[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.2.5] ■■■ 蜘蛛をこよなく愛した人々 唐代の書、「酉陽雑俎」には、芸を覚え込まされた小さな蜘蛛達の話が掲載されている。当時の都会では、蜘蛛を飼っていることにたいした違和感がなかったということ。 → 「【詭習】虫の仕込み芸」(2016.6.14) 特段、蜘蛛が愛されていた訳ではなく、様々な価値観を持ち、異能を発揮する人々が大勢生活している大都会だったにすぎまい。唐代の大都会はインターナショナルな雰囲気に満ちていたのである。当然ながら、食人蜘蛛の話も大いにウケていたようだ。 → 「蜘蛛の糸」(2016.9.12) 日本は随・唐の文化受け入れに熱心だったが、ご存知の通り、次第に国風が吹き荒れる。古代精神というか、大陸と違った細やかな心根の方が嬉しく感じるようになったようである。 従って、蜘蛛を見る目も日本らしさの追求と相成ったようである。 愛すべき対象とされたのは間違いない。 そうなると、古事記の土蜘蛛の記述も違って見えて来る。・・・ 忍坂の大室に至りませる時に、 尾生る土雲[蜘蛛]八十建 其の室に在りて 待いなる。 故爾に、天神の御子の命以ちて八十建に饗を賜ひき。・・・ 刀を抜きて、一時に打ち殺しつ。 [「古事記」] 常識的に判断すれば、竪穴住居とか洞穴生活といった旧文化に拘泥している土着民を騙し打ちで殲滅させた話でしかないが、蜘蛛と呼んでいるのはそれなりの愛着も感じていたからと読むべきだろう。 葦が生えているような地で、田圃での農耕を主とする民にとっては、縄文時代から、蟷螂[かまきり]、蜘蛛、蜻蛉[とんぼ]、蛙は親しい生物であり、害虫を取り除いてくれることから、その霊力を称えていたに違いないからだ。 ただ、国家としての態が磨かれてくれば、能「土蜘蛛」のような成敗対象扱いにされるのは当然の流れ。無害でも、部屋に登場すれば早速殺害して"清潔"にしたがる現代人の心情と同じようなもの。 しかしながら、舞台でのハイライトである土蜘蛛が襲いかかるシ-ンの冒頭で詠む歌は、蜘蛛強しといった手のものではなく、蜘蛛が吉兆をもたらす内容である。単なる反逆者として扱っている訳ではないのである。 ・・・衣通郎姫 {允恭}天皇を恋しのび奉り独り居はべり。・・・ 歌詠みして曰く、 我が夫子が 来べき夕なり 小竹が根の 区茂[蜘蛛]の行ひ 今宵著しも [「日本書紀」巻第十三允恭天皇八年二月] 蜘蛛が網を張ってくれているから、恋しい帝の訪れも近かろうと、吉兆に心が大いに弾んでいる訳である。蜘蛛に対する敵意を持っている筈がなかろう。 しかも、この歌はある意味、和歌の原点ともいえる作品。たまたまの1作ということではない。・・・ 衣通姫の 一人ゐて 帝を恋ひたてまつりて わが背子が 来べき宵なり ささがにの 蜘蛛の振舞ひ かねてしるしも [「古今和歌集」墨滅歌#1110@905年] 散逸した歌を収載している訳だが、この歌がいかに重視されているかは次の歌で自明。 新玉津島社[藤原俊成勧請:衣通郎姫御祭神]歌合に、[@1367年]神祇[お題] ささがにの 蜘蛛の糸筋 代々かけて 絶えぬ言葉の 玉津島姫[=和歌の神] 二条為重 [「新続古今」巻二十神祇#2143@1439年] ここらは聖書の民とは大きな違い。 ヒトは蜘蛛の存在意義無しと神に語るのだが、それが間違いであったことに気付かされる有名なお話がある。追手から逃れるべく洞窟に隠れた際、追いついた兵士は蜘蛛の巣がかかっているのを見て、捜索を止めて行ってしまったという他愛もない逸話だが、要するに、神が意味付けして初めてその恩恵を頂戴できるというにすぎない。 愛すべき存在でもなければ、嫌うべき存在でもなく、神のなされることに諾々と従うのみ。 (ただ、クリスマスツリーのモール飾りは蜘蛛の糸という説もある。日本流なら蜘蛛への感謝の気持ちとなるが、聖書の民は神への感謝表現ということになろう。) マ、その辺りを考えさせられる俳句を引用させて頂き、〆。・・・ 家蜘蛛の 落ちたところに 聖書かな [山戸則江:「祈り」 平成19年度第25回現代俳句新人賞 ] 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |