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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.21] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[42]
−鳩は鬱々−

「古事記」では、捕まった木梨軽太子は、相思相愛の同母の妹 軽大郎女に詠んだ歌に山鳩が登場する。[→]・・・
 波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く
この衝撃が強かったのか、はたまた昔から、鳩とは隠れるようにして鬱々として生きる鳥とされていたのかは定かではないが、歌の題材としては好まれていなかったようだ。
夫婦で協力して雛を育てる習性と、年中繁殖に勤しむ体質が嫌がられた訳でもないと思うが。

但し、例外は西行法師。
西行法師[「新古今集」←「山家集」#997]
古畑の 岨の立木に ゐる鳩の 友呼ぶ声の 凄き夕暮
晩秋、放置されっぱなしの荒れた畑に、険しい崖という風景。この寂寞とした情景はなんなんだろうと思わせる歌だ。
もともと、山鳩は街中の鳩と違って群れないことの方が多い。出会う時は、たいていが、ガサゴソ隠れるように餌を探し回っている。隠れようとの強い意志がある訳でもなさそうだし、見つかっても脅すそぶりもしない。およそ自己主張とは縁遠い性格。
従って、仔でも側にいれば別だろうが、何故に鳴く必要があるのかよくわからないところがある。
暮山路 西行法師[「山家集」#1052]
夕されや ひはらの嶺を 越え行けば 凄く聞こゆる 山鳩の声
藤原信実「新撰六帖題和歌」#724]
茂りつつ 木深き山の 夕暮は こもり声にぞ 鳩も鳴きける
花園院(女房)一条[「風雅和歌集」#653]
秋歌に 鳩の鳴く 杉の木末の 薄霧に 秋の日弱き 夕暮れの山
わからないでもないが、鳩を詠むにしては、余りにワンパターンな印象。この頃の山鳩は里や稲田にはほとんど出向かなかったということなのだろうか。

そう言えば、中国の風習を取り入れた鳩杖という章典があった。
老臣に下賜する習わし。押しも押されぬ歌人の藤原俊成(1114-1204年)も1203年に贈られている。にもかかわらず、鳩はほとんど謳われないとはどういうことなのだろうか。
七十二候でも大陸では、啓蟄末候が"鷹化為鳩"で本邦版には登場しない。(ただ、この鳩はハトではないかも知れぬが。)

それに、殷墟から玉鴿が出土しており、六禽[@「周禮」天官冢宰]は鄭玄注で"鄭司農云:=雁ガン、鶉ウズラ、鷂フナシウズラ、雉キジ、鳩ヤマハト、鴿イエバト"とされているから、家鴿の歴史が古いことがわかるし、山鳩も併せて吉祥扱いだったというのに。
家鴿は家禽化された河原鳩で、中国に伝来してきたと見られており、それが、仏教と共に飛鳥の地に渡来した筈。当然ながら、お堂の鳩となったろうから、特別扱いされたか。そのうち、野生化する訳だが。

代表的な種はこんなところ。
 [家鳩]ハトはと
  雉鳩キジバトやまばと(山鳩)
  緑鳩/尺八鳩アオバト
  河原鳩/土鳩/鴿カワラバト/ドバト
   数珠懸鳩/時計鳩/八幡鳩ジュズカケバト
   長生鳩/長嘯鳩チョウシュウバト…輸入
   金鳩/錦鳩キンバト…輸入
   銀鳩ギンバト…輸入
   鹿子鳩(斑鳩鳩, 真珠鳩/暹羅鳩/咬𠺕鳩)カノコバト

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
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