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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.28] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[18]
−"野生命"の弱き鳥−

"ひわ"(鶸)は、分類学では、"あとり"の仲間。
雀の方がより近縁と思っている人が結構多そう。中国語では、○○雀と呼ぶし。

日本では、昔から、雀と峻別していた。
嘴が太くがっしりしている点で、全く違う一群と見ていたのだろう。おそらく、その破砕力半端なモノではないと知っていたに違いない。その辺り、直観力にも優れていたのは確か。
┌─子鳥/花鶏/色鳥あとり(集鳥)

┤┌/蝋嘴鳥シメひめ 鵤/桑/豆回しいかる
└┤
代表的な《鶸ひわ類》 【】は中国語名
 真鶸マヒワ【黄雀】
 紅鶸ベニヒワ【白腰朱頂雀】
 五色鶸ゴシキヒワ@欧州〜中央アジア【紅額金翅雀】
 "Canary"/金糸雀カナリア@アゾレス諸島.カナリア諸島【金絲雀】
 大猿子オオマシコ【北紅雀】
 銀山猿子ギンザンマシコ【松雀】
 鷽/嘯鳥ウソ【紅腹灰雀】
 河原鶸カワラヒワ【金翅雀】
 交喙/いすか【紅交嘴雀】

どういう点で好まれたのかわらないが、武士の時代に入ると鶸色(黄緑系)が登場してくるし、江戸期になると町人の小袖では標準的な色調としての呼び名になってくる。

"ひわ"という名前だが、なよなよとして上品な様を表現する言葉、"ひわ(繊弱)やか"と同根なのであろう。そのため、漢字として"鶸"をあてたのだと思われる。全く異なる鳥を指していた文字だったが、どうしても使いたかったと見える。"鰯"とは違って、国字ではなく、国訓なのである。
ただ、雀より小さい鳥というイメージは強いものの、どう考えても"弱い"タイプとは思えないので、不思議な命名という印象を与える。
しかし、貴族の世界では乳母の育児や里親が当たり前だった。その感覚からすると、余りに"弱い"鳥という見方はうなづける。捕獲して飼おうとするとすぐに死んでしまうからだ。"野生命"の集団生活の鳥なのである。

そこらが琴線に触れたのか、「枕草子」"鳥は"に名前があがる。何の説明もないから、その名前だけで情緒感を共有できる鳥だった可能性が高い。

そんな感覚が伝承されているのかは、よくわからない。
小鳥どもの歌詠みける中に
声せずは 色濃くなると 思はまし 柳の芽食む の群鳥 西行法師[「山家集」#1399]

分類学上、鶸の仲間になっているが、そのような名称にならない鳥は、目立った特徴がある筈。

"交喙/いすか"はすでに取り上げた。[→]

猿顔の色羽ということでは、"猿子マシコ"類。
猿子ゐる ゐのくつちはら うちはらひ みきはかたてし むかしこひしも
   源仲正[「夫木和歌抄」巻廿七#12895]
時雨こし 木すゑの色を 思へとや 枝にもきゐる 照猿子かな
   寂蓮法師[「夫木和歌抄」巻廿七#12896]
冬枯の をかへにきゐる 照猿子 紅葉にかへる 木すゑなりけり
   惟明親王[「夫木和歌抄」巻廿七#12897]

もう一つが"鷽/嘯鳥ウソ"。"嘯ぶく"(音程なき単純な口笛)が由来だろうが、武家文化が産み出したように思える。天満宮における"鷽替え"神事にもかわっているが、由来談を呼んでも、どういうことか今一歩判然としない。別な信仰と習合させたのかも。
小鳥どもの歌詠みける中に
桃園の 花にまがへる 照鷽の 群れ立つ折は 散る心地する
   西行法師[「山家集」#1400]
俗称でしかないが、照♂・雨♀と雌雄の名称がわかれている。晴れるか雨降りかが分かるということだろうか。

河原鶸は、珍しくない鳥だと思うが、高い木の天辺に止まる習性があるので余り関心を呼ばなかったのではないか。河原に居るとは思えないが、地面に落ちた種を狙うのだろうから、時期になればその辺りにやってくるのは間違いなかろう。
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