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■■■ 日本語の語彙を探る [2015.3.27] ■■■
身体の倭語[続]

青人草」の基本語彙は実と身であり、その端が葉と肌。目と芽、穂と頬といった対応について、感覚的にまとめてみた。 [→]

ただ、これだけでは、植物用語も人体部位用語の一部を恣意的にピックアップして、勝手な言い回しをつけただけで終わってしまう。そこらを補足しておこう。
植物は、確かに、繁殖のための実や胞子と、成長するための代謝機能を発揮する葉の、2つの中核的組織から成るとは言える。しかし、草の段階になれば、葉だけではなく、根が必要である。理科のものの見方から言えば、葉と根の生物でもある。それが大型化すれば、茎や幹が加わり、枝が生まれることになる。この辺りが、人間の部位用語としてどう係るのか見ておかねばなるまい。

」だが、これは「むね[胸]」だろう。土から水や養分を吸収することにはならないが、葉/肌や穂/頬という上部に対する、下部は胸ということだと思う。足は根とは違うのである。
葉には柄[エ]がついており、それは「-だ」である。「-だ」と同様な言い回し。
その枝が付くのが、「く-」、あるいは、その枝が付くのが、「み-」である。草ではなく、本来的には木の用語であろう。と言うか、草から育って、木に達する種もあるという見方だと思われる。

胸と根が対応すると考える理由は、同音の「」があるからという訳ではない。古事記でスサノヲ命が妣(亡養母)を慕って泣き続ける理由で「根」の意味が語られているからだ。
  妣国根之堅州國に罷らむと欲ふ。
しかも、オホナムチ命も、八十神の迫害を逃れ木国へ向かい、ここから根の国へと進み、スサノヲ大神の娘であるスセリ比売と結婚し、そこで得られた力で大国主命になれた訳だ。
根には再生の力があるということになる。植物の下部ということより、ココにこそ、この言葉の本質があると考えるべきだろう。

それに加えて、根が張る地についても、重要な概念が存在している。神々しい魂が生まれるような地とは、「原」だからだ。古事記においては、それは明らかに神がかった土地という意味である。・・・訓高下天云阿麻下效此
地上の人間が住むのも「原」。・・・葦原中国
つまり、「青人草」は"葦"のハラに根を張ることになる。
従って、「はら」は根の部位に存在することになる。人間で言えば、胸の下部にある「」ということになろう。つまり、胸とは本来は「身根」と書くべき用語ということになる。

腹のことを"おなか"と呼ぶこともあるが、これは「"お"中」だろう。その対称的用語、つまり反対側の部位を呼ぶ用語が「"せ"中」。「[背]」は略称ということになる。
背がこの程度の扱いの語彙であるのと同様に、首や鳩尾(みぞおち)も単なる形態表現の用語でしかない。クビレ[縊れ]とミズオチ[水落ち]。青人草の基本語彙とは言い難い。
ヘソ/ホゾ[臍/蔕]になると推測は難しいが、古くから、紡いだ糸を巻いた綜麻/巻子(おだまき)をヘソと呼んでおり、臍の緒がついている状況だと、それに似ているということでの転用かも。

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