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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.23] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[13]
−鳥占の鳥−

"真しとゞ"という鳥は、頬白のこと。ひっくり見たことはないが、写真では眼がクリクリしていて、周囲の模様が印象的な鳥である。
「古事記」では、入墨の様子がこの鳥に似ているので驚いたという話が収載されている。[→]
 あめ鳥(胡子=雨燕)つつ鳥(鶺鴒)
 ち鳥(千鳥)ましとと(真鵐=頬白)
 など黥ける利目
頬白の模様が、南方海人の除邪的表象の入墨に似ていた訳である。

「枕草子」"鳥は"の巫鳥(みこどり)がこの真鵐に当たると言われている。

古代、片巫(志止々鳥)と肱巫(鼈輪乃米占)が行われており[御歳神祭祀@「古語拾遺」807年]、文字からして、該当する鳥は他にはあり得そうにないということか。

尚、"シトゝ"は巫部位が冠になったり、偏が巫ではなくて占の文字もある。(巫は工でなく王。)[@菅原是善:「類聚名義抄」百十一鳥(NDL 10-68)]

鳥占いと言えば、現代的発想だと鳴き声占いと考えがちだが、鹿肩甲骨・亀甲と同類であろう。災害に襲われれば、それは祟りであるから、必ず占術で神意を知らねばならない訳で、その上で祟る神への祭祀を挙行することになる。
亀甲は海人、鹿肩甲骨(猪代替)は山人、鳥は南人系なのだろうが、雑種文化を愛した倭人は全てを取り入れて雑炊化した筈である。海人の入墨習俗と"シトゝ"の鳥占いが、米作地帯で習合していった感じがする。

ここらは極めて古層の信仰で文献的に探るのは無理があるが、現代日本人の体質からなんとなく、そんな見方が正しそうな気がしてくる。

"シト〃"の意味は失われてしまっても、鳥名としては続いていたようで、和歌にも登場する。
人とはぬ 冬の山路の さびしさよ 垣根のそはに しととおりゐて [藤原定家#759「拾遺愚草」]
為忠家初度百首 春七十 閑中春雨 源仲正
雨ふれば 垣根のしとと そぼ濡れて 囀り暮らす 春の山里
これらの用法を見ると、シトシト降るとかジットリ濡れるの語源は巫鳥との掛け言葉からかも知れぬ。流石に、無理筋か。
蓑も笠もとりあへで、しとどに濡れて惑ひ来にけり。 [「伊勢物語」百七段]

類縁種を以下に示しておこう。

黄色の鳥もあるから、色で○○鵐として統一表現してもよさそうに思うが、鳥占い時代の記憶を消したかったのだろうから、そんな流れにはならなかったのだろう。しかし、そんな画策を図っても、アオジ、クロジ省略形ではあるものの読みに残っているし、"鵐"文字は今でも使える状態。もっとも、鳥名は片仮名で書くべしというルールを強制されているのが実情で、そのうち消えるのかも知れぬ。
 頬白/巫鳥/鵐(蒿雀)ホオジロEmberizidae[≠書眉鳥]しとど(志止々)
 頬赤ホオアカあかしとど
 青鵐/蒿鵐/蒿雀アオジあおじとど
 野鵐/野路子ノジコ
 頭高カシラダカ
 深山鵐ミヤマシトド
 黒鵐クロジ
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