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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.1] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[7]

平安後期院政の頃の書、大江匡房[談]藤原実兼[録]:「江談抄」1104〜1108年第三"雑事"に蜘蛛に助けてもらった話が登場する。

主人公たる、右衛士少尉 下道圀勝の子吉備真備[693-775年]は、717年入唐の留学生[735年種子島漂着帰国]組に属し、大出世したが、752年に副使として再度入唐。[753年帰国]
その玄宗期の唐滞在中に、陰陽道的呪術を用いて、生霊鬼となった阿倍仲麻呂[同期留学生にして滞在者]と神仏が遣わした蜘蛛に助けられ、唐人による謀略的抹殺を逃れ、「文選」を土産に無事帰朝できたというストーリー。

内容はこんなところ。・・・
梁の密法を駆使する高名な僧 宝志に読めそうにない詩を作らせ、吉備真備に下問させようとの算段。
作詩は結界内で行ったので、鬼もどうにもならない。
そこで、吉備真備は日本の方角を向き、住吉大明神と長谷寺觀音に祈願。すると、天井から一匹の蜘蛛が降下してきて、詩文の上で出糸しながら歩いた。その跡を辿ることにより読み取りができたという。

その摂津国の住吉大明神だが、筒男三神がご祭神。海上安全祈願ということで、信仰を集めている神である。言うまでもなく、渡唐の際には必ず安全航行祈願が行われていた。
 天平五年贈入唐使歌一首井短歌[作主未詳]
  そらみつ 大和の国 あをによし
  奈良の都ゆ おしてる 難波に下り
  住吉の 御津に船乗り 直渡り
  日の入る国に 任けらゆる …

     [「万葉集」巻十九#4245]
航海でもないのに、祈願するのは、蜘蛛に紙の上を歩渉してもらうためだろう。大陸では、蜘蛛は旅に当たっての占術の主でもあったから、そこらのエキスパートたる吉備真備は蜘蛛の登場を予期していたのかも。
 焦延壽:「焦氏易林」@B.C,206-B.C,220年
 六十四卦《未濟之》十八 蠱
  蜘蛛作網,以伺行旅。
  青蠅嚵聚,以求膏腴。
  觸我羅絆,為網所得。


一方、仏は隠国初瀬の長谷寺@桜井の十一面観世音菩薩である。
735年、留学から無事帰国できた際にも、窮地にある人を救う漢音菩薩に願をかけたようで、感謝の想いから妙法寺@橿原に御厨子十一面観音菩薩を寄進したと伝わる。

十一面観音信仰の広がりは卓越しているが、[→]現生利益を約束してくれるという点が一番強いからだろうが、こうした遣隋使・遣唐使の篤い信仰とその霊験譚が大きな影響を与えたのだろう。
特に、この蜘蛛譚では、蜘蛛にただならぬ知恵が授けられた訳で、それは菩薩そのものという印象も与える訳で、インパクトは大きかろう。

尚、住吉大明神と対になっている点で、いかにも海人信仰らしさを与えている。観音信仰は渡来であり、もともと大陸沿岸から島嶼にあった海神(女神)信仰と習合して日本に伝わって来た可能性が高かろう。受け入れ易かったのだろう。

