[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.1] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[53] −北京ダックは愛玩− 家禽である鶩/家鴨アヒルが広く飼われるようになったのは江戸時代らしいが、(慶長期の言葉の「日葡辞書」に収録されているから。)すでに平安期に飼われていた可能性があろう。 この場合、名称に注意を要する。家鴨という独特の名称であるし、見た瞬間に野生のカモとは違うことがわかるが、両者はあくまでも「鴨」として認識されてきたからだ。 「庶人之摯匹」者,匹,鶩也。野鴨曰鳧,家鴨曰鶩,鶩不能飛騰,・・・[鄭康成注 唐孔頴達疏:「禮記注疏」卷五 曲禮下] 言うまでもないが、アヒルは中国大陸からの渡来種。その原種は真鴨だが、その由来は東南アジアとの説ばかり。鶏ならわかるが、家鴨は北からの渡り鳥であろうから、最初は邑鴨化し、それから家禽化へと進んだと考えるのが自然。東南アジアでの家禽化もあったのだろうが、ほとんどのアヒルはそれとは別系統ではなかろうか。 北京ダックという呼び名は有名だが、アヒルは本来的には"チャイナ鴨"と呼ぶべき家禽だと思うし。 その歴史は古い。… 以禽作六摯,以等諸臣:孤執皮帛,卿執羔,大夫執雁,士執雉,庶人執鶩,工商執雞。 [「周禮」春官宗伯] 家畜化の経緯からいえば、こんな風になると考えればわかり易い。[→] (野)鴨→𪁗/𪁨→家禽化→(家)鴨→鶩アヒル 鴨/𪀌[=田(紋様)+|(尾)+鳥] 𪁗/𪁨[=邑(集落)+鳥] しかし、実際にはカモは鳬ケリと呼ばれていたりしており、その場合、アヒルは舒鳬となる。のんびりとしてヒトに懐くタイプということだろう。作られた鳥ということではないかと思われるが、𩿣𩿞という語彙も使われていたようである。 そう考えると、「古今著聞集」に登場する"唐ノ鴨"とはアヒルの可能性が高かろう。 「天福の比或殿上人片輪の鴨を飼ふ事」巻二十"魚蟲禽獣"(第三十編)#714 天福の比(頃)[1233-1234年]或殿上人のもとに、"唐ノ鴨"を数多飼はれける中に、見目は良けれども、片目潰れてありけり。その鴨、往き方を知らず失せたり蹴れば、如何なる者盗みたる哉らんと、求められけれども見えず。四五日ばかりありて、この鴨出で来にけり。 その羽に札を付けたりけるを、怪しくて取りて見れば、かくなん書きたりける。 故里に 巡り合へとて 小車の 片輪の鴨を 返しやる哉 語彙辞書「下學集」@1444年東麓破衲/1669年[増補]山脇道円では、「安]畜類収録鶩アヒル=唐ノ鴨とされているし。 天理図書館善本叢書和書之部編集委員会[編]:「増刊下学集[伝飛鳥井栄雅筆 室町中期写]・節用集」天理図書館善本叢書和書之部59 天理大学出版部 1983年] 考えてみれば、現代でも、神泉苑ではペットとしてアヒルが飼われているそうだ。昔も同じように居たりして。 (出典:ママ引用ではなく勝手に改訂していますのでご注意の程)「古今著聞集」日本古典文学大系 84 [永積安明 島田勇雄 校注] 岩波書店 1966年 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |