲西去、含情相違。
 香塵動羅襪,告不霑衣。
 陳王徒作賦、神女豈同歸。
 好色傷大雅、多爲世所譏。
   三
 裂素持作書、將寄萬里懷。
 眷眷待遠信、竟歳無人來。
 征鴻務隨陽、又不爲我棲。
 委之在深篋、蠹魚壞其題。
 何如投水中、流落他人開。
 不惜他人開、但恐生是非。
   四
 十五遊神仙、仙遊未曾歇。
 吹笙坐松風、汎瑟窺海月。
 西山玉童子、使我錬金骨。
 欲逐黄鶴飛、相呼向蓬闕。
   五
 西國有美女、結樓青雲端。
 蛾眉艶曉月、一笑傾城歡。
 高節不可奪、炯心如凝丹。
 常恐彩色晩、不爲人所觀。
 安得配君子、共乘雙飛鸞。
   六
 嘉穀隱豐草、草深苗且稀。
 農夫既不異、孤穗將安歸。
 常恐委疇隴、忽與秋蓬飛。
 烏得薦宗廟、爲君生光輝。


以下の、よく見かける、山中與幽人對酌、山中答俗人、山人勸酒だと、読んでいて、その気分を共有できそうな感覚に陥る。一杯一杯復一杯など、小生は好みである。しかしながら、上記になると、違和感を覚える。まともに道教の宗教観を感じさせるからだ。しかし、同じ詩人の、神仙感を詠ったものであるから、類似作品の筈。読む方が勝手に違う感覚で対応している可能性は高かろう。
  「山中與幽人對酌」
 兩人對酌山花開、一杯一杯復一杯。
 我醉欲眠卿且去、明朝有意抱琴來。

  「山中答俗人」
 問余何事棲碧山、笑而不答心自閑。
 桃花流水杳然去、別有天地非人間。

  「山人勸酒」
 蒼蒼雲松、落落綺皓。
 春風爾來爲阿誰、蝴蝶忽然滿芳草。
 秀眉霜雪顏桃花、骨青髓穀キ美好。
 稱是秦時避世人、勸酒相歡不知老。
 各守麋鹿志、耻隨龍虎爭。
 起佐太子、漢王乃復驚。
 顧謂戚夫人、彼翁羽翼成。
 歸來商山下、泛若雲無情。
 舉觴巣由、洗耳何獨清。
 浩歌望嵩嶽、意氣還相傾。


そうなると、「尋尊師隠居」とは、実際に仙人道士に会う話ということになる。さらに、「獨坐敬亭山」は謝[464-499]の「遊敬亭山詩」を引いているらしいのだが、その元を見ると"隱淪既已托。靈異居然棲。"う〜む、完璧な宗教観の吐露。

考えてみると、隋-唐で道教は大転換したということか。つまり、詩人も巻き込んだ、仙人道士開発ドラッグと山中隠遁生活による不老不死追求が大流行。
李白はそのお先棒を担いだともいえそう。

但し、それは、一種のルネサンスでもあったと言えるかも。それまでは徐福流の思想が定着していたとすれば。・・・
 秦始皇希望長生不老。
 徐氏上書説
  海中有蓬、方丈、瀛洲三座仙山、有神仙居住。
@B.C.210]
ここには、宗教観が欠落した独裁者の有様が見える。老荘的な自然との一体感というか、一般に流布していた自然への畏怖観念があった筈だが、方士虐殺を通じて、それらすべてを消し去ろうとした訳だ。
そのエピゴーネンが毛沢東である。
 勸君少罵秦始皇、焚坑事件要商量。
 祖龍魂死秦犹在、孔学名高實秕糠。
 百代都行秦政法、十批不是好文章。
 熟讀唐人《封建論》、莫从子厚返文王。
 暦代政治家有成就的、在封建社会前期的、都是法家。
 這些人主張法治、犯了法就殺頭、主張厚今薄古。
 儒家満口仁義道コ、一肚子男盗女娼、都是主張厚古薄今的。


そして、1999年、道教的な気功と言われている法輪功は中国共産党により「邪教」とされた。

(参考) :「毛沢東対暦代帝王的評説:勸君少罵秦始皇」2014年05月23日 北京日報

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