[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.11] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[62]
−初夏告鳥−

「托卵系はゴチャゴチャ」[→]と書いたので、どうしてそうなったのか理由を書いておこう。端的に言えば、郭公と書いてホトトギスと呼ばせたりする混乱が何故にうまれたのか、勝手に想像してみたくなっただけ。

実は、この手の混乱は植物にも持ち込まれている。
 躑躅ツツジ【Chi.:杜鵑花】
 皐月サツキ【Chi.:皐月杜鵑】
 蓮華躑躅レンゲツツジ【Chi.:羊躑躅/羊不食草】
マ、ツツジに羊躑躅という漢字を間違えてあてているだけの話と言えなくもないが、こうなる理由が見え隠れしているではないか。
鳥の杜鵑一族が御盛んに鳴く季節を、ツツジの満開期として欲しくなかったと見ることもできよう。一方、季節感としての皐月は杜鵑を外せばOKである。つまり、"杜鵑"花を避けたかったのであり、そうなれば、同類の羊"躑躅"を用いるしかなかろう。但し、日本では、羊導入は上手くいかなかったので、羊が食してそのアルカロイドで足がフラフラして死亡という現象は無かった筈で、羊は外した訳である。
間違いでも、いい加減な漢字化でもなく、至極まともなやり方に感じるが。

と言う事で、鳥についても、ツツジの発想で見ようということ。

郭公の一族と言えば、誰でもがあげるのが托卵習性。以下の日本で見かける鳥は皆お得意。
 郭公/閑古鳥【Chi.:大杜鵑】カッコウ
    or 布穀鳥ふふどり
 杜鵑/時鳥/不如帰/名告り鳥【Chi.:小杜鵑】ホトトギス
    orしめ
 筒鳥/都々鳥【Chi.:中杜鵑】ツツドリ
    or [未確定]呼子鳥よぶこど
 十一/慈悲心鳥【Chi.:棕腹杜鵑】ジュウイチ

上記の鳥が、自分で育成する能力を失っている証拠はない。この一族は、海外では托卵せずの種も多いし、この類縁以外でも托卵する鳥も少なくないからだ。
つまり、極めて特殊に見える托卵行為だが、どの鳥でもあり得ると見なすのである。ヒトでも養子はあるのだから。ただ、その成功確率は低いのは間違いなさそう。換言すると、托卵先の習性をよく知った上で、それなりの技術を駆使する能力が備わった上で、周囲の諸条件が揃わないと成功しないと言う事。おそらく微妙なバランスで編みだされている習性。

さて、その郭公カッコウだが、高原の林棲と言うのが現代生活者の普通の感覚。しかし、古代は葦原の国だったのだから、葦原棲と見られていたのでは。托卵先は、今はもっぱら頬白ホオジロだろうが、大葭切オオヨシキリが主だったに違いない。(雌は、雛の時分に育った養親を覚えているだろうから、托卵先の種は集中しがちの筈。)
 郭公カッコウ@林⇒頬白ホオジロ
 郭公カッコウ@葦原⇒大葭切オオヨシキリ
 時鳥ホトトギス⇒鶯ウグイス
 筒鳥ツツドリ⇒黄鶲/黄火焼キビタキ
 十一ジュウイチ⇒大瑠璃オオルリ, 小瑠璃コルリ, 瑠璃鶲ルリビタキ

葦原については、特によく知っていた筈だから、郭公の生態についての知識も豊富だったと考えてよかろう。
葦原での大きな声での囀りの理由も薄々知っていたと思う。考えればわかることだからだ。
見ればわかるが、郭公の姿は鷹似。それなら、その声も鷹かと思わせるのが一番。ともかく、辺りの小鳥にその存在を気付いてもらいたいのである。何故かは自明。雌は托卵先を四六時中監視してチャンスを伺っており、托卵先の鳥が気もそぞろになる行為は願ったり。

だが、郭公がそんな鳥とわかってしまえば、恋の情緒もなにもなかろう。おそらく歌の題材にしたくはない。

しかし、大陸では尊崇の念を感じさせる扱い、日本だけ、下手な扱いはできかねる。従って、大杜鵑は無視して、中杜鵑をもちあげるか、となるのは自然ななりゆき。
それが、時鳥ホトトギス
これには、皆、かなり乗ったのでは。托卵先が春告げ鳥とした鶯ウグイスだからだ。遅れてやってくる春告げ鳥になるのだが、大陸的発想で言えばそれは初夏告鳥だ。
季節を教えてくれるお遣い扱いになる訳で、これは歌のモチーフとしては逸品モノ。

ただ、この初夏告鳥というコンセプトは日本の後付ではない。もともと、郭公とはそのように扱われていた鳥だからだ。
と言うのは、蜀第4王朝のトーテムであり、農耕で国を繁栄させた望帝杜宇の霊魂@西山が春分の頃到来して農耕シーズン到来を告げるとされていたからだ。だから、杜宇/蜀魂とも呼ばれるのである。[→]
古代日本のインテリはそこらもご存知だったに違いなかろう。

従って、郭公と書いて、カッコウではなく、ホトトギスと読むことにするのは、とりたてておかしなことではない。
さらに付けくわえるなら、初夏告鳥としてのカッコウは、日本の春告鳥と同じ位置付けの国もあったし、そのことは一線級の国際派知識人の仏僧にとっては常識であり、当時の貴族は知っていたかも。
言うまでもなく、その地とは春到来が遅く、すぐ夏が始まるチベットのこと。
そこでは、ボン教始祖の Tonpa Shenrab Miwocheが自らを青いカッコウと表明しているほどで、特別な鳥だったのである。
Vairocanaヴァイローチャナ(伝チベット初の出家僧):Rig pa'i khu byugリクパィ・クジュク(The Cuckoo of Awareness知恵のカッコウ)」(フィクションとも言われたりしており、作成時期は不明だが、6行ではあるものの、「敦煌文書」#IOL Tib J 647が該当するらしい。11世紀初頭の図書館洞窟閉鎖直前の作か。)[Translarion by Katen Liljenberg http://www.zangthal.co.uk/files/The_Cuckoo_of_Awareness.pdf]
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

  本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX>  表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com