[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.30] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[51] −オスプレイの習性− 引き続いて、「古今著聞集」から。 萬葉集には"雎鳩ミサゴ居る"の歌が収載されているが、[→]磯や州浜の情景描写を入れた恋歌のツマにされている感じがする。鳶でなく、鶚にするのは漁獲専門猛禽だからだろうが、ピーヒョロロとの鳴き声ではしまりが悪いこともあろう。 それなりに関心を引いているのは、鶚の習性が結構知られていたからではなかろうか。「古今著聞集」には、どこまで本当か、なんとも言えぬ話が収載されている。 鶚の大きさは鳶に近いし、高い所を飛んでいることが多いので、目がよくないと違いはよくわからない。せいぜいが白っぽい位のもの。 魚食だが、その特徴は大物狙い。ホバリングしながら、狙いを付ける。一旦定まると、一気に水中目がけ一直線。爪が獲物に懸ってしまえばそうそう外れるものではない。 ところが、それで成功とは限らない。 魚も必死。死闘の結果鶚が水中に引き摺り込まれてることも。そんな現場を見られている訳ではなく、鶚の足が喰い込んでいる魚が網にかかるのである。 お話の主人公は院の武者處、折節に侍る源むつる兵衛の尉。 「源むつる勅定に依りて鯉と雎鳩とを射る事」巻九"弓箭"(第十三編)#348 一院(上皇)、鳥羽殿に渡らせおはしますましけるころ、鶚(ミサゴ) 日毎に出で来て、池の魚を獲りけり。 或る日、これを射させんと思し召して、 「武者處に誰か候」 と御尋ありけるに、折節むつる候けり。召に従いて参いりたりけるに、 「此池に、鶚の(居)付きて、多くの魚を獲る。射とゞむべし。但し、射殺さん事は無慙なり。鳥も殺さず、魚をも殺さじと思食す(おぼしめす)なり。あひ計らいてつかう奉る べし。」 と勅定ありければ、いなみ申すべき事なくて、即ち、罷立て(まかりたて)、弓矢を取りて参りたり。 矢は狩俣にてぞ侍りける。池の汀の邊に候て、鶚をあひ待つ處に、案の如く来て、鯉を獲りて上がりけるを、よく引きて射たりければ、鶚は射られながら猶飛び行けり。恋は池に落ちて、腹白にて浮きたりけり。 即ち、取り挙げて叡覧にそなへければ、鶚の魚を攫みたる足を射切りたりけり。鳥は足は切れたれども、直ちに死なず。sかなも鶚の爪立ながら死なず。魚も取りも殺さぬやうに勅定ありければ、かくつかふまつりたりけり。 凡夫の仕業に非ずとて、叡感の余りに禄を給けるとなむ。 これに引き続く、源むつる兵衛の尉が係る"弓箭"話も引いておこう。 「上六大夫遠矢を射る事」巻九"弓箭"(第十三編)#349 源むつる、懸矢(鳥を射るための矢で、壁に賭けておく)を作ろうということで、"たう"(鴇トキ)の羽を求めたが不足。郎党に尋ねると、弓の名手がこの辺りで見かけると。居るぞということで早速狩猟に。 どころがすぐに射ず、欲しい個体を尋ねる。群れの最後尾だということで、名人は群れが飛んでも射ようとはしない。遠くに行った頃にようやく射て、所望された個体を落としたのである。河に落ちて羽が濡れないようにと、 向う岸にいってから、射落としたのである。 "ゆゝしかりける上手"のお話。 さて、もう一つ鶚話が収載されている。と言っても、鷹狩用の飼育話で、鶚を対象にしている訳ではない。鷹の飼育それ自体は珍しくないが、少々胡散臭いストーリーに仕立てられているのがミソ。ただ、習性的な一面を指摘しているのは確か。 「ひぢの検校豐平善く鷹を飼う事」巻二十"魚蟲禽獣"(第三十編)#678 一条天皇の時代。御秘蔵の鷹がいたのだが、鳥には目をくれず、獲物をさっぱり獲らぬ。そこで、一般公開。 田舎から来た一般武士がそれを見て、 「あはれ逸物や。上なき物なり。 但し、未だとり飼われぬ鷹なれば、鳥をばよも獲らじ。」と。 それを聞いた鷹飼、見立ての通り、御門の御鷹だが、うまく飼育できるか、と。 男、いと易き、と。 そんなことで、御鷹は預けられた。 その後、参内。 池にスナゴを撒いて魚を浮かせたところ、御鷹、早速にして、鯉を獲ったのである。 上は、あやしみ、目を驚かして、その故を問う。 その答: この鷹は鶚腹。 先ずは母の振舞いをし、それから父の藝をするもの。それを知らなかったから、狩猟ができなかっただけ。 「究竟の逸物にて候也。」と。 褒美は、信濃園ひぢの郡の屋敷田園。 ひぢの検校豐平とはこのお方。 (出典:ママ引用ではなく勝手に改訂していますのでご注意の程)「古今著聞集」日本古典文学大系 84 [永積安明 島田勇雄 校注] 岩波書店 1966年 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |