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2010.3.24
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日本の横笛考[その4]…

 篠笛、龍笛、能管と日本らしい7ッ指孔の笛の話をしてきた。

 前述したように、すべて竹材の横笛。
 一番シンプルで原型を残そうとしているのが篠笛で、中国の宮廷辺りで美しいものにした笛に日本の桜信仰を被せたのが龍笛。さらに、日本の音楽の源流に応用したのが能管といえそうだ。
 どこまでつきつめられたのは知らないが、この手の笛の源流はインド北部とされている。東の末端まで伝わると、このような展開になる。

 西に伝わると、非竹材をもちいた横笛となり、運指のしやすさや音の美しさを徹底的追求されたメロディ楽器としての進化を遂げた訳だ。大王が吹く楽器であったにもかかわらず、それは楽士から一般人へと、音楽を楽しむためのものとして広がった訳である。
 中国では、結局のところ、共鳴膜をつけた笛の音が嬉しいということでこれが定番品となった。

 おわかりのように、日本だけは、矢鱈に昔の精神というか、信仰心にこだわっているようにみえる。すこし考えてみようか。

 先ずは、規格統一されない点。
 どう見ても、これは身分毎の文化の結果である。町衆や農家の篠笛、公家と楽家の龍笛、武家の能管。労働提供の農民だと、葦、芦、麦等の茎を潰した草笛とされたかも。身分制度がなくなっても、この感覚は生き続けているのではないか。本来の出自とは異なっても、その文化を愛好する人々が、昔の姿を残そうと守り続けているに違いない。
 だが、面白いのは、草笛は別だが、違う笛だというが、外見はたいした違いはないのである。互いに影響を及ぼしあっており、大きく外れることはないのである。
 その理由は合同の“楽”が存在したということではないか。例えば“田楽”など、名称から見て、公家、武家、農家が参加したのではないか。

 もう一つはあくまでも材は竹にこだわる点。
 そんなことに気付かされるのは、上記の身分制で抜けているところがあるが、そこに竹笛があるからだ。それは尺八。宗教用途とは言い難いが、時代激での虚無僧が吹くシーンがあることでもわかるように、これは宗教用。仏教の主流では笛は心を乱すから使わないのかも知れないが、利用されていた訳である。
 日本はすでに述べたように縦笛は余りこのまないようだが、欧州ではブロックフルーテがある。フルートと違い土着音楽の感じがする。なんとなく、木の精が宿る楽器だったのではないかと見てしまうのだが、それは日本の感覚で眺めているからかも。これにあたるのが日本では篠笛とみなすせいもあろう。

 この、横笛主流も日本の特徴と言ってよいかも。
 もちろん、海外同様に縦笛はある。但し、雅楽用途。
 一つは、ミニオーボエのような“篳篥[ひちりき]”。竹管ではなく芦製。(漢竹を使ったりすることが多い。)小さな楽器の割りに大きな音がでるのでびっきりさせられる。演奏方法のため、高音は甲高く聞こえるが、音の高さは人の普段の声とそれほど違わない。なんとなしに、神妙な気がしてくるのは、楽器なのに、人がいるような感じがするからかも。
 もう一つは、携帯パイプオルガンのような“笙[しょう]”パイプの数が多いから和音が出せる。キリスト教会音楽の原点のような楽器だ。西欧では“天”の感覚ということ。もちろん使うのは竹管。
 両者とも、いかにも古そうな楽器だ。縦笛は息を込め易いし、音質を変えるのは容易だから、使ってもよさそうなものだが、人工的な風合いが生まれるのは気にくわなかったのだろうか。信者の大集会の音楽にこうした楽器を使う気がなかっただけかも知れないが、一度定着したものはあくまでも守るという姿勢がありそうだ。楽士の家が門外不出の演奏法を伝承するという制度は、その風土に合っていたのかも。

 縦笛の話になったので、これとの関係を書いておこう。実は、ここが肝要。
 篳篥の演奏会が結構ふえているが、小生はこの楽器は竹管でないから、独奏用に使わないようにしてきたと見る。演奏する場合は、笙と龍笛の三重奏が基本。それは、それぞれが天、地、空を現すとの言い伝えを受け入れるべしということではなく、音色の組み合わせからみると、そう考えざるを得ないだけのこと。
 西洋音楽的に見れば、主旋律を奏でるのが篳篥で、伴奏というか、背景音は笙の担当。その両者を繋ぐのが龍笛と呼ぶしかなかろう。笛の音はかなりの高音であり、小生は、竹笛が神を呼んでいるように映った。
 古代感覚を呼び覚ます音なのかも。

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