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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.28] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[49]
−楚辞 v.s. 詩経−

古代の鳥崇拝は中国南方が中心だったと思われるが、揚子江中流辺りの民謡を基定としている「楚辭」での鳥の扱いを見ると、すでに聖鳥と大衆的な鳥を峻別する感覚ができあがっていたことがわかる。
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 驥垂兩耳兮,中阪蹉。蹇驢服駕兮,無用日多。
 修潔處幽兮,貴寵沙。鳳皇不翔兮,鶉飛揚。
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  「楚辭」九懷[王褒] 株昭
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 鳳皇在兮,鶩翔舞。
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  「楚辭」九章[屈原] 懷沙
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 鸞鳥鳳皇,日以遠兮。
 燕雀烏鵲,堂壇兮。
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  「楚辭」九章[屈原]
  :
 鸞皇孔鳳日以遠兮,畜鳧駕鵝。
 雞鶩滿堂壇兮,黽游乎華池。
  :
  「楚辭」七諫[東方朔] 謬諫

つまり聖鳥とは、
 鳳皇…鳳凰
 鸞鳥
 孔鳳…孔雀
一方、駄鳥とは、
 燕ツバメ
 雀スズメ
 鶩ウグイス
 烏カラス
 鵲カササギ
 鳧コガモ or ケリ
 鵝ガチョウ
 鶩アヒル
 ニワトリ

自己主張無しに諾々と時流に流されている官僚だらけの世、と言いたかったのであろうが、かなりドギツイ表現である。

おそらく、これらの鳥は容易に飼うことができたのであろう。すべて、家禽化可能ということ。
自ら、ヒト生活域に入って来るだけでなく、ヒト馴れするタイプというのであろう。このことは、家畜化とは合理性から発生したのではなく、ヒトに寄ってくるので、愛着を覚えて飼い始めたということかも。・・・
 (野)𪁗/𪁨家禽化(家)→鶩アヒル
  鴨/𪀌[=田(紋様)+|(尾)+鳥]
  𪁗/𪁨[=邑(集落)+鳥]
 (野)家禽化(家)→鵞鳥/鵝鳥ガチョウ
 (雉類)夜/赤色野鶏家禽化→庭鶏ニワトリ
   →「庭鶏の原種を考える」[20140614]

どうしようもない輩が中央政界に群れているという比喩として鳥を使っているのだろうが、家禽ならわかるが、瑞兆と見なされている鳥も入れており形式にこだわる儒教的統治を揶揄しているとも言えよう。
儒教のテキストでもある「詩経」と対照的になるようにしたのだと思う。

「詩経」はこんな具合。
【燕】
 燕燕于飛、差池其羽。  「燕燕」
 君子有酒、嘉式燕以  「 南有嘉魚」
 新台有、河水弥弥。
 燕婉之求、不鮮。
  「新台」
【雀】
 誰謂雀無角?何以穿我屋?
 誰謂女無家?何以速我獄?
 雖速我獄,室家不足!
  「行露」
【烏】
 莫赤匪狐、莫K匪烏。  「北風」
 瞻烏爰止、于誰之屋。  「正月」
【鵲】
 維鵲有、維鳩居之。
 之子于帰、百兩御之。
  「鵲
 防有鵲有旨
 誰予美、心焉
  「防有鵲
 鶉之奔奔、鵲之彊彊。
 人之無良、我以為兄。
  「鶉之奔奔」
【鳧】
 女曰鳴,士曰昧旦。
 子興視夜,明星有爛。
 將將翔,弋鳧與雁。
  「女曰鳴」
 鳧在、公尸来燕来寧。
 爾酒既清、爾淆既馨、公尸燕飲、福禄来成。
  「鳧
 保有鳧繹、遂荒徐宅。  「閟宫」

 君子于役、不知其期、曷至哉。
 栖于埘君子于役、如之何勿思。
  「君子于役」
 →【鳧】「女曰鳴」
 風雨凄凄、。既見君子、云胡不夷。  「風雨」
 既鳴矣、朝既盈矣。
 匪則鳴、蒼蠅之声。
  鳴」

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