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2011.1.20
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日本語だけは、類縁性検討に特別な方法論が必要そう…


統計学的分析で日本語の類縁語を見つけても意味は薄かろう。
 日本語は何所で生まれたのかという議論は昔から盛んである。古くは、寺田寅彦本。その指摘事項はなかなか面白い。
   → 寺田寅彦: 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」  [1928年] 青空文庫
   → 寺田寅彦: 「言葉の不思議」  [1933年] 青空文庫
【マライ語】
  ・この国語と邦語との類似のはなはだしいのに驚かされた。形容詞と動詞において特に著しい類似
    -卑俗な言語や日本各地の方言と肖似
    -古事記の歌詞、稗田阿礼=博覧強記の人
【朝鮮語】
  ・何人もいだくべき予期に反して案外に(語彙の近似は)少ないもののようである。
【アイヌ、蒙古、シナ、台湾】
  ・予期されるほどに密接とも思われない。
【ビルマや、タミール、シンガリース→西→ペルシア、アラビア、トルコ、エジプト】
  ・いくらかの関係らしいものが認められると思った。
【ハンガリー、セルボクロアチアン、フィンランド】
  ・同様(に関係らしいものが認められると思った。)
【ギリシア、ラテン、西欧諸国、・・・】
  ・同程度の類似が認められる。
【英語】
  ・こじつけようと思えばかなりにこじつけられない事はなさそうな単語が結構ある。

 結局のところ、寺田寅彦の「implication」はこんなところ。
  ・いかなる任意の二つの国語を取って比較しても、類似がありうる。
  ・統計学的に近似性を見なければ、類似性の濃度仮説は検証できかねる。
  ・少数な語彙の近似から、大胆に二つのものの因果関係を帰納する方法論は強引すぎる。
  ・暗合の近似性を恐れて、比較を避けると学問の進歩にはプラスにならない。

 まあ、統計処理をすれば、かなり高い確率で言語の類縁性がわかるという話に過ぎない。一見、科学的に聞こえるが欠点がある。類似性がどうして生まれるのかについて全く考えていないからである。
 恣意的な主張ではなく、「科学的」に分析せよという常識的見解を押し売りしているようなもの。ゲルマン(独-蘭-英)やラテン(伊-仏-西-葡)といった言語系統に近いものなら、統計的類似性は言語系統を探ることはできるのは明らかだが、日本語ではそのような見方は無理筋では。

 日本には、興味を覚えた渡来コンセプトをすぐに導入したがる体質がある。従って、古代から、常に、わんさと外来語が生まれた筈。ただ、一過性の流行で捨てられるものも少なくない訳で、気に入られて残れば、さらに使用方法が日本的に磨きこまれて一般用法になるという過程を経て、今の日本語があるのだと思う。もちろん、どの言語でも多かれ少なかれこうした現象はあるとはいえ、日本語は桁外れ。
 多種にわたる文字を平然と使用できるのは、こうした体質あってのこと。そんな言語は他にみかけまい。雑種化を「よし」とする訳で、根本思想が違うと見るべきだろう。

 従って、統計処理結果から推論しても、なにも見えないのではないか。どの言語からも独立しているという、おかしな結論に至るしかなかろう。それよりは、恣意的な分析で類似性を見つけ、どうしてそこだけが似ているのかの仮説を案出し、論理を構築していう方が本質に迫れる可能性が高いと思う。

 そんなこともあるのか、日本語のルーツについての主張は、種々雑多。小生は、言語学者には一顧だにされない大野晋のクレオール・タミル語説語源流説の本しか読んだことはないが、上記の理由でこれを高く評価すべきだと思う。
  ・大野晋: 「日本語の起源」 岩波書店 [1957年]
  ・安田徳太郎: 「日本の故郷はヒマラヤ山麓」
 大陸書房 [1983年]
  ・ヨセフ・アイデルバーグ: 「大和民族はユダヤ人だった」
 たま出版 [1984年]
  ・徐延範: 「日本語の源流をさかのぼる ウラル・アルタイ諸語の海へ」
 徳間書店 [1989年]
  ・与謝野達: 「ラテン語と日本語の語源的関係」
 サンパウロ社 [2006年]

