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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.6] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[27]
−小中華帝国化の象徴たる鳥−

鶺鴒とはよく言ったもので、確かに脊椎骨を一直線に伸ばし、詔を知らしめていそうな姿に見えなくもない鳥である。
日本で見かけるセキレイは何種かいるようだが、色調に多少の違いはあるものの、その観点ではどれもよく似ている。
 《鶺鴒》セキレイ 【】:中国名
  白鶺鴒ハクセキレイ@昔は日本では北方のみ棲息 白鶺鴒
   背黒鶺鴒セグロセキレイ…日本固有種 日本鶺鴒
   黄鶺鴒キセキレイ 灰鶺鴒
   爪長鶺鴒ツメナガせきれい 黄鶺鴒
   黄頭鶺鴒キガシラセキレイ 黄頭鶺鴒
  岩見鶺鴒イワミセキレイ…(大陸棲息)渡来希少:発見地名で命名 山鶺鴒

突然、話が変わるが、先ずは稲負鳥イナオオセドリの話を。
この鳥、何を指すか不明とされている。([古今和歌集]
解釈のアンチョコ「古今伝授」ではそんな三鳥としてあげられているそうだ。
 山田守る 秋の仮廬に 置く露は 稲負鳥の 涙なりけり 壬生忠岑[「古今和歌集」巻五#306 是貞親王家歌合歌]
 我が門に 稲負鳥の 鳴くなへに 今朝吹く風に 雁は來にけり [「古今和歌集」巻四#208]
どんな説でも主張可能ではあるが、一般的には、稲の刈り入れ催促鳥とか、刈り入れ時に鳴く鳥と解釈されている。
そうなれば、、弱湿地的な刈田を好む鶺鴒とみなすのが自然と言えよう。稲狩りシーズンにやってきて鳴くのは間違いないし。
尚、「鶺鴒鳴」時期は、日本版七十二候では白露次候。中国版には登場しない。
しかし、わざわざ普通に呼びそうもない名称を登場させるのだから、それなりの意図があると考える必要があるのは言うまでもない。そんな観点では、よっこらよっこらと稲穂を背負わせて運んだ情景を思い起こさせる動きをする鳥だナ〜、ということになろうか。
この動きが肝要と言っても、大仕事が終わってよかったよかったとの情感が籠っているという訳ではない。これほどの精力を払っているのに、収穫物は召し上げられていく。あ〜、たまったものではないナ。涙、涙、という気分が満ちていると考える訳だ。
そんな心情を歌にでもしたら、何をされるかわかったものではない訳で、この鳥は"鶺鴒"であるなどとは口が裂けても言える訳がない。
と言うのは、鶺鴒は、公的歴史書「日本書紀」で、日本国創出指導者とされているからだ。

それに、セキレイという名称がえらく特殊である。漢字を読んだだけの非日本語だからだ。換言すれば、この鳥は、土着用語まかりならんと言うこと。小中華帝国を目指し、国鳥を制定したようなものか。大いに、国中を鳴きながら触れまわるが如くに飛び回って欲しいのである。
そのような漢語読みを嫌う人々は、尾を振る特徴から"庭叩き"と呼んだらしい。そんな名前に人気は沸かなかったようだが。

一方、官僚統治国家の正式な史書ではなく、天皇家の書たる「古事記」では、当然ながら、そこらの記述を周到に避けている。
と言っても、そうした国家としての流れを隠蔽しているのではなく、逆に、その状況がわかるような話を収載している。鶺鴒という名称を使わずに、"まなばしら"として、下巻の大宮人を鳥として詠った長歌に登場させているのだ。
この鳥、"尾行き合え"という描写があり、「日本書紀」記述に沿った言い回しだから、鶺鴒に間違いなかろう。詠ったのはもちろん帝。中華帝国独裁王朝的な雰囲気を感じさせる、気に喰わないとすぐに殺すという、特異的な時代のこと。[→]

それよりずっと前の、国家の態を成しつつある時代のパート(中巻)では、"つつ鳥"が登場しており、これは鶺鴒に当たるとされている。この名称は、今では郭公近縁種の名称になっているが、もともとは鶺鴒の土着名かもしれない。
この鳥を鶺鴒と見なすのは、至極妥当な判断と言ってよいだろう。古代海人の象徴である目の周囲の入墨に驚いた話として、それに似た面目の鳥の1ツとして挙げられている話でのことだから。
ここも鶺鴒と書くのははばかられる。黒い過眼線を持つ鳥と書かれては大いに拙いのである。それは、中華帝国が嫌った、マナイズム的な入墨文化を彷彿させる鳥と認定することになってしまうからだ。
しかし、日本の古代海人達はこの風習に染まっていたのであり、そういう点で鶺鴒にはひとかたならぬものを感じていた筈。「古事記]は、それとなくではあるものの、そこらを語ってくれたのである。
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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