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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.16] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[37]
−揚雲雀−

現代でも「揚雲雀」は季語として結構使われているそうだ。春の青空、高いところまで昇った雲雀がホバリングしながら数分鳴き続けているシーンだが、今や、そんな情景は頭のなかだけではなかろうか。

天高くというのが決め手。「古事記」でも、隼君に、天に駆ける雲雀を殺ってしまえ、と急かす女鳥王の歌が収載されている。頂点まで上がっているから、どの道必ず落ちる訳で、早く帝を襲えと言わんばかり。[→]
そのような鳥として登場するからか、葬儀担当には登場しないし、恋歌にも不適なのかも。

だが、その昇降での鳴きは、和歌のモチーフとして確立している。
その大元はこの歌。
二十五日、よめる歌一首 [巻十九 #4292]
うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 心悲しも 独りし思へば
春ノ日遅々トシテ、ヒバリ正ニ啼ク。悽惆ノ意、歌ニアラザレバ撥ヒ難シ。仍此ノ歌ヲ作ミ、式テ締緒ヲ展ク。但此ノ巻中、作者ノ名字ヲ称ハズ、徒年月所処縁起ヲノミ録セルハ、皆大伴宿禰家持ガ裁作セル歌詞ナリ。
揚雲雀の鳴きは、晴れ晴れした世界のなかでの縄張り主張。極めて豪気なものだが、その後、下降の鳴きに転ずる。声を耳にしている大伴家持自身は、下降局面の憂いのなかにいる訳だ。
そんなところが、当時の人々の心を捉えたのだろう。
三月の三日、防人を検校ふる勅使、また兵部の使人等、同に集ひて飲宴するときよめる歌三首
右の一首は、勅使、紫微しびの大弼おほきすけ安倍沙美麿さみまろの朝臣。
 [巻二十#4433]
朝な朝な 上がる雲雀に なりてしか 都に行きて 早還り来む
右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持。 [巻二十 #4434]
雲雀あがる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞たなびく

それを踏まえた出色の歌がある。
西行法師[「山家集」#238]
雲雀上がる 大野の茅原 夏来れば 涼む木陰を たづねてぞ行く 春の情景かと思いきや、夏である。
雲雀は、背の低い草地の地面で生活している鳥であり、そんな野として知られる場所にやっと到着。そこは雲雀どころの話ではなく、背丈が高くなって草ボウボウの上に、強い日差しでとてもではないが、いられたものではないというのである。

ま、上昇下降は世の常。
心性定まらずおいふことを台にて、人々詠みけるに [西行法師[「山家集」#866]]
雲雀立つ 荒野に生ふる 姫百合(揺り)の 何につくとも なき心かな
言うまでもないが、姫百合は山地に自生し、咲くのは夏である。雲雀が急上昇するのは、春だけではないことを知ったのであろうか。

しかし、和歌はステレオタイプが素敵とされがち。こちらは正統調。
飯尾彦六左衞門尉「応仁記」]
汝や知る 都は野辺の 夕雲雀 上がるを見ても 落つる涙は

もちろん、それから外れた歌を好む人も少なくないが。
永福門院[1271-1342年][「永福門院百番御自歌合」#10]@折口信夫:「歌の話」]
何となき 草の花咲く 野べの春 雲にひばりの 聲ものどけき
野原に寝そべらないと、雲雀を見つめるのは難しい。名前も知らぬ草々の香りのなかで、のんびりした気分でいられる、心の贅沢感が漂ってくる。
現代の和歌ではないかと間違いそうな作品である。

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
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