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2009.9.24
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米信仰[続]…

〜 餅や米を尊ぶのは日本人だけではない。 〜
 現代の米信仰の話をしたが、米は小麦、玉蜀黍と並ぶ世界の3大穀物。日本人だけがご執心の作物という訳ではない。従って、海外の状況を見ないで、日本人だけ特別との前提で考えてしまうと、米信仰の本質を見誤るかも知れぬ。

 正月の鏡餅とお雑煮の習慣が、今もって連綿と続いているから、米信仰を考える際のとっかかりとしては、餅となろうが、餅自体の歴史はそう古いものではないかも。
  →  「日本の餅文化起源仮説」 (2007.10.31)

 そうだとしても、鏡餅は、年神様の“依り代”、お雑煮は、神との共食とされており、日本人の精神の古層に関係する信仰心と繋がるものであることは間違いなからう。
 だが、これだけで、日本独特の習慣と見る訳にはいかない。

 よく知られるように、雲南に、そっくりの風習があるからだ。
 “旧暦10月は1年の始まりであり、・・・もっとも大切な祭日である。・・・みんなで掃除したり、もちをついたり、祖先を祀ったりする活動”をし、“家族全員でテーブルを囲み、一家団欒を象徴するもち米の団子を食べる。”(1)
 日本そっくり。

 さらに、餅文化という観点で広く眺めてみれば、類似の信仰心の残渣らしきものが見つかる。

 「餅」とは、中国の北方地域では、大切にされる食べ物だ。米ではなく、小麦粉製だが。
 それでは、中国の南方はどうなっているかといえば、新年のお祝いに類似品が登場する。蒸したもち米(代替品:もち粟)で作ったお菓子、「年[米羔](Nian Gao)」だ。“過年吃年[米羔]的習俗,據傳從周代開始,已有3000 多年的暦史”だそうだ。(2)餅とは呼ばないが、材料はもち米だ。
 ベトナムを見てみよう。テト(旧正月)には、餅料理の 「バンチュン(Banh Chung(3))」で祝うそうだ。日本流なら四角の粽にあたる。名称は、宇宙という意味らしいが、なんとなく、古代感覚を受け継ごうとしている感じがする。
 キリスト教国化してしまったフィリピンでも、そんな習慣は僅かに残っていそうだ。そう思うのは、もち米のココナッツ風味のお菓子“Palitaw”(4)があるから。
 バリ島観光に行くと、“Bubuh Injin”(5)と呼ばれる蒸した黒もち米の粥(プリン)の存在に気付く。と言うか、日本人旅行客がお勧め攻めにあう菓子である。コレ、もともとはお祭用と聞く。

〜 日本人は、始めから稲を特別視していた訳ではなかろう。 〜
 さあ、ここから何を読みとるかだ。
 よくあるのは、もち米を蒸して搗くことで餅を作る点に注目するやり方。日本以外では雲南辺りしかないとされ、照葉樹林帯文化圏の存在を実感する訳だ。
 だが、雲南の米信仰と、日本の米信仰が同じとは限るまい。見逃している点がないか、注意すべきだと思う。

 ちなみに、小生は、日本の米信仰は、アジアの他地域とはかなり違うと見ている。
 その一つの理由は、お米の“純白”を矢鱈に尊んでいる点である。この発想、「米」の渡来史から見ると、どこかおかしい。もともとは赤米だったからだ。米の白さが発揮できるようになったのは、相当後代である。もし、伝統を重んじるなら、お米が入ってきた際の「赤米」を尊ぶべきではないのか。お赤飯のような色付きが正統な筈。
  →  「赤米から見えてくる古事記の世界」 (2007.4.17)

 色でいえば、インドネシアのように黒米でもよかったが、黒は毛嫌いされる。と言っても、それは米の場合で、昆布なら黒でよいのだ。結構、香りに敏感な民族だから、タイのような香米(ジャスミンライス)を尊ぶ方向に進んでもおかしくなかったが、それも拒否した。
 それに、餅は搗くもの。粉化させて作ったりはしない。技術的に進化させるのが大好き民族にしては、古い技術にいつまでも拘る態度がいかにも不自然。
 日本の信仰対象の米とは、特別な拘りを前提とした、日本流の米なのである。ここに米信仰の本質がありそうだ。

〜 古事記によれば、食の原点は五穀だ。 〜
 考える上でヒントになりそうなのが、古事記の記載。
 スサノオに殺された大気都比売神から食べ物が生まれる。(目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆。稗は口伝者の出自に関係するにもかかわらず除外されており、“卑”の食物という位置付けか。)気になる点をまとめて見ようか。
 ・気都比売神に係わる食物は、人為的に栽培された「作物」である。
 ・稲・粟・小豆と麦、大豆は別モノ扱いかも。
 ・蚕も、この“五穀”と一緒に登場するが、桑は対象にならない。
 ・芋や葉野菜も栽培されていた筈だが入ってこない。
 ・ナッツ類が取れる樹木も植えた筈だが、木はこの姫[比売]の担当外なのかも。

 ともかく、古事記の記載状況から見れば、稲が特別視されているとは思えまい。もし、そうしたいなら、腹から生まれるのでは。従って、自然神から頂いた「食」の感謝なら、“稲”ではなく、“五穀”を尊ぶのが筋だ。
 そうならないのは、「稲、粟、小豆、麦、大豆」以前の「食」の信仰感覚を受け継げたのは、「稲」だけだったと言うことでは。

〜 五穀で比較すると、米の特別視の理由がわかってくる。 〜
 要するに、米信仰の原点には、「白い食」信仰があるということ。そこで、もう少し、古事記の“五穀”を考えてみよう。
 古事記には書いていないが、これらすべて、加熱調理で食べるもの。日本人が余り好きではない、火を使うやり方。
 ただ、作物によって、その方法は違う。
  ・稲・粟・小豆は、蒸すか煮ただけで食べるのが普通だ。
   さらに、搗いたり、潰したりして、餅か餡にする。
   粉は団子や粽になる。
  ・小麦は、蒸すか煮ただけでは食べない。
   粉にして形を作り、焦がしたり、焼いたりすることが多い。
   確かに、“産む”タイプの食品である。
  ・大豆は、黄粉もあるが、煮てから加工するものが多い。
   醗酵製品が少なくないし、汁を固めたりする。
   このことは、煮るだけでは臭くて食べたくない作物ということ。
   “尻から大豆”は言いえて妙。

 さあ、ここで、推定古代感覚に基づいて、稲・粟・小豆の違いを考えてみよう。
  ・米は“目”で愉しむものかも。それが“白さ”。
  ・小豆餡にはうっすらとした“香り”がある。
   この香りを欠くと、粉っぽい安物の晒し餡の感じがする。これは“鼻”の作物なのだ。
  ・粟麩はなかなか美味しいものだが、そんなものでは参考にならぬ。
   わかり易いのが、粟ぜんざい。小生は甘くて食べきれないが。
   この特徴は何かといえば、粟のプチプチ感。
   う〜む。粒を潰せば音がでるのである。“耳”の食べ物だ。

 流石、古代人。そのセンス抜群とは言えまいか。

〜 現代日本人の米信仰は、最古の作物信仰をそのまま受け継いでいるのかも。 〜
 間違ってはこまるが、古代人が上記のような発想だったと信じている訳ではない。なんの証拠もない。こじつけと考えて欲しい。
 ただ、「稲」は、“目”で暗示できる何かを持っているのは間違いない。ここが肝。
 それは、形かも。

 実は、そんなことは誰でもが知っているのだ。
 米には、ジャポニカ(日本型)、インディカ(インド型)、ジャバニカ(ジャワ島型)の3種類があるからだ。世界の主流であるインディカ米は細長い粒。日本型は眼の形で、ジャワ型は太った大粒。
 そんな、細かいことはどうでもよい。日本人だけが、異なる方向の稲を愛し続けたことに注意を払う必要があろう。
 もちろん、生産性もあったろうが、眼の粒に拘りたい理由があったのである。それは何か、などと議論する必要はなかろう。
 そう、誰でも知っていること。
 粘るお餅や、ベタベタくっ付くご飯ができる稲なのである。日本人は、パラパラ感の出るインディカ米はお嫌いなのである。
 中国の大根餅を食べれば感じると思うが、大根おろしと小麦粉で作っているから、日本人のレベルでは粘り感はゼロ。餅の感覚が違うことがよくわかる。

 ここまで語ると、“そう言えば”感に襲われるのでは。
 日本人は、ネバネバ食品が好きなのである。納豆、オクラ、モズク、山芋、等色々ある。
 この好みは、どこから来たのか。
 普通に考えれば、それは“五穀”以前の主食と思われる、イモでは。

 古代、イモを栽培していたのは間違いなかろう。ただ、それは種を撒く栽培ではなく、栄養繁殖。だが、それでも、自然神を信仰していたなら、イモ信仰も残っていそうなもの。だが、その流れは見えない。日本人の体質を考えれば、そんなことは考えにくい。
 そうなると、イモに対する信仰を、“五穀”に受け継ごうと図ったと見るのが自然だ。
 それはなんだろう。
 色の白さと粘り感とは言えまいか。

 現代のイモといえば、ジャカルタから渡来したジャガイモと、唐、琉球、薩摩経由で伝来したサツマイモだが、いずれも新しいものである。
 昔のイモといえば、丸型の水辺の「里の芋」と丘陵に育つ長い「山の薯」だ。前者はTaro類で、後者はYam類だが、どちらもいかにも熱帯の植物といった感じがする。それを無理矢理に温帯にもってきたのでは。もちろん、太古の時代だが。
 “五穀”以前、日本には様々な種類の「山の薯」があり、食べ物の恵みを頂ける山への感謝の念は深いものがあったのでは。
 もちろん、イモだけでなく、雑穀も焼畑で行っていたろうが、耕作地の固定化栽培技術が登場して穀類だけになったのだろう。
 そうなれば、イモ信仰は不要だが、それを米と混交させてもおかしくない。
 白くて粘る食べ物でなければ、神から力を頂戴できないと感じたということ。
 これこそが、日本の米信仰の原点ではないか。

【前回】  「米信仰」 (2009.8.20)

 --- 参照 ---
(1) 「稲作文化の奇跡雲南・元陽県のハニ族の棚田」 人民中国インターネット版
  http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-04/23/content_111724.htm
(2) http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E7%B3%95
(3) http://vi.wikipedia.org/wiki/B%C3%A1nh_ch%C6%B0ng
(4) http://en.wikipedia.org/wiki/Palitaw
(5) “Bubuh Injin(Black Rice Pudding)” The Food of Bali
  http://www.baliguide.com/balifood/bubuh_injin.html


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