「江談抄」【吉備入唐間事】
吉備大臣入唐習道之間。諸道芸能博達聴恵也。唐土人頗有恥気。
密相議云、
 「我等不安事也。不可劣先普通事。令登日本国使到来楼_令居。
  此事委不可令聞_。
  又件楼_宿人多是難存。然只先登楼可試之。偏殺__不忠也。
  帰_又無由。留天居_為我等頗有恥__。」
令居楼之間、及深更風吹雨降鬼物伺来。
吉備作隱身之封不見 鬼天。
吉備云、
 「何物乎。」
 「我是日本国王使也。王事靡監。鬼何伺_」云_、
鬼云、
 「尤為悦。我_日本国遣唐使也。欲言談承_」云_、
吉備云様、
 「然_早入_。然停鬼形相可来也」_云_
随天鬼帰入天着衣冠出来_相謁_、
鬼先云、
 「我是遣唐使也。我子孫安陪氏侍_。
  此事欲聞、于今不叶也。
  我_大臣_来_侍_、被登此楼_不与食物_餓死_也。
  其後鬼物_成_。
  登此楼人_無害心_。自然_得害。
  如此相逢_欲問本朝事_不答_死也。
  逢申貴下_所悦也。我子孫官位侍_。」
吉備答、
 某人々々官位次第子孫之様七八許令語、
聞_大感云、
 「成悦聞此事至極也。此恩_貴下_此国事皆悉語申_思也。」
吉備大感悦、
 「尤大切也」_云々。
天明鬼帰畢。
其朝開楼食物持来_不得鬼害存命。
唐人見之弥感云、
 「希有事也」_思_、
其夕又鬼来_云、 「此国_議事_。
  日本使才能奇異也。
  令読書_欲笑其誤云々。」
吉備云、
 「何書乎、」
鬼云、
 「此朝極難読古書也。
  号文選_一部三十巻、諸家集_神妙_物_所撰集也」_云々。
其時吉備云、
 「此書_聞_令伝説哉如何。」
鬼云、
 「我_不叶、貴下_具申、彼沙汰_所_爲令聞_如何。」
(吉備云)
 「閉楼_。争_可被出」_云_、
鬼云、
 「我_有飛行自在之術、至天聞_思」_云_、
出自楼戸隙相共到文選講所。於帝王宮、率三十人儒士、終夜令講聞天、吉備聞之共帰。
鬼云、
 「令聞得哉如何。」
吉備云、
 「聞畢。若旧暦十余巻被求与乎」_云_、
鬼受約、与暦十巻即持来。
吉備得之、文選上帙一巻_端々_三四枚_令書天持_、歴一両日天誦_皆悉_成。
侍者_食物荷_文選_令送楼_、儒者一人為勅使欲試尓、文選_端破_楼中_破散置。
使唐人来者見之天各恠天云、
 「此書_又_侍」_乞_、
(吉備云)
 「多也」_云_令与_、
勅使驚天此由_申帝王_、
 「此書又本朝弥有與」_被問_、
(吉備云)
 「出来天已経年序。号文選天人皆為口実_誦者也」_申_、
唐人云、
 「此土在之也」_云尓、
吉備
 「見合」_云_
乞請収三十巻天令書取、令渡日本也。
又聞天云、唐人議云、
 「才_有_芸_必_。以囲碁_欲試」_云_、
以白石_擬日本、以黒石_擬唐土_、以此勝負殺日本国客様_欲謀。
鬼又聞天令告吉備。
吉備令問聞囲碁有樣_、就列楼計組入三百六十目_計、別天指聖目、一夜之間案持了之間、
唐土囲碁上手等撰定、集_令打_、持_打無勝負之時、吉備偸盗唐方黒石一飲了。欲決勝 負之間唐負了。
唐人等云、
 「希有事也_。極_怪」_云_。
計石尓黒石不足。仍課_筮占_之、盗_飲_云。推之大尓争尓在腹中_。然者瀉藥_服_令服呵梨勒丸、以止封不瀉之、遂勝了。
仍唐人大怒_不与食之間、鬼物毎夜与食、已及數月也。
然又鬼来云、
 「今度有議事、我力不及。
  高名智徳行密法僧宝志尓令課_、鬼物若霊人告_令結界天、
  文_作_貴下_読_云事_。
  力_不及」_云_、
吉備術尽_居之間、如案下楼、於帝王前令読_其文、吉備目暗_、凡見此書字不見。
向本朝方、暫祈申本朝仏神 −神者住吉大明神、仏者長谷寺観音也−、
目頗明_文字許_見_無可読連様_、
蛛一俄落来_于文上天__読了。
仍帝王并作者_弥大驚_、如元令登楼_、偏不与吉備食物欲絶命。
 「自今以後不可開楼」_云々。
鬼物聞之告吉備。
(吉備云)
 「々々尤悲事也。
  若此土_歴百年_双六筒賽盤侍_欲申請」_云尓、
鬼云、
 「在之」_云_
令求与。
又筒棗盤楓。
賽_置_上覆筒_、唐土_日月被封_ニ三日許不現_、
上従帝王下至諸人、唐土大驚騒叫喚無隙動天地。
令占之術道者令封隱之由推之。指方角_當吉備居住楼。
被問吉備尓答云、
 「我_不知。
  若我_強_依被寃陵、一日祈念日本仏神、自有感応歟。
  可被還我於本朝者、日月何不現歟」_云_
(唐人云)
 「可令帰朝也。早可開」_云。
仍取筒_日月共現。為之吉備仍被帰也云々。

江師云、
 「此事我慥委_雖無見書、故孝親朝臣之。」

(source)http://www.senshu-u.ac.jp/~off1024/nenpyoushiryou/goudanshou/goudanshou3-kibidaijinnittou.htm を改変.

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