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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.14] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[35]
−鴎が飛んだ−

鴎が詠まれている有名歌が「萬葉集」に収載されている。"大言壮語的表現"と言わんばかりの解説が付けられていることがが多い。現実風景を詠んだのではなく創作と考えるべしとされているようだ。
冒頭部分の重要なパートだし、帝の心情風景という訳だ。

小生、この解釈にはとてもついていけない。
この歌に関して特別な根拠でもあるなら別だが、情景を説明できないというだけだから。このような見方ができるなら、すべての歌が現実に基づいていない可能性ありと主張しているようなもの。「萬葉集」が、そのような歌集とは思えないが。

しかも、冒頭の国見の歌なのである。現実とは違う風景を詠むなど小生には信じがたいものがある。・・・
高市の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
天皇の香具山に登りまして望国したまへる時にみよみませる御製歌
 [巻一#2]
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち
国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は
立ち立つ
うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


しかしながら、天の香久山を訪れたことがある人なら、誰だって、こんなところから海原が望め、しかもそこから鴎が飛び立つ訳があるまいと思うだろう。
大阪からひとしきり時間をかけ、かなり高い山に囲まれた大和盆地内に入り、その内部の標高150m程度の山から周囲を眺めるのだ。難波辺りの海が見えるなどあり得ない。
そうなると、"海原"とは山から見えた湖を指すと考えるしかあるまい。現在の風景から推し量ると、細々した池々の風景にならざるを得ず、確かに、それを大袈裟に詠んだと解釈する以外に手がない。

だが、そんな筈がなかろうというのが小生のスタンス。

プールに毛の生えた程度の池が散在する箱庭的景色でマナイズムの国見でもなかろう。眼下に広大な水面が拡がってこそ、寿ぐ意味があると考えるのが自然だ。
江戸とか仙台がまだまだ沖積が進まず、ほとんどが水面下にあった頃であり、そのような情景を想定すべきだろう。

もともと、飛鳥は古代湖が埋まった地。一面の水没環境を作ろうと思えばできないことはない地形。ただ、そうであっても、そこに鴎がわざわざ渡来するとは思えない、と考えがち。
しかし、現在の、流出水系(大和川〜淀川)はほとんど河内湖(今はほ痕跡さえ無い。)だったとすれば、そこは満潮時に海水が流入する地域だったと見ることもできよう。つまり、生駒の山際までは潟状態で、標高差がほとんど無かった飛鳥で鴎が飛び立つのは不自然なことではなかったと考えることもできよう。

と言っても、それは理屈だけと感じる人が多かろう。何故にそうなるかと言えば、"鴎"だから。この鳥のイメージが、青海原を飛翔する姿であり、潟や河口の浅瀬とは相いれない点にある。
実はコレこそが心象風景で創られたモノ。
すでに記述したように、鴎は《本格的魚獲水鳥》[→]の類ではない。
「沖の鴎」と呼ばれることが多いが、沖合で活動している訳ではないのだ。

現代、鴎をよく見かける場所と言えば湾内の港だろう。それは、多分に餌の都合だが、沖合からやって来たのではない。習性からすれば海岸や河口棲。つまり、塩水湖や人工遊水地にも喜んでやってくる体質。
飛鳥の地にやって来てなんらおかしくない。

そして、この鳥が目立つ理由も自明。互いに鳴き交わし続けたりすることがあり、えらく喧しいのである。"かまびすしい(喧)群れ"と呼ばれていることでもわかる通り。

天の香久山から眺めると、海原から鴎飛び立つとの情景描写はママと言ってよいだろう。

それよりわからないのは、何故に、鴎で寿ぐことになるのかという点。(現代だと、かもめが翔ぶのが別離の象徴だったりするからだが。)

紀伊白浜を巡る古代歌謡[「催馬楽」紀伊国]が伝承されており、海中にある珠を採ってくる鳥とされていたことに基づくのだろうか。
[四条宮扇合 1089年#3]
鴎ゐる 白良の浜の 水底に その玉見ゆる 秋の夜の月
鴎で知られるという点では、海南の琴の浦もあげられる。緑色が目に入り、どこかジーンと来るモノがあるようだ。
源仲正[「夫木和歌抄」#11604]
松風に 浪のしらふる 琴の浦は 鴎の遊ぶ 所なりけり
  (ご注意:漢字化は誤っているかも知れません。)

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
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