 ただ、この問題を日本人の祖先論と直接繋げると、混乱しがち。こちらも昔から色々な話がとびかっている。なかなか面白そうだが、言語と人種を、世界的レベルの歴史観なしに議論すると間違った見方をしてしまうので、要注意である。
   ・松本秀男: 「日本人は何処から来たかー血液型遺伝学から解く」 日本放送出版協会 [1992年]
   ・埴原和郎: 「日本人の成り立ち」
 岩波新書 [1995年]
   ・加藤晋平: 「日本人はどこからきたか」
 岩波新書 [1988年]
   ・佐々木高明,森島啓子編: 「日本文化の起源―民族学と遺伝学の対話」
 講談社 [1993年]

独自の文字使用方法にこだわる位だから、類縁性の見立ては簡単ではない。
 それぞれの論理がどのようなものにしろ、日本語が様々な言葉を寄せ集めて成り立っていたとしたら、どれも成り立っているという可能性もあるのではないか。
 ただ、真の祖語はそれらとは違う可能性もありそうだ。そう思うのは、他の言語と大きく異なり、明らかに「音」と「文字」の両者が絡み合っているから。
   → 「日本の漢字利用法は独特」  [2011.1.17]
 文字の使用は古事記や万葉集辺りからとされているが、その前になかったという証拠がある訳ではない。小生は日本語に文字はあった可能性が高いと思う。もちろん、石や木に記す独自の文字がなかったのは明らかだが、もし無文字だったとしたら、漢字導入と同時に、「文字」を考えながらの会話といった芸当ができるとは思えまい。縄と葦の棒を用いた図形表示が存在していてもおかしくなかろう。

 まあ、仮説と呼べるレベルのものではないが、そんな気分で、世界の文字を眺めてみると、日本語の特質が見えてくるから面白い。素人的な分類表だが、一瞥してわかることがある。雑種化路線は日本語だけなのだ。

〜 文字の分類 〜
- 形態 - - 文字 -
音素 子音のみ
「アブジャド」
(アラム)、アラビア、ヘブライ
子音-母音付加記号
「アブギダ」
(ブラーフミー)、北インド系
南インド系
チベット-ビルマ-タイ−クメール系、エチオピア
母音 or 子音
「アルファベット」
ギリシア、ラテン/ローマ、キリル
「漢字」代替(ベトナム語)
「アブジャド」代替(トルコ語、モンゴル語)
「アブギダ」代替(マレー語)
音素的音節 「擬似アルファベット」 ハングル
音節 表意 漢字
表音 女書[瑶族女性言語] 、ポラード[苗族言語]
チェロキー、Ndyuka[@スリナム]、ヴァイ[@リベリア]
他文字表記(ユピク族言語)
3種混合+音素 漢字/カタカナ/ひらがな/ローマ字
 右表を見れば明らかなように、今の世界は、「音素」文字言語群 v.s.「漢字(表音音節文字)」状況と言ってよかろう。
 表音音節文字を使用している言語群はこのどちらかに飲み込まれつつあることがわかる。これに抵抗しているのが、ハングルと日本語。
 ただ、隣国にもかかわらず、両者の対応は全く違っている。

 ハングルは、どちらかに飲み込まれるのも頑なに拒否して独自の文字を使うことにしたが、漢字文化に席捲されているため音節文字から離れることはできなかった。しかし、そこに音素文字を取り入れ、理屈だけのアルファベット化を図ったのである。面子を重視し、孤児的言語の道を選んだということ。コレ、朝鮮民族の性かも。

 一方の日本語は、一体この言語は何を考えているのかという感じ。漢字を取り入れてはいるが、それは一部。しかも、文字の読み方は一意に決まらないのである。一見、漢字圏に見えるが、全く違う。その上、同義語も存在させたりしており、寄せ鍋のようなゴチャ混ぜ状態。こんな言語がはたして他にもあるのだろうか。

 この性分が文字だけで留まっているとは思えまい。
 もともと雑種言語なので、文字使用もそうなったにすぎないと考えるのが自然。

 重要なのは、どうしてそうなっているのかということ。


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