[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.2.10] ■■■ 蜘蛛をこよなく愛した人々[続] "倭人は、蟷螂、蜘蛛、蜻蛉、蛙は親しい生物であり、害虫を取り除いてくれることから、その霊力を称えていたに違いない"という論旨の続き。[→] 現代人でクモ好きは少ないようだが、愛好者がいない訳ではない。生物研究者の話をしている訳ではなく、蛇をペットとして飼うのと似たようなもので、アクアマニアと本質的にはなんらかわらないが一般にはまだまだそうは見られていないようである。 どの分野でも好事家は存在するものだが、実は、蜘蛛飼育には伝統があり、江戸期には大流行していたのである。今時の子供がホームセンターでカブト虫を購入し家で昆虫ゼリーをあげて、大切に飼育しているように、蜘蛛を大事に育てていたのである。 しかもそれが大人のたしなみだったりして。 椋鳩十文学記念館がある鹿児島県姶良市加治木町では、毎年、端午の節句に"蜘蛛合戦"が開催されている。町興しの一環でもあるようだ。 戦士は黄金蜘蛛の雌。(雌の戦いは珍しい感じもする。雄より雌が大きいのが普通だし、産卵適地争いが熾烈なのであろうか。あるいは、雌が素敵な雄獲得にしのぎを削るのか。)藩主島津義弘公が朝鮮出兵時に大人の遊びとして始め、風習化したもの。(椋鳩十:「クモ合戦」サイエンス 興味ある科学知識 西日本新聞社 1949年5月) 一方、高知県四万十市小森山にあった中村御所では、応仁の乱を避けて荘園に下行した前関白 一條教房公が宮中で行われていた"女郎蜘蛛相撲"を楽しんだと伝わる。毎年、夏に子供中心のイベントとして開催されているそうだ。 → 「全日本女郎ぐも相撲大会(しまんと市民祭)」(C) 四万十市観光協会 日本には、様々な文化が今もって残っていることがわかる。と言うか、ほとんどが消滅し、どうしても気にかかるという人が存在する場合だけ、かろうじて復活したということなのだと思うが。 両者ともに、何故に、それほどまでに蜘蛛に熱中したのかわからないところがあるが、博打競技だった可能性が高い。 なにせ、江戸の爛熟期には蠅捕蜘蛛を売る商売が成り立っていたようだから。(萱場で良さげな蜘蛛を採取して、街で売り歩く商売か。) 夜乃介 あまりの侘しげなる生活 酷き暮らし向きに 思わず 何を見過ごしにして過ごされるにや と問いかけるに 念友 今江戸にはやるとて 蝿取蜘や 子供騙しの一文売りの長刀を売りさばき 今日までやっとのことの 世過ごしなればとて 聞くも哀れなる (井原西鶴:「好色一代男」夢の太刀風@「日本古典文学全集」小学館) その伝統を受け継いでいるのか定かではないが、現代でも還暦を超えた人々が少年期を思い出し、ゴールデンウィークに"クモ合戦[ホンチ]"遊びに興じるとか。 金沢文庫近隣でのイベント。繁殖期ならではの、猫蠅捕雄同士の威嚇し合いを眺めるのであろう。房総半島漁師の遊びが対岸に伝わったとのこと。 (「ホンチ遊び 少年の熱狂再び」by 足立朋子 朝日新聞神奈川 2016年04月28日) 喧嘩っ早い漁師の手慰みだろうか。 あるいは、闘鶏のように、血が流れかねない闘いはお上が許さなかったので、闘蜘蛛で我慢ということかも。 ただ、蜘蛛の力をなんとなく感じ取りながら、闘いを眺めていたのではなかろうか。愛着を感じながら。 大陸では室内の戦いと言えばもっぱら蟋蟀[こおろぎ]だが、日本では鳴く虫としてのペットだから戦うなどもっての他。蜘蛛が好まれたのは代替ということではなく、しつこくなく淡白な闘いで決着がつく点が好まれたせいもあろう。 